表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

村シリーズ

夜を渡る火蛍

この話に登場する怪人:志骸(しがい)

悪の組織、『村』の怪人。滋賀の妖怪の子孫。

12歳から歳をとらない種族。爆弾魔。

潜入工作専門。

超小型爆弾を汗腺から大量に放出し、起爆させて戦う。起爆した爆弾は、ピンポン球サイズの光球となり、あらゆる物を(えぐ)る。

後輩たちの面倒見が良いため、組織上層部の信頼は厚い。



※※※※※※


 その日は夏真っ盛りで、アスファルトからめちゃめちゃに蒸気とかが昇っていて、僕と兄は気が遠くなりそうだった。

 僕は裕二といって、兄は敬一という。

 僕らは双子で、中学生で、迷える子羊みたいになっていた。


 14歳の僕らの目には、東京の街は途方もないダンジョンに映った。

 だって、僕らは全然ぱっとしない集落で育ったからだ。

 鬼怒川温泉の北、福島の手前で西にいくと、僕らの故郷がある。

 温泉すらない集落だけど、水は清らかで、蛍の頃は、夜が美しい、そんな土地だった。


 ちなみにここは、僕らの生まれ故郷ではない。

 14年前、父は広告代理店に勤めていたし、母はデザイナーだった。

 この代理店は、過酷な勤務形態と高額な報酬が有名な会社で、しばしば社会問題になる。

 母の勤め先も、似たようなものだった。


 だから、両親はこの頃の事を、今でも悔やんでいる。

『この頃にちゃんとした生活しなかったから……』

 とか、口には出さないけれど、何か事ある度に、顔に出す。

 それが親ってものなのかな。


 僕ら双子は、未熟児として産まれてきた。

 あと、小難しくて長ったらしい名前の病気も抱えていた。

 でも、だからどうだというんだ?


 僕らの病気は、当たり前の事だった。

 障害を抱える多くの人がそうであるように、それは自然なことだった。

 

 両親は、僕らのために、この土地に引っ越しをした。

 脱サラというやつだ。

 清らかな空気と、深い山林、自然の気に満ちた土地。

 これが、彼らの懺悔に必要だったんだろうなあ、と思う。

 あと、僕らの発育にも。


 母はデザイナーとして独立し、東京の会社とやりとりをしながら仕事をしていた。

 父はペンションをしながら、畑でトマトとかを作っていた。

 

 これはこれでやっていけないこともなかったと思う。。

 けれど、僕らの医療費もかかったし、やっぱりプライドが許さなかったのだろう。

 父はペンションの経営を軌道に乗せるべく、奮起した。


 東京の有名店を食べ歩いて、料理の技を盗み続けた末に、和食の隠れ里、みたいなよくわからないキャッチフレーズで、代理店のコネでテレビ出演したりした。

 母は嫌がったけれど、僕らの病気もねたに使った。


 僕は、何となくわかる。

 同情されるために、ここに来たわけじゃない。

 隠れ里といったって、そもそも隠れる以前に、人に知られてない場所だ。

 探す人のいない集落なのに、何をいってるんだこの人は、とおもったのが、

 小学高学年のころである。

 

 でも、ヒットした。

 ネットも無理やり引いて、週末以外も予約がたくさん入るようになった。

 

 近くにスキー場ができたこともあって、冬の方が儲かるようになった。


 こういう父のサクセスストーリーの間、僕らは入退院を繰り返しながら、13歳になった。

 僕ら兄弟の表面的な変化は、そんなところなのだろうか。

 父が仕事を頑張って宿が繁盛した。


 でも、内面的には、もっと違う深刻な事が起きていた。

 それは、僕らが双子で、こういう病気を抱えているからこそ、起きた変化だと思う。

 幼い頃は、僕らはお互いに、お互いの区別がつかなかった。


 僕は兄だったし、兄は僕だった。

 病気の悪化も寛解も、2人は二人三脚みたいに、ぴったり同じペースでサイクルをくるくるしていた。

 でも、ちょうど僕の背が、兄よりも少し高くなり始めたころ、からかな。


 僕は病気がそれほどでもなくなり、つまり、病気というアウシュビッツは出口が見えるようになってきた。

 反対に兄は、相変わらず定期的に体調を崩す。

 崩した時の、症状がどんどん重くなってきていた。

 底の無い沼。


 不思議なことに、僕の方がこのことを不快に思っていた気がする。

 親しみはなくても、日常として慣れていた日々が終わりを告げようとしていた。

 双子の兄を置いて。

 

