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  作者: 猫又
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鬼子母神2

「あら、榎本課長。背中になあに?」

 と言ったのは由美子だった。

「え?」 

 由美子はベッドの上にいた。白いシーツを体に巻き付けて気怠そうに寝そべっていた。

 佐枝子の後に榎本が関係を持った若い女子社員だが、欲が強い。すぐに金をせびってくる。だが割り切った関係を楽しんでいる女なので榎本にとっては都合が良い。佐枝子はいい女だったが、生真面目さが重かった。愛だの恋だの、鬱陶しかった。

 その上子供が出来たと告げられた時は心底困ってしまった。

 だが、何もかもうまくいった。子供は流れて、佐枝子も何も言わない。

 助かった。

 榎本はシャワーを浴びて、ワイシャツを着ようとしていた。

 ハンガーに掛けてあるシャツを手にとった時、背後で「ひっ」という声がした。

「何だ?」

 榎本はシャツを手にしたまま振り返った。由美子はまだベッドの上にいたが、自分の下着や洋服をつかんでいた。

「どうした?」

 由美子の顔が酷く驚いたように歪んでいる。

「な、なんでも……そろそろ帰るわね、課長も帰るんでしょ」

「ああ」

 由美子は榎本の背後をじっと凝視している。

 榎本の後ろに壁掛けの鏡がある。それには榎本の背中とベッドに起き上がった由美子が映っている。

 榎本の背中に黒い影が走った。ホテルの照明は薄暗く、鏡に映った榎本の背中も鮮明に見えない。だが背中に黒い影のような物が動き回るのは見える。

 それは少しずつ形を成してきた。

 榎本の背中に大きな絵が描かれている。

 由美子の目にはそれは女に見えた。着物を着ている姿は浮世絵のようにも見える。

 腕に抱いているのは赤ん坊のようだ。

 やがてそれは色を成してきた。赤い色が入る。緑色も入る。紺色も入る。

 そしてそれは由美子の見ている前で完成された。

「き、岸田先輩……」

「え?」

 訝しげに榎本が由美子を見た。由美子の顔は引きつっている。

「突然、何を言う? 岸田君がどうしたって?」

「だ、だって……」

 絵の女がにやりと笑った。

 由美子ははっと息を飲んだ。

 そんな馬鹿な、見間違いだろうと思って目をこすってみた。

 また着物の女がにやっと笑った。

 そして腕に抱いている赤ん坊もにやっと笑った。

 由美子の体中がぞっとなった。

 女の手がすうっと動いた。しっしっと由美子に向かって、立ち去れ、と言っているように思えた。早く逃げなければきっと恐ろしい事になる、と由美子の本能が訴えた。

「どうした?」

 不可解な顔で榎本が由美子に近づいてくる。

 由美子は慌てて後ずさる。

(早う、お逃げ。さもないとお前も殺してしまうわな)

 と囁くような声がした。

 由美子の全身に鳥肌がたった。

 目は鏡の中の絵の女から離れないが、ぎこちない動作で洋服を着た。

 バックを握って、転がるように部屋を出て行った。

 榎本は呆然としている。

「おかしな奴だ」

 と由美子が逃げ去った部屋で榎本は呟いた。

「まあいい、由美子には金がかかりすぎるからな。他を探すか」

(呆れ果てた男だの)

「え?」

 榎本はきょろきょろと部屋を見渡す。声が聞こえたような気がしたからだ。

 もの凄く近くから、囁くような声で。

(憑き殺すのは易い事だえ……けれど、依頼人はものすごう怨んでなさる。気ぃすむようにしてあげるのが我らの役目……女の怨みは恐ろしいわな……身に染みなされ……)

 くすくすと女の笑い声がした。それに続いてきゃっきゃっと笑う子供の声。

「な、なんだ?」

 榎本は後ろを振り返った。

 だが、何もいない。鏡に映ったのは上半身裸の間抜けな自分の姿だった。

「帰るか」

 榎本はシャツを着た。ネクタイをして上着を手に取る。

「暑いな」

 急に汗が噴き出してくる。背中が熱い。

 よろよろとホテルを出て、すぐにタクシーに乗り込んだ。

 背中が痛くなってきた。ずきんずきんと疼く。

 体を丸めて膝を抱えるような姿勢の榎本に運転手が声をかけた。

「お客さん、具合、悪いんですか?」

「いや、大丈夫だ」

 体を起こして、少し風を入れれば気分もよくなるだろう、と窓を少し開けた。

「な……なんなんだ!」

 榎本が急に大声を出したので、運転手が驚いて車を急停止させた。

「何ですか! お客さん」

 運転手が振り返る。榎本は自分の足下を見ていた。

 榎本の足に赤ん坊がしがみついている。

 金太郎のような前掛け一丁の赤ん坊だ。しかし赤ん坊は不自然に大きかった。

 生まれたての赤ん坊のように見えるが、足下のシートいっぱいに体が詰まっている。

 榎本のズボンの裾を引っ張っている。

 榎本が下を向いているので、運転手が榎本の足下をのぞき込んだ。

「どうしたんですか?」

「き、君、これが見えないのか?!」

「はあ? お客さん、大丈夫ですか?」

 運転手は不審げな顔で榎本を見た。

「お、下りる」

 榎本は金を払ってタクシーから下りた。

 だが、自分の足にはまだ赤ん坊がしがみついている。

「わ! な、なんだ!?」 

 足をぶんぶんとはらっても、カバンで振りはらおうとしても赤ん坊はびくともしない。

 タクシーの運転手は一人で妙な動きをしている客をバックミラーで確認しながら車を発進させた。

「おかしな客が多くていけねえな」


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