紅蓮の王の進撃
拝啓 俺の愛する妻と娘よ。この手記が二人に届いていることを祈る。まず始めに、この手記を二人が読んでいる頃には俺はもう死んでいるだろう。いや、俺は必死に生きようとしている。だが生きて帰れる気がしないんだ…
俺は今、小さな洞穴の中に閉じこもってこの手記を書いている。手は震え、歯はカチカチと鳴り続けて止まらない。
「うるさい、うるさい。うるさぃ…」
こうも音が鳴っては息を殺すことができないじゃないか。息を殺さないと見つかってしまう。見つかったら確実に殺されてしまう。時間はせっかくの夜。闇に紛れて逃げ切るにはちょうどいいはずなのに。
ザリ、と洞穴の外から足音が聞こえた。
「ひっ!」
思わず口から悲鳴がこぼれる。俺はとっさに口を手で押さえたが、その拍子に手からペンが零れ落ちてしまった。カタンとペンと岩がぶつかり合って軽い音が響く。
「このあたりか?」
声が聞こえた。奴だ。奴が近くにいる。奴は俺が出した音を頼りに俺を探している。
ちくしょう。なんで俺は手記なんて書いてたんだよ。…らしくなく、国に残した妻と子どもへなんか言葉を残したかったからだよ。くそ。くそ。くそっ!
「奴に殺されれば、こんな手記燃やされてしまうに決まってるだろ…!」
「そこか」
奴が近づいてくる。俺は震える手で剣を握り、萎えた足を奮い立たせて立ち上がる。
「やってやる。やってやる。やってやる!」
そう自分に言い聞かせても、声は涙に濡れて力がない。
「はぁ、はぁ、はぁ」
「見つけた」
洞穴の前に一人の男が立っていた。月灯りが逆光になってその顔はよく見えない。だがあのやたら大きい体と、あふれ出ている覇気は間違いない。
「紅蓮の王…」
「ああそうだ。ま、そう面と向かって言われるのは恥ずかしいがな」
奴の顔は相変わらず月灯りの影になって見えない。しかし俺には紅蓮の王が笑ったように見えた。
「俺を殺しに来た奴らの中で、お前で最後だ。その生きようとする執念と、最期には立ち向かおうとする根性。俺はお前のことを尊敬しよう」
「だ、黙れよ…」
こみ上げてくる感情を吐き出すように、俺は紅蓮の王を否定する。こいつは敵だ。俺を殺そうとする敵だ。俺の仲間を皆殺した敵だ。
なのに、なのになんで俺はこいつに褒められて嬉しいとか思ってるんだよ。
「さて、夜もそろそろ遅い。終わらせるとしようか」
ふっと短く息を吐き、紅蓮の王は手に持っていた槍を構えた。
(どうして、どうしてこんなことに。俺たちは絶対に勝てる戦争をしてたんじゃないのかよ…)
戦意を見せる男を前にして、俺は現実逃避を始めた。
*** ***
脆弱なあの国を滅ぼしてしまえ。帝王からそんな宣言が発せられたのは一年前のことだ。俺たちの住む帝国の隣にある小さな王国オウルファクト。侵略しようとしたきっかけは知らない。噂によると帝王一族が酒の席で決めたとか、誰が一番上手く侵略できたかで次期帝王を決めるためだとか、あるいは地図を眺めていた帝王がこぶのように存在する王国を不愉快に思っただとか、とにかく定かではない。
共通していたのは大国たる帝国ならば、オウルファクト如き、簡単に滅ぼしてしまうだろうということ。弱卒に開戦勧告などいらない。周囲の国も気にすることはないだろう。帝国はある日突然オウルファクト王国に攻め入った。
オウルファクト王国を滅ぼすのにかかると思われた期間はおよそ一年。実際、始めの半年間は帝国の予想通りにことは進んでいった。帝国と隣接する村を皮切りに、帝国は王国の村や町をじっくり確実に攻め滅ぼしていった。
性急さは必要はない。所詮小国。真綿で首をしめるように、ゆっくり、楽しみさえしながら侵略は進んでいった。