 だから、水底から海面に浮上するみたいに、水面の光の揺らめきが、希望が見えてきているはずなのに、僕はいつもむしゃくしゃしていた。

 だから、よく分からない理由で、よく分からない非難を、周りにしていた。


 兄は僕と大違いで、穏やかな人だった。

 そもそも、怒るという行為には、血気が必要だ。

 僕の怒りは、結局力の顕れであり、兄には、無かったのかもしれない。

 でも、彼には別の力があった。

 病の苦痛を耐えぬき、物事を悲観しない力が。


 こんな感じかな。

 一緒だった僕らに、差が生まれて、僕がイライラして、兄は困ったみたいにほほ笑んでいた。

 そういう日々。


 ここを抜け出すきっかけは、ゲームだった。

 オンラインゲーム。

 RPGだ。

 

 舞台は中世。

 異世界と言ってもいい。

 人間や、色んな種族が、剣と魔法で、モンスターと戦い、広大な世界を旅する。


 オンラインの環境は整っていた。

 僕らは通信教育だったから、ネットに触れるのは抵抗がなかった。

 成績を下げないことを条件に、月額課金プレーヤーとして、僕らはその世界に足を踏み入れた。

 

 ファンタジー世界では、兄はkeyという女の子だった。

 小柄で、魔法が得意な種族だ。

 職業は魔法使い。

 

 僕はというと、ugという、やはり女の子である。

 兄と同じ種族で、職業は僧侶だった。


 2人ともネカマだったのは笑えたけどね。

 オンラインの世界で、病気とかそんな制限は全くなかった。

 人と差の無い、等質感。


 これが僕たちに無限を感じさせた。


 だから、僕らは無限の果てが見たくて、色々な所に、真っ先に飛び込んでいった。

 火山、雪原、湖、砂漠……。


 レベルは最先端をキープして、新装されたボスは真っ先に撃破していた。

 目的意識のある日々というのは、楽しい。


 そんなある日のことだ。

 いつもと同じように、新しいボスが導入された。

 僕は僧侶で、兄が魔法使い。

 回復と攻撃にステータス全振り。

 でも、打たれ弱い。

 

 いつもは街で盾役さんを探すのだけれど、その日は見つからなかった。

 ご新規さんというか、にわかさんが増えてたからね。

 平日だったし、そんなディープなプレーヤーは中々いない。

 いても、ギルドとかで行動している。

 基本、僕らはギルドとかには入らない。

 一回入りかけたけれど、リアルの事を訊かれたり、ナンパされたりするのが気持ち悪くて、やめた。


 だから、とりあえず見学に行こう、ということで、新マップの氷河に行ったんだ。

 

 近くにワープもない、恐ろしく遠い場所だった。

「綺麗だね、ここ」

「音楽いいな」

 そんな事をどちらともなく話しながら、そのマップに向かった。


 で、路を間違えて、ちょっと誰も来なさそうな行き止まりにきてしまった。

 雑魚敵も強い。

 なんせ、僕らは体力の無い種族だからね。

 兄も僕も、これは無理だね、と呟いて、街に戻ろうとした時、出会ったんだ。


 大きい種族のいかついおっさんが、死んで倒れていた。

 見た感じの装備はかなり強い部類だ。

 フレイムアーマー、フレイムハンマー、火喰い鳥の羽根つきメット、……。

 

