その41 「大仏」
2021年1月29日の活動報告より。
今回のお題:『大仏』
大仏かあ。奈良の大仏と鎌倉の大仏が有名ですね。
どっちも実物を見たことがありますが、違いは知らない。
なお、どっちだったか大仏の頭の中に入れると聞いたような気がするのですが。
まぁ、とりあえず描いてみよう。
イメージはちゃんとある。うむ。φ( ̄一 ̄*)
「何だ、このおばちゃんみたいなのは!」Σ( ̄□ ̄;ノ)ノ
おかしいな。スーパー銭湯の座敷みたいなところでヨガをしている館内着を着たおばちゃんじゃないか!
ほら、違和感ない! Σ( ̄Д ̄;||)
……とと、遊んでる場合じゃありませんね。罰当たりな。o(_ _;)
はい、銅像っぽく色を塗ってみました。不安だったので後光的なものも。
うーん、まぁ「大仏」だと伝わるとは思うんだけど、明らかに何かが違うんだよなあ。
どこがおかしいんだろう? とりあえず調べてみよう……。
あ、表情は意外に近い! (゜o゜)(←怒られる?)
でもポーズが全然違う。
鎌倉大仏と奈良の大仏って手のポーズが全然違いますね。
そして私が描いたものは、そのいずれとも違った。
鎌倉大仏は胡坐をかいた足の上で両手を揃え、手の平を上にしています。
それに対し、奈良の大仏は右手は上げて手の平を正面へ。左手は霜降り明星の粗品さんみたいな感じ。(この説明で伝わるだろうか。まぁ、画像をググってみてください)
確か仏像って目を開けてるか閉じてるかとか、ポーズでも悟りを開いているかいないかとか段階があると聞いたような……。
うーん?"(-""-;)"
wikiで大仏をググりますと、大仏って「大きな仏像」という意味なので、仏像の種類を表しているんじゃないんですね。
それと日本全国にいっぱいあってビックリしました。
思えばウチの地元にもありましたね……しかも四つ。( ̄▽ ̄;)
ところで、一番古いのが奈良大仏……かと思いきや、違ってた! Σ(゜o゜;)
●飛鳥大仏
・609年(推古天皇17年)に建造。釈迦如来の坐像で、高さは2.75m。
・蘇我氏の氏寺である飛鳥寺にある。飛鳥寺の建立を発願したのは蘇我馬子で、587年。時期的には蘇我氏が物部氏と対立していた頃。
蘇我氏は「崇仏派」、物部氏は「排仏派」で政治的にも対立していたんですね。
で、587年、用明天皇が亡くなった後に後継者問題が勃発。物部守屋が擁立しようとしていた穴穂部皇子(用明天皇の弟)を、蘇我馬子が炊屋姫(用明天皇の妹、後の推古天皇)の許可をもらって殺し、続けて物部守屋の屋敷に攻め入りました。
でー、最終的に物部守屋を討ち取り、蘇我氏の天下になったところでようやく仏教寺院が作られるようになった、と。
ですので、飛鳥寺は日本最古の仏教寺院でもあります。
うーん、だけど知名度が……。寺だと法隆寺の方が有名ですしね、多分。
そうか、サイズの問題かな。奈良の大仏が有名なのは。(・_・;)
なお、飛鳥大仏のポーズは奈良の大仏と同じで、右手は手の平を上へ向けて胸ぐらいの位置、左手は膝の上でまっすぐ差し出す感じです。
そして飛鳥大仏の次に古いのが、奈良の大仏です。
●奈良の大仏
・752年(孝謙天皇の頃)に建造。毘盧遮那仏の坐像で、高さは14.70m。
・東大寺大仏殿の本尊。聖武天皇により743年に発願された。当時聖武天皇は平城京から恭仁京、難波京、紫香楽京とウロウロ彷徨っていた時期。
聖武天皇は文武天皇の息子ですが、
「まだ幼い」「身体が弱い」「精神的にヤベェ」
など、何やかんや理由をつけられてなかなか即位できなかったんですよね。