何度も来る降伏を示す書状を鼻で笑い飛ばし、帝国軍の一部はついに王都へ手をかけた。誰もが帝国の勝利を疑わない。王が変わった。そんな敵国の大事も些事としか捉えていなかった。精々老いた王が保身のために逃げただけだろうと。それで代わりに経験の浅い息子か誰かが王位についたのだろうと。王国の愚かさと軟弱さを笑う材料でしかなかった。
そう、それだけのはずだった。
王国の反抗が始まったのは王が前王の息子に変わってからだ。
帝国は確かにオウルファクトの王都に手をかけた。しかし王都を侵略できたわけではない。否、侵略どころか王都に入ることすら叶わなかった。
王都には、都市を包み込むように緑の膜が張られていた。深い緑色をした柔軟でありながら強固な風の盾。その膜は帝国軍のあらゆる攻撃を弾いて通さない。剣も槍も銃も、上級の精霊術や時間をかけて構築した儀式術式すらその膜を破ることはなかった。
当然帝国軍の上層部は困惑する。順調に侵略が進んできての足踏み。彼らを指揮する帝王の息子たちは焦った。功を焦るあまり、侵略中の町をないがしろにして王都の周りに群がり、深緑の膜の破壊を試みた。しかし一行に膜が破れる気配はない。膜の強度は信じられないほどだった。
帝国は確かに王国をなめていた。だがかといってスパイを王都内に派遣しないほど愚かでもなかった。帝国はスパイが膜に関する何かしらの情報を持ち帰ってくることを期待した。しかし帝国が派遣したスパイは帰ってこなかった。王都にいたはずのスパイは、誰一人として帰ってこなかったのだ。
ここに来て本格的に帝国軍全体が危機感を覚えた。容易に見えた侵略戦争。その雲行きが怪しいと。王都一度攻略を始めて一か月。王都攻略は諦めて他の都市を攻めた方がいいのではないか。戦略会議でそんな意見も出始めていた頃時だ。
王都に張られた膜の内側から、三人の“化け物”が出てきたのだ。
「さて。これから私達で彼らを追い返すわけですが、作戦はきちんと頭に入っていますね」
戦場には場違いな、純白のドレスに身を包んだ美貌の女が他二人に問いかける。
「無論です。リリアーナ様が初めに概念術式を放ち、その残党を私とイラで叩く。私としてはイラの方が心配です。彼が果たして作戦を理解しているかどうか…」
壮年の騎士が生真面目な様子で答える。
「…殺す」
薄汚れた衣服を着て、奇怪な形の細剣を持った男が吐き捨てるように言った。
「やはり、私はイラを戦線に参加されることに反対です。今の彼はあまりに危うい」
「黙れエクス。邪魔するならお前から先に殺すぞ」
「ほう。ならばやってみるか?狂人」
「二人とも。いい加減にしてください。帝国の方々が困っているではありませんか」
唐突に現れた三人の、冗談のような会話を帝国兵たちは聞くことになった。何なんだこいつらは。ふざけているのか。そんな思いが王都を包囲していた帝国軍人の中に広まっていく。ともあれ、侵略が上手くいかずに若干苛立っていたところのこの会話だ。
捕まえて拷問にかけて不可侵の膜の正体の一端でも掴んでやろう。王都を囲む八千人を指揮する中将が号令をかけようとした瞬間、リリアーナと呼ばれた女が帝国に向かって口を開いた。
「ではでは。帝国の皆様初めまして。私は王国軍に所属している精霊術士リリアーナ・ラン・ウィンフィールと申します。この度はオウルファクト王国民の一人として、貴方方帝国に反抗の意を示すことをここに宣言します」
リリアーナの声は音を拡張させる精霊術か精霊器を使っているのか、よく響いた。帝国軍は朗々と響く彼女の声にしばし聞き惚れる。リリアーナからは見る者を魅了する才気を放っていた。弱小と侮っていた王国にまさかこれほどの人材が眠っていたとは。感心すらする帝国軍だったが、次の一言で帝国軍はその意見を撤回した。
「要するに、勝手に人の国に攻め入るクズどもはその汚らしい肉片を大地の栄養にでも変えろ。そうでないならとっとと消えろ。もしくは死ね、ということですね」