 僕は蘇生魔法をかけた。

 いわゆる、辻ヒールである。


 おっさんは立ち上がって、

「助かった」

 と言った。

 ありがとう、ではなく、助かった、だった。


 僕らはおっさんを見上げながら、

「いえいえきになさらず」

 とチャットして、パタパタと手を振った。

 この種族の身振り手振りは、どれも可愛らしい。


 おっさんは考え込むモーションをした。

 画面越しでも伝わる圧迫感。

 髪型が、短髪に稲妻の反りこみ、吊り上がった三白眼に、突き出た頬骨、ごわごわの口髭。

 勧誘されないタイプだ。

 いわゆるソロ。

 でもこの装備を1人でそろえるのは、並大抵ではない。


「わたしたちは街にもどります。頑張って下さいねー」

 とチャットしようと思ったら、兄がトレード申請を受けた。


 なんか、取引したいらしい。


 兄は了承する。

 とりあえず、3939ゴールドを渡す。

 意味はさんきゅーさんきゅー、ありがとう、ということだ。


 取引画面を見て、僕らはびっくりした。

 新ボスのレアドロップアイテムが、贈られてきたからだ。

 もちろん、兄は断った。

 いきなり、こんな高価なものは頂けない。

 トレードを中止にする。

 おっさんはチャットしてきた。

「何故だ」

「受け取れません。高価すぎます」

 兄はそう返した。

「なるほど。オレは今絶望していた。こんなところで、こんな死に方をしてな。だから、礼がしたい。が、文無しなんだ。それしか、やれるもんがねえ」

 

……なんか、ぶっきらぼうだけど、いい人だな、て思ったんだ。

 リアルの僕は、隣の兄を見た。

 兄は頷く。


「では、良ければ、手伝って下さい。新ボス」

 兄、keyはおっさんにパーティ勧誘を送った。

 兄がリーダーだったからだ。


 おっさんは了承し、僕らはその日、新ボスのアイスドラゴンを77回討伐した。

 まあ、サンドバッグともいう。


 この日、ログオフの前に、僕らはフレンド登録をした。

 

 こうして僕ら2人は、オンラインでは、3人になった。

 不思議と、僕らがログインするころには、いつもおっさんはインしてて、ボスに瀕死の戦いを挑んでいた。

 で、僕らが駆け付けるのである。


 おっさんの名前は、fire/crafterと言った。

 花火職人という意味だ。

 大きい種族は、力が強い。

 HPは数ある種族でも一番ある。

 けれど、スピードが遅いもんだから、盾役が一般的だ。

 けれど、花火さん(ぼくらはおっさんを、そう呼んでいた)は、スピード特化装備を無理やり作って、ドーピングをしまくって、めちゃくちゃな速度で、ハンマーを振り回し、ボスを瞬殺するのである。

 しかも、必殺技は使わない。

 なのに敵を引き付けるヘイトはマックスという、とても変わったプレイヤーだった。


「ストレスたまってるのかなあ、花火さん」

「プレイ時間はやばいよね。ニートかなあ」

 僕らはよく、花火さんのそんな壮絶な戦いっぷりに感嘆しながら、そんな会話をしていた。


 

 こんな日々が一年ほど続き、僕らは14歳になった。

 この頃は、僕はもちろん、兄も調子が良かった。

 重症化の波は遠ざかっていた。


 だからかな。


「オフ会しませんか?」

 

 兄が、パーティチャットでそう言った時、僕は

「バンされる!」

 と叫んだ。

 

 馬鹿兄貴、何言ってるんだ。

 オフ会?

 こんなおっさんと?

 そりゃ、花火さんはドロップ譲るのも気前がいいし、強いし、話も時々楽しいけど、こんな、おっさんと?


 混乱する僕は、無駄に抗毒魔法を発動したりしていた。

 この時のボスはガチムチで、状態異常なんか使わないのに。


 ちなみに花火のおっさんは、返事をせずに、ひたすらハンマーを振り回していた。

 リアルで横の兄は、何故か寂しそうな顔をしていた。

 いや、心配するべきは、チャット内容だろう。

 運営に垢ばんされたら、ログインできなくなる。


 一通りの戦闘が終わって、ドロップアイテムの山分けが終わり、ログオフの直前。

 花火さんが、ぽつりと言ってきた。


「オフ会、やり方知らねえ。やったことがねえからな。だが、どうやるんだ? やり方教えてくれ」


 僕は、こんなに嬉しそうな、兄の顔を見たことが無い。

 蛍を眺める時も、重症化した病気が寛解した時も、こんな嬉しそうな兄は知らなかった。

 

 チャットを打とうとする兄から、コントローラーを取り上げる。

「だから、バンされるってば!」


 僕は必死で、話をとりまとめた。

 運営のばん、利用規約を説明して、隠語を伝えて、僕らが双子のネカマであることも明かした。

 

 花火さんは、

「そうか」

 とだけ言った。


 僕らは話しをすすめ、夏、新宿でオフ会をすることにした。


 この前の日は眠れなかった。

 おそらく兄もだろう。


 僕らは朝早くに、自宅を出た。

 神奈川の祖母の宅に、夏は遊びに行