紫髪の魔女
目の前に仁王立ちするのは、先の折れたとんがり帽子が特徴的な、紫の髪をした女性だった。
何故か雪掻き用の鉄製のスコップを肩に担いでいる。もしかしなくともそれでミツルを殴ったらしい。
「ほぉん、ずいぶん愛らしくしたこと。これが趣味かい? うん?」
床に倒れているミツルの頭を靴の先でつんつんしながら言うものの、何の反応もない。
「なーんだ。気を失ってるのか。だらしないのぉ。魔法が良くとも使い手がこれでは、宝の持ち腐れじゃな。……まぁ、今のは物理で殴ったからノーカンにしといてやる。……んで、お前さん」
不意に話が俺に向けられる。だが依然として頭がボーっとしていて返事をする気にすらなれない。
夢現なぼんやりした状態でその人を眺めていると、女性は深く溜め息を吐いて人差し指をビシッと俺の鼻先に向けた。
「まったく。発情期の犬猫でもあるまいに。もうちっとくらい理性残らんもんかえ?」
指先を天井へ向け、ゆるゆると円を描くように揺らすと、さっきのミツルのような、紫色の光の帯が出来上がる。今度のそれは綺麗な輪になって俺の首元に迫った。
「あがががががががッ!?!?」
ビリビリと強い刺激が脳天を突き抜ける。痺れが取れる頃には、いつも通りの思考回路に戻っていた。
「あ? え? ダレ?」
それでも、寝覚めのように多少ボケているのは否めない。仕方ない。俺だもの。
「誰と聞く前に己から名乗るべきじゃろがい。まあよいがの。私の名はメイr」
「メイリーン……。」
「先に言うなこらァ!」
「いだいいだいー」
いつの間に意識を取り戻したのか──それとも最初から意識を失ったフリをしていたのか──ミツルは女性より先にフライングで名前を言った。が、故に彼女のハイヒールが容赦なく襲い掛かる。腕をクロスして何とか防いでいるものの、ヒールが腕に食い込んで痛そうなのに変わりはなかった。
「このクソザコ魔法使いの言った通り。私の名はメイリーン。よいか、メイリーンじゃぞ。メイリンではない。リーンと伸ばす。よいな?」
「は、はぁ……」
「そしてキミが、レンスケじゃな? 話は聞いたぞ。コッソリとな。寝て起きたら身体が縮んでたとかいう、どこぞの探偵みたいなことになったんじゃな? おー可哀想に。で、その原因がこの悪の魔法使い。こうなる前にこやつからクッキーをもらったじゃろ? あれが原因じゃよ。」
「あのクッキーが……」
「けれど、オレにそうさせたのはこの魔女なんだ。コイツがレンに変な薬を飲ませたのは分かってたから、効き始める前に変異させたんだよ。」
やたら俺に対して変なもの食わせすぎじゃねコイツら。
そんなツッコミを内心で入れつつ、メイリーンなる人物を見る。
見た目は若い。俺やミツルより少し年上といったところだろうか。しかし纏う雰囲気がそれ以上の、年季というか、貫禄というか、とにかくそういったものを醸し出す。魔女、というミツルの言葉にも納得できてしまうほどに。
「情けないねぇミツルぅ? 魔法薬、略して魔薬をこっそり蓮介に摂取させたのには気付いたようじゃが……効果や対処法までは探りきれなかったかえ?」
「……。」
「無毒化でなく変異を選んで、無事にできたのは運が良かったからじゃな。下手な変異の上書きは、対処法としてはバツを付けるのすら惜しいくらいよ。今回のは放置すれば良かったじゃろうに。」
まるで先生と生徒だ。メイリーンはミツルに容赦ないダメ出しをし、ミツルはそれを黙って聞いていた。俺にはなんの事かはさっぱりだが、ミツルが言わば『出来の悪い生徒』であることは理解できる。
しかしそれでも、俺はミツルを情けないだの、頼りないだのとは思えない。
「……もしかして、気付いてないんですか?」
「む、なんぞ」
「貴女がレンに使った魔法薬──略して魔薬の調合に、おかしな点があるんですよ。」
その略し方やめい。
「おかしな点……」
と、余裕綽々だったメイリーンの表情が曇る。そんな彼女に、ミツルは澄まし顔で話し始めた。ちなみに俺に理解できる余地はない。