うっとりするような笑顔で痛烈に罵倒された帝国軍は一瞬の沈黙の後、一斉にいきり立ってリリアーナに襲い掛かった。たおやかな女に迫る数千の戦士の群れ。並の女なら恐怖で気を失ってしまいそうな光景だ。
しかしリリアーナは恐れを見せる様子もなく、ただ一言「遅い」と言って彼らの前に手をかざした。
「エタナウ オイジアク ネイト」
そして唱えられる三節の呪文。たったそれだけで八千いた帝国兵の内、前方にいた千の兵士が消滅した。
「20秒待ちなさい。それから攻撃開始です」
「はっ!」
「チッ」
目の前にいた兵士が一瞬にして消滅する。そんなありえない光景に帝国軍は足を止めて沈黙する。5秒、10秒と時は流れて、リリアーナが言った20秒より前に異変は起こった。
「なんだ?これは…声?」
帝国軍の誰かが呟いた。小さな声にも関わらず、その呟きは不吉に響く。そのつぶやきを皮切りに帝国軍がざわつく。誰かのつぶやきに誰もが同意した。どこからともなく声が聞こえてくるのだ。彼らは不安そうに周囲を見渡すが、声の正体や出所はつかめない。遠くから声のようなざわめきが聞こえてくる。その声はまるで悲鳴で、しかしどこから聞こえてくるかが分からない。困惑に満ちた戦場で一人の兵士が叫んだ。
「上だ!」
その叫びに導かれるように、兵士たちは空を見上げた。空は快晴。澄み渡る青空には雲一つない。だが雲一つない空を汚すように、無数の黒点があった。その黒点はみるみる内に大きくなり、それが何かを視認できた瞬間、帝国軍はパニックに陥った。
「ぎゃああああああああああ!」
「いやだぁ!たす…たすけっ!」
「死にたくない!シニタクナイィィィ!」
リリアーナが宣言した20秒。時計の針が20回動くと同時に、戦場に人間が降ってきた。
「行きますよ!」
降り注ぐ人間の雨は大地に当たれば赤と白の染みを作り、人に当たればむごたらしい死体作りに貢献した。阿鼻叫喚の図と化した戦場に三人の化け物が躍り出る。
たまたまリリアーナの広域転移に巻き込まれずに済んだ兵士の一人の前に、狂人が飛びこんでくる。兵士は狂人と目が合った。
「あ…」
「死ね」
虹彩異色の狂人の瞳に映るのは純粋なまでの憤怒と憎悪。だがそれを認識する前に、穢れきった殺意を込めた細剣が兵士の体を真っ二つにした。
「イウ」
続けざまに狂人は辺りに炎をばらまく。初級の精霊術であるにも関わらず、その威力は近くの人間を焼き殺すのに十分なほどだった。
「ウウイルカド エタナウ」
狂人は止まらない。詠唱は重ねられる。今度は彼を中心に大波の如き濁流が発生した。傷つき、倒れ伏す帝国兵はその濁流に押し流され、溺れる。
「ウレアノト アリ ウテツオト エゴソシルウ」
溺れる者は藁をもつかむ。だが狂人が掴ませたのは藁ではなく鋭くとがった水晶だった。溺れて回避もままならない兵士はなすすべもなく、天から降り注ぐ水晶に撃たれて死ぬ。灰色の濁流が赤色に染まった。
「死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね」
狂人は怨嗟を吐きだしながら帝国への復讐を誓う。
「ウレアノト ウスケ イラ イン オコク ウオヂシク アガウ」
感情的に敵を殺すイラを横目に、厳格たる騎士は黙々と槍を振るう。彼にはイラのように強力な精霊術を乱発することも、リリアーナのように超大規模な精霊術を行使することもできない。
かの騎士にできることは、目の前にいる敵を一人ずつ殺すことだけ。そうしながら使える主と愛する国を守ることだけ。
唱えた呪文は彼の騎士のあり方を定めるだけのものだ。騎士らしくあれ。主の誇れる存在であれ。真の意味で主の願いを叶えられる存在であれ。それが彼の願いであり、騎士道。故に彼は厳しい顔を作って敵を殺す。