天皇が死去した場合、皇后が即位することもある(持統天皇が有名)のですが、文武天皇には皇族の皇后がいませんでした。ですので、文武天皇の母が「元明天皇」となり、さらに元明天皇の娘で文武天皇の姉が「元正天皇」となりました。
聖武天皇に繋ぐまでに女性天皇が二人も間に入っている、という(まぁ、皇族と藤原氏の勢力争いも遅れた理由ではありますが)。聖武天皇からみるとお祖母ちゃんと伯母ちゃんですね。(ちなみに元明天皇の父は天智天皇、元正天皇の父方の祖父が天武天皇ですので、ちゃんと男系です。男系女性天皇。)
奥さんは光明子。藤原不比等の娘(なお聖武天皇は藤原不比等の孫にあたるので叔母・甥になる)で、皇族でない初の皇后となった女性です。不比等の遺産がめっちゃあったので大仏建立にも力になれたと言われています。
そしてこの光明子立后の裏には長屋王の変があり……こちらもなかなか血生臭い。( ̄△ ̄;)
この次が『国府大仏』という、岐阜県高山市にある大仏で、平安時代につくられたもの。
阿弥陀如来の坐像で、高さは1.77mと小さめ。
この次が鎌倉時代に作られた『鎌倉大仏』になります。阿弥陀如来の座像で、高さは11.39m。
ただ、建立された背景などは不明です。
大仏殿はもともとあったのですが、1335年に強風で倒壊。その後再建したものの、1369年にまたもや倒壊。
従来は「1495年の地震と津波により倒壊した」とされてきましたが、調査によると1369年以降に大仏殿を建設した形跡は見出されなかったそうなので、その頃からずっと野ざらし……えーと、露坐であった、ということになりますね。
後は……そうだ、手の形! Σ( ̄□ ̄;)
仏様の手のポーズは『印相』といって、それぞれに意味があります。
奈良の大仏の右手、指を上向きにし、正面に手の平を向ける形は『施無畏印』といって「恐れなくてよい」と相手を励ますサイン。
左手、指を下向きにし、手の平を上に向けて何かを差し出す形は『与願印』といって、相手に何かを与える仕草を表したものだそうです。
この二つセットを『施無畏与願印』といって、「信者の願いを叶えよう」というサインになるそう。
そして鎌倉の大仏のように両手の平を上にして膝上で重ねているのは『法界定印』といって、「ただいま瞑想中です」の意味だそうです。悟りに入るための印。
……ってことは、願いを言っても聞いてくれないんだろうな。
同じように祈りなさい、修行しなさいってことかなー。(・_・;)
で、私が間違えたOKサインみたいなものは、本来右手は指先を上へ向けて作り、左手は指先を下に向けて作るもので『来迎印』といいます。
極楽浄土から迎えに来るときの印相。ですので「準備はOK、ちゃんと極楽浄土に連れて行くね!」みたいなことらしい。
……という訳で、手のポーズ『印相』に重要な意味がある訳ですから、それを完全に間違えた今回は大失敗、ということになりますね。
やれやれ。( ̄o ̄;)ゞ
~頂いたコメント~
・奈良の大仏は建立時は金色で、水銀と混ぜて水銀を蒸発させたと聞いたことがある。
・おばちゃん言うからおばちゃんにしか見えなくなってしまう。
・イラストの大仏はなぜか「賽銭頂戴!!」見えてしまう。爆笑。
・前のコメントのせいで「お金ちょうだい」にしか見えなくなってきた。
・奈良の大仏は何か穴をくぐったような気がする。
・よかった、お金頂戴に見えたのは自分だけじゃなかった。
・奈良の大仏の右奥の柱の穴が大仏の鼻の穴と同じ大きさで、くぐると縁起がいいとされている……という話だったはず。
奈良の大仏の豆知識を頂けた回でした。
お金頂戴、か……。確かにそう見えて来るなあ……。
見て頂きありがとうございます! (^^)/




