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シュムックは口元に手を当ててみる。
赤ん坊特有の柔かさ。まだ外にも出ていない皮膚の感触は、今この時しか味わえないだろう。
かさつきも肌荒れもニキビもシミもシワも無い赤子の肌。自身の体ながら、シュムックは久しぶりの感覚に楽しんでしまった。
そういえば、死ぬ前は最近シワに悩み始めてたなあ、と赤子にあるまじき感慨に浸かっていると、頬に当たる硬い毛質に現実へと引き戻された。
「あー!」
「シュムック。改めて我が家にきてくれてありがとう、と心から伝えたい。思ったより泣かないのが些か心配ではあるが、父は此れより仕事に行かねばならん。寂しいが、これも家族を守るためだ」
急に高くなる目線に思わず声がでる。誰かに抱えられたのかは分かるが、いかんせんぼやけた視界ではどうにもならない。
しかし父親であるフェルスの声は、誰が聞いても分かるほど溢れんばかりの慈しみで満たされていた。シュムックを大切に思ってくれているのだ。
シュムックも前世では父親を経験している為、大切な我が子を思うその気持ちはとても理解できた。
人形を型どる目の前のグレーに一生懸命手を伸ばすと、穴が二つほど空いたものに指先が触れる。位置からしておそらく鼻だろう。
形を確かめるように小さな手で撫で回していると、心地よいテノールの声が笑い始めた。
「あー」
「ありがとう。頑張ってくるよ」
頭に置かれたのは、安心する大きな手。シュムックの心は少しずつこの世界を受け入れていた。子供の心は柔軟だ。
そして自分が死んでしまったことを思いだし、いなくなったのが息子たちが成人した後で良かったと、それだけは心から強く思った。
いきなり赤ん坊になってしまったことには大いに混乱したが、この人たちのところにこれたことは幸せに違いないだろう。
せっかく記憶があるのだ。自分を深く愛してくれるこの両親が誇れる子供になろうと、シュムックは誓った。
フェルスが部屋を出ていった後も、賑やかな空気はここにとどまったまま。
一番浮かれているのは、出産直後でベッドに横になっているブルーメである。
「そうだわセレン。仕立て屋を呼んで沢山服を作ってもらわなくちゃ。こんなに可愛いんだもの、何でも似合うわ」
「お任せ下さい! 今すぐお願いしてきますわ!」
ちなみにセレンと呼ばれるこの女性は、これからシュムックの乳母になる人だ。
恰幅の良い女性で、代々このシュタイン家に仕えている家系のベテラン使用人である。
そんなセレンが部屋を退出すると、なかなかベッドへと近づけていなかったメイドたちがここぞとばかりに赤子を覗きに来た。
視界に増えた人影に、シュムックは開ききっていない瞼を震わせる。
「まあ、目が大きくて奥様似ですわ!」
「まだ新生児なんだから、目の大きさなんて分からないでしょう」
「きっと将来美男子に違いありませんね!」
「すぐに婚約者様も決まってしまいますよ」
「誘拐とかされないと良いのだけれど」
最後のメイドのセリフに、屋敷の警戒度が無駄に最高値まで上がったことは言うまでもあるまい。
数日後、屋敷に勤める庭師のギースが罠に引っ掛かったとかなんとか。
乳母=母親の代わりに母乳を与える人。昔、身分の高い人によく仕えていた。