「感覚から少なくとも傀儡系の魔薬なのは理解できた。」
魔薬略はもはや固定らしい。
「レンを観察しても毒性は感じられなかったから、恐らく状態変異、しかも人体に掛かる負担を最小限にして、恩恵とも言える効果を発揮するもの。」
「なぜそう思う?」
「半分は調べて判った。もう半分は、貴女の性格で予測した。」
「限りなく不合格。」
ばっさり切り捨てられるも、気にした様子もなくミツルは淡々と自身の考えを述べ続ける。
「変な化け物とかに変異させられても困るので、魔薬の効果を変異させることにしました。それで人体に及ぶ副作用は極力抑えたつもりでしたけど、結果的にはレンの身体ごと魔薬の効果を"小さく"させることになりました。」
しかし、と、ミツルは続ける。メイリーンは興味深そうに黙って聞いていた。
「魔薬の効果を抑えたとはいえ、発現はしました。ついさっき、確認済みです。それで、ここからが本題。メイリーン、『首輪』を外してください。」
そう言ってミツルが指さしたのは、俺の首元だった。
「あ? ……なんだコレ!?」
今まで気付かなかったが、何かベルト状のものが首に巻き付いている。さながら首輪とでも言おうか。
「……ふむ、いいじゃろう。」
メイリーンが俺の方に指を向ける。そしてデコピンするような動作をすると、不意に首元から違和感が消えた。
「あっ……?」
途端に頭の中に押し寄せる『欲』。鼻が微かに漂うミツルの匂いを嗅ぎ取る。
「うぁっ……ミツルっ……!?」
ぎゅっと自分の肩を抱いて、床の上で身を縮める。
またあの感覚が押し寄せる。抑えきれない『衝動』。すぐにでもミツルに飛び掛りたくなるが、必死に堪えて抑え込む。
「ほら、レン」
上着を羽織っただけで、胸元から首筋にかけて肌が見えるミツルが、こともあろうに近付いてくる。
「く……来んな、噛むぞコノヤロウ……!」
「うわ、エr……色っぽー」
「メイリーン、よく見てください。」
「うむ?」
「恐らく貴女が用意したのは、吸血鬼の傀儡の因子。発現時の特徴は目の色の変化、吸血衝動。」
内容に問題なく言い当てたのか、メイリーンは真顔で「うむ」と尊大に頷く。が、ミツルの次の言葉でキョトンとすることになる。
「それに混じって、『獣化』という変な効果まで入ってました。」
「うむ……うむ? …………なぬ?」
「今は多分、まだ変化の途中かなと。この後どうなるかは未知数ですよ。」
「ちょ、ちょっと待てい。私はそんなもの知らんぞ。獣化? 馬鹿言え。私が作ったのは吸血鬼の傀儡の因子を使った魔薬じゃ。レンスケに吸血衝動を微弱に植え付け、地味に高い身体能力であしらうのも一苦労。そんな地味な嫌がらせ的なアレじゃった! 確かに少し効果が強く見えたが、おぬしの方でおかしな変異をさせたのでは──」
そこまで言いかけて、メイリーンはハッとした顔になった。
それから顔を真っ青にして汗をかきはじめる。気まずそうに口をへの字口に結ぶと、ぎこちない動作で、しかし意外にも素早く部屋の扉の方へと逃げ出す。
「逃がすか」
「!!?!」
すかさず放たれたアイアンクローは、魔女のとんがり帽子を押し潰し、メイリーンを確実に捕らえる。
駆動部の錆びた機械人形のような、ギギギと擬音の付きそうな動きで振り返ったメイリーン。その顔はたちまち真っ青を通り越して真っ白になる。俺からはミツルがどんな顔をしているのか見えないものの、恐らくはこの世の終わりよりも恐ろしいであろうことだけは理解できた。
しかし、俺は今、それどころではない。
「ぬぅぁぁぁぁっ……くぅ……!」
身体の芯が熱くなる感覚に身悶えながら、ミツルを背後から襲いたい衝動を押し殺して床をゴロゴロと転がっていた。
「……とりあえず、首輪、また掛けてやってください。」
「は、はひぃ……」
目尻に涙を浮かべたメイリーンの『魔法』によって俺は再び正気を取り戻したのだった。