「ああああ!」
正面から斬りかかってきた兵士の心臓を槍で貫く。後ろに回り込んできた兵士は石突で牽制し、すぐさま回転させた槍で首を飛ばす。飛んできた精霊術は槍で払い、青の精霊術で周囲の敵を薙ぎ払う。
淡々と最適解を選び続け、機械的にすら見える動きでエクスは敵を殺す。殺しながらエクスは内心疑問だった。
この任務は王国の趨勢をかけた重大な任務だ。そんな任務にどうして自分のような未熟者が選ばれたのか。リリアーナは分かる。彼女は王国随一の精霊術士だ。いくつもの固有術式を操り、概念すら操作してみせる彼女はまさしくこの任務にふさわしい。気狂いのイラとて、狂気の果てに磨かれた技量は尋常なものではない。帝国への憎悪も含めて、重大任務に主戦力として参加できるだけの技量はある。
そんな二人と比べるとどうしても自分は見劣りしてしまう。精霊術も他愛もない固有術式が使えるくらいで、それ以外は並。槍術の技量も師に比べればまだまだだ。
頭を狙って放たれた風の光線を、首をひねってかわしてエクスはまた近くにいた敵兵を突き殺す。彼は気づいていない。自分が並の者から見ればどれほど外れているかを。峻厳たる彼の精神は妥協を許さず、凡才でしかない自身の技量を天才に匹敵するまで引き上げた。
「ウオシウス エタナウ」
槍の先端から放たれた水の大槍は数人の兵士を巻き込み消滅する。この精霊術はあくまで下級。人一人を殺すのでやっとのはずの精霊術を、彼は数名を害するほどの威力で撃つことができる。槍術も王国歴代最高峰と言われた彼の師に敵わないというだけで、劣っているなどということは決してない。
彼の歩んだ後には急所のみを傷つけられて殺された死体の道ができた。無駄の一切ない、鍛えぬかれた技量の結果を見て、帝国の兵士たちは恐怖に襲われた。
騎士の中の騎士は果てなき向上心を胸に、敵国の兵士を倒し続ける。
「イウ」
「エザク」
「ウジム」
「アウィ」
「イトニ」
「イス」
イラとエクス。形は違えどそれぞれ武器と精霊術を組み合わせて戦っている中、リリアーナの戦いは明らかに異質だった。精霊術士同士の戦い初期の基本は、初級の精霊術を行使することで、精霊の絶対量を増やすこと。精霊術行使に必要な精霊は他ならぬ精霊術の行使で増大する。故に初級の精霊術を撃ち合い、より強力な精霊術を使う布石にすることは当然の行為だ。
だがそれはあくまで相手が精霊術士である場合の、しかも教本通りの戦い方。実戦でそれをやろうとしても、剣や精霊器で攻撃されてしまうから上手くいくはずがない。
だというのにリリアーナはその細い体から想像もできない俊敏な動きで敵の攻撃を回避しながら、精霊術を使い続けて場に精霊を満たしていく。しかも初級の精霊術を行使するついでとばかりに、敵に攻撃を仕掛けながらだ。
リリアーナは何も武器を持っていない。無手のまま、命がけの鬼ごっこに興じる。帝国兵たちは千近い仲間を息でもするように殺したリリアーナを仕留めるべく、果敢に攻撃を仕掛ける。
しかし一向に攻撃は当たらない。リリアーナは剣をかわし、赤の精霊術を青の精霊術で打ち消し、黒の精霊術で生命力を吸い取りながら、リリアーナは口元に優美な笑みを浮かべて敵を翻弄する。
「そろそろですかね」
たなびく黒髪を手で払いながら、リリアーナは呟いた。準備は整った。
「ネク オン イキスコル アウ ウアキボト イシト アウ イカス アテラタナウ オウィボロウ イン イケト アガレラウ イラ イン オコク アウ ウコイクウイス」
敵の猛攻を凌ぎながら詠唱。唱え終わると同時に彼女の周りに数多の剣が生成された。それらは赤、青、緑、黄、白、黒。精霊の六色で構成され、日の光を反射して幻想的な輝きをしている。
