ごきかぶり
「だ、騙されたんです」
とその男は言った。
そうだろうな、と浅田は思った。
風采の上がらない男だと、一目で判断できる。
くしゃくしゃで雲脂がいっぱいの髪の毛、アイロンもあててないしわだらけのシャツ、流行遅れのジーンズと酷使されて破れ真っ黒に汚れたスニーカー。
待ち合わせのコーヒーショップで男を見た瞬間に騙されそうな奴だと思った。
男はおどおどと店に入ってきて、小声でコーヒーを注文した。きょろきょろと店の中を見渡し、浅田の指示どおりに一番奥の席に座った。
予約と書かれたプレートが置いてある。落ち着かない様子で頭を動かし、膝を揺すって、忙しげにコーヒーを飲んだ。やたらとハンカチで汗を拭いている。
浅田はしばらく男を観察してから、声をかけた。
体も眉毛も指も鼻も、何もかもが太い男だった。
名前は尾上義郎、三十五才。
尾上に必要なのは外見をこざっぱりと整える技術だ、と浅田は目を細めて目の前の男を見た。尾上の汚れが目について、コーヒーカップを口に運ぶ気にもならない。
しかし浅田は我慢強く話をした。
「それで?」
「ろ、六百万です」
「でかいな」
「そう……そうなんです」
尾上は写真を一枚取りだしてテーブルの上に置いた。やけに画像が荒く、はっきりと顔が写っていないが派手な黄色いスーツを着た女のようだった。横顔だが体は向こうを向いている。携帯電話で盗み撮りした画像をパソコンで印刷した為にぼやけた写真になったと思われる。浅田は写真を手に取って眺めた。
「名前は山田英美、二十五才です。この女に騙されたんです」
「へえ」
と浅田は言った。
一瞬、頭の中を断りの文句が走った。
鴉は怒るだろう。こんな小汚い男の肌に彫り物をするのは嫌だろうな、と思ったからだ。毛穴も大きそうで体毛も濃そうだ。
だが、それでも客は客だ。
「経緯は? それと女の連絡先」
と浅田は言った。
尾上は女とは連絡が取れないと言った。住所も携帯番号もでたらめで、唯一女とのつながりであるという会社の名刺を出して写真の横に置いた。
「彼女はこの会社の社員でした」
「でした?」
「会社に聞いたところ、もうやめたそうで……」
浅田は名刺を取り上げた。
(株)ロイヤル・ゴールデン
販売員 山田英美
と印刷されている。
「宝石かいな?」
と浅田が聞くと、尾上は驚いたような顔で浅田を見た。
「ど、どうして、分かるんですか?」
「声をかけられたんやろ? アンケートにお願いしますと」
「そ、そうです」
「それで六百万の宝石か。ぼろいな」
呆れた声を隠さずに浅田は尾上を見た。
「はい……でも、僕は……彼女の事を恋人だと」
「そう思わせるような態度を取られたんやろ?」
「……デートもしたし、メールも毎日して……僕には初めてで……彼女が欲しいと言ったんで、貯金を崩して……」
尾上は涙声になっていた。
アンケートに答えてと言われた時点でキャッチセールスだと思う事だ。
一度金を出せば、カモと思われて、もっともっとといくらでも絞り取られる。詐欺とはそういうものだ。うかうかと金を出す方も悪い。親でも子でも何でも疑ってみるのが今の世の中の正義だ。だが女性への免疫がない純粋な男を騙す性悪女は最悪だ。
尾上は小汚いうだつの上がらない男だ。現実の女に声をかけたくても出来ず、三次元の女の子を心の中で恋人にしている口だろう。
自分を高める努力もせずに、どうせ自分は駄目だからと思い込んでいる。
尾上はそういう駄目な男だ。
だが、それは騙されて笑いものにされるほどの罪ではない。
女性と縁遠く、恋の楽しみを知らない男を失意のどん底に突き落とした女はどんな目に遭えばいいだろうか。鴉の背中の御歴々はどんな反応を示すだろうか。
「かなりな我慢がいるで。俺らのやり方は金さえ払えば願いが叶うというわけではないんや。あんたの執念が一番大事なんや」
「はあ……」
尾上はきょとんとした顔で返事をした。
分かっていないのかな、と浅田は思った。会う前に一度電話で子細は説明してあるのだが。実際、ある種の言葉を他人に理解させるのは難しい。いつだって人は「ああ、分かった」と返事をするのだが、その実、何も分かっちゃいないのだ。
だが、尾上は小声で聞いた。
「あの、復讐してもらえるんですよね?」
「あのなぁ、弁護士に相談とかそういう気持ちは? クーリングオフ期間が過ぎてもまだ解約できる場合もあるぞ? それで性悪女の事は忘れたら? 俺らに依頼すれば余計に金が、しかも、かなりな金がいるぞ」
尾上はぶんぶんと頭を振った。
「いえ……金はいいんです……いいんです……でも、どうしても、許せないんです……」
尾上はうつむいた。テーブルにぽつぽつと涙が落ちる。
「本当だと思った……結婚できない理由は母親に癌が見つかったから故郷に帰って介護しなくちゃならないって言われて、僕、信じたんです……そしたら、彼女の会社の女が、彼女はあなたの為に身を引いたのよって……結婚指輪を持っていけばきっと喜ぶって……それで……」
「また指輪を買わされたんやな?」
こくんと尾上はうなずいた。
どこまでもお人好しな男だ。女は腹を抱えて笑ったに違いない。
「でも、会えなくて……どうしたらいいのかわからなくて、毎日会社の前で待つくらいしかできなくて……そしたら……会社の奴らがぼ、僕の事を笑って話してるのを聞いてしまったんです。ぼ、僕、騙されたんだなって……」
尾上の声は震えていてしかも涙声だったので、よくは聞き取れなかった。だが、気の毒な男だという事は十分に理解出来た。
「まあ、あんたの事情はよう分かった」
尾上が顔を上げた。
浅田は優しい笑顔で尾上を見た。
尾上の顔は涙と汗と鼻水でぐちゃぐちゃになっていた。