それが自分たちの命を奪うために作られたことを忘れて、剣の輝きに帝国兵たちは寸の間目を奪われる。足がわずかに鈍った兵たちに、生成された剣が真っ直ぐ飛んでいった。
ピンと張り詰めた弓から放たれた矢の軌道にぶれがないように、幻想的な剣の群れも空を切って進む。その刃に触れた兵士たちは発火し、液化し、風化し、硬化し、命の輝きに膨張破裂し、反対に枯渇し朽ち果てる。
幻想的な剣から、凄惨で生々しい死体が積み上がっていく。
剣の生成は止まらない。リリアーナの周りからは止まることなく剣が生み出され、それらは一つとして外れることはなく、律儀にその役割を果たしている。10、20、30、50、80と死体を増やしていき、100にいかないくらいになってようやく剣は生み出されなくなった。
生まれた剣の数は96本。そのまま96人の死体を生み出して。
「さて、次はどうしましょうか」
帝国兵の死体を踏みにじりながら、精霊術を極めし女が優美に典雅に微笑んだ。
王都を囲んでいた兵士の数はおよそ八千人。そのうちリリアーナの初手で千人が殺され、人間の雨でさらに三百人が殺された。それだけでも撤退すべき被害であるのに、三人の化け物が軍に襲い掛かったせいで、わずか10分ほどで五百人以上の兵士が殺されることとなった。
あまりの被害の大きさに、帝国軍は王都攻略を諦め、撤退することを決意する。帝国は撤退の狼煙を上げた。それを見て、帝国兵たちはようやくこの戦場から逃れられるのかと安堵する。
だが彼らの受難は終わらなかった。王都を包む膜から一人の男が現れた。
「おー。やってるなぁ」
呑気なことを言いながら現れたのは茶の短髪を生やした偉丈夫。片手には片刃の大剣を持ち、重厚な金属鎧を纏っている。彼は蹂躙される帝国兵を見て満足そうに微笑んだ。
「リリーもイラもエクスも上手いことやってんな。…さてと俺もいっちょやるかね」
彼の存在に帝国兵の何人が気づいていたのだろうか。帝国兵は皆、圧倒的な技量をもって味方を蹂躙する三人の化け物にばかり気をとられていたのだ。
彼らに匹敵する力を持つのが他にいないと思いこんで。
「ウレアノト ウムレウナルグ オヅオイス イアケス オーノウ ネルグ」
彼の口から紡がれる六節の呪文。それは半壊状態の帝国軍にさらなる被害を呼びこんだ。降り注ぐ紅蓮の劫火。隕石の如き火球がいくつも墜落し、帝国兵を焼き払う。
「がっはっは。これで奴らも再起不能だろ。さすがは俺。完璧だな」
「私達を巻きこまなければ、ですねけどね?」
「おぉ。リリー。上手くやってるようで何よりだ」
「ちょっと。あなたがやったことを全て無視して会話を続けようとしないでください」
男の隣に転移してきたリリアーナがジト目で彼を見やる。だが彼はその視線を気にした様子はない。
「まぁいいじゃねぇか。フィリーネは王都防衛頑張ってくれてるし、ニントスも今頃敵さんの指揮官どもを射撃で殺してるはずだぜ?俺一人楽するわけにもいかねぇよ。それにお前らなら俺の固有術式くらい、どうとでもできるだろ?」
「グランヘルム。あなたはもう少し自分が王だという自覚を持った方がいいですね」
「んだよ。別にいいだろ。…それに俺が戦場に出れば帝国も俺を狙わざるを得ないだろうが。それに俺という『駒』を使わずにいられるほど、王国に余裕があんのかよ」
グランヘルムと呼ばれた男は、不意に真剣な表情を作ってリリアーナを見やる。グランヘルムはオウルファクト王国の王でありながら、リリアーナやイラに匹敵する戦士だ。敗北寸前の王国が生き残るためには強力な駒は一枚でも多い方がいい。そのこと自体は間違っていないため、リリアーナは反論できずに黙り込む。
「そういうこった。俺も出るぜ。フォローよろしくな。リリー」
「ああもぅ!分かりました!分かりましたよ!やればいいんでしょ!」
やけくそのように、リリアーナは空を見上げて叫び声を上げた。
帝国は侵略戦争初の大敗を喫した。帝国軍の生き残りは八千人中わずか五十名ほど。撤退の指示をする者たちが全員狙撃で殺されてしまったため、兵士のほとんどが戦場を離脱できなかったことも被害を拡大させる原因の一つだ。
この日、王国が出してきた兵の数は四名。そこに“風結城塞”と名付けられた緑の膜で王都をたった一人防衛していた精霊術士と、指揮官を狙撃して全滅させた精霊術士も含めてわずか六名。後に“玉石”と呼ばれる彼らの存在は、帝国に王国の底力を見せるに十分だった。
*** ***
六人の化け物じみた精霊術士の存在を知り、帝国は彼らを抹殺しようと何度も試みた。その中でも特に狙われる対象になったのは最も戦場に現れ、帝国兵を執拗に殺害した“黄の玉石”“透徹の暴霊”狂人イラ・クリストルクと、優れた指揮官であり、無双の戦士であり、また稀代の策士でもあった“赤の玉石”“紅蓮の王”国王グランヘルム・レクスティア・オウルファクトの二人だ。
帝国は玉石の存在を認知してから半年、何度も抹殺作戦を行ったが、結果は振るわず、帝国の優秀な人材は失われ続けた。しかし彼らがいる限り、王国を滅ぼすことはできない。帝国は何度も何度も計画を立てては失敗をするということを繰り返した。
そして今回もまた作戦は失敗だった。対象はグランヘルム・レクスティア・オウルファクト。内容は戦場で孤立させ、耐火装備を身につけさせた千の兵士で押し潰すというもの。俺はその中で作戦指揮の副官を任されていた。
「へぇ。赤の精霊術の対策をしてきたか」
「全ては貴様を殺すためだ。そのことに喜んで死ね」
「ふぅん。懲りないね。あんたらも。俺としては予定通りで嬉しい限りだけどな」
当初の計画通り、グランヘルムを孤立させ、俺たちは彼を中心に包囲網を作った。得意の赤の精霊術を防げる装備を身につけた兵士が千人。上は多大な出費に頭を悩ませたようだったが、これで奴を殺せるのならと考えたらしい。
だがグランヘルムが不敵な笑みを崩すことはなかった。絶体絶命とも言えるこの状況を前にして、彼は大剣を高く掲げた。
その様子に俺たちの胸に不安がよぎる。グランヘルムの主な攻撃手段は超高火力の赤の精霊術。剣術も相当だが精霊術ほどではない。赤の精霊術を封じれば数の暴力で押し潰せるはず、と聞いている。まさかグランヘルムはそれだけではないのか?聞いていた情報が間違っていたのか?
「ま、俺には関係のない話だがな。…ニズウウ エサリチカム」
そしてその不安は的中した。グランヘルムは大剣を振り下ろした。剣圧が風を生み、それは荒れ狂う暴風の刃と化した。
「ぎゃああああ!」
「ば、ばかなぁ!」
「くくっ。見込みがあめぇよ!」
ニタリとグランヘルムが笑う。風の刃にやられて仲間たちが切り裂かれていく。耐火装備なんて意味がなかった。グランヘルムが今使ったのは緑の精霊術。赤の要素は微塵もない。ならばグランヘルムの攻撃を受けきれる要素はない。
「こんなに来てくれてありがとよぉ!ったくわざわざ赤以外を使わずに、ここまでやってきた甲斐があったってもんだ!」
赤を除く、緑、青、黄の精霊術を使ってグランヘルムは俺たちを蹂躙した。剣にやられ、風にやられ、水流に呑まれて、大地に沈む。
ひどい話だ。何が天は人に二物は与えずだ。この男は二物どころか三物、四物も持っている。まさしく理不尽を体現したかのような男だ。
「くそがぁ!行け!行け!俺たちに撤退は許されていない!」
指揮官が号令を飛ばす。帝国軍の軍規は厳しい。命令に背いた者が死刑になることなんてざらだ。
「逃げずにたたか…ぶっ!」
「命中ぅ」
指揮官の頭にグランヘルムの大剣が突き刺さった。彼が武器を投擲したのだ。場に沈黙が満ち、仲間たちが浮足立つ。
「なぁ知ってるかい?」
グランヘルムは兵士が持っていた槍を無造作に奪い取って操りながら、ニヤリとしながら問いかける。
「そもそもお前らは勘違いしてんだよなぁ」
グランヘルムは槍を、剣を、鉈を、斧を、盾を、ナイフを、ありとあらゆる武器を奪い、使い潰す。グランヘルムが何度も武器を使い潰すのは、彼の膂力に武器が追いついていないからだ。
彼の剛力で振るわれれば、あらゆる武器が致死の存在と化す。グランヘルムは大剣使いだと思っていたが違った。彼はどの武器の扱いにも精通している。今まで大剣を使っていたのは、単純に大剣が彼の膂力を受け止めきれる武器だったからだ。
「耐火装備をしてきたってことは、俺の固有術式“紅蓮”を赤単色だと思ってたってことだろ?」
最高指揮官が死んだことで、指揮権は第二位の俺に移った。だが俺の口は恐怖で震えて声が出ない。
だって俺が指揮を始めたら奴は俺を狙うだろう?
「残念だったなぁ。俺の“紅蓮”は赤単色じゃねぇ。赤と黄の混色術式だよ」
つってもその程度の耐火装備で俺の火炎を受けきれるとは思わねぇけどな。…ウレアノト ウムレウナルグ オヅオイス イアケス オーノウ ネルグ
彼の口から絶望の言葉が唱えられる。グランヘルムを中心に噴出する紅蓮の劫火。いや、紅蓮の劫火を纏ったマグマが、俺たちを蹂躙して殺した。
俺は恐怖に負けて、仲間たちの悲鳴を背に逃げだした。
*
かくして物語は始まりの部分に戻る。グランヘルムの言葉を信じれば、俺以外の仲間たちは皆この男一人に殺されてしまったということだろう。畏怖に震える俺とは対照的に、グランヘルムは堂々たる立ち姿だ。当然のように彼にはかすり傷はおろか、汚れの一つもついていない。
奴が持つ槍も、他に逃げ出して、結局殺されてしまった仲間のものなのだろう。
「ん?なんだお前遺書でも書いてたのか?」
グランヘルムは取り落としたペンと手記を見たのか、そんなことを言った。だが俺はその問いに答える余裕はない。
「ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
恐怖を殺すために、叫びながらグランヘルムに向かって剣を突き出した。
「別にいいか」
ここは狭い洞穴。槍は扱いにくいはずなのに、この男は悠々使ってみせる。俺の剣はグランヘルムの槍に払いあげられ、取り落とした。
「じゃぁな。もし来世があったら俺の部下にでもなってくれぃ。…オイエッセン」
グランヘルムの槍が発光する。槍の刃が熱されて溶けだしたのだ。それはこの男の固有術式のようで、彼が俺のことを尊敬していると言ったことに嘘はないのかもしれないと思った。
冷たい感覚が胸を通る。目線を下に寄越すと槍が深々と俺の胸に突き刺さっていた。熱さが過ぎると冷たく感じるんだな。そんなことを考えて俺は地面に倒れ込む。
貫かれた胸は肉が焼かれて血すら流れない。暗くなる視界の中、俺は来世でもこの男と出会いたくないなと思った。
…理不尽な目に合うのはもうこりごりだ。
ここまで読んでいただきありがとうございました。この物語に出てきた玉石たちのその後を描いた短編『とある復讐者の絶望』( https://ncode.syosetu.com/n9834er/)もよろしければご覧ください。こちらも短編で戦争末期のお話となります。ちなみに作中の狂人イラの過去などにもチラリと触れています。
全くの別世界観で連載をしております。暗~い雰囲気の作品ですが、よろしければそちらもご覧ください。_(._.)_『名無しの英雄と忘却の手記』( https://ncode.syosetu.com/n7822et/)
ポイント評価、感想などを頂けると両目から滂沱の涙を流して喜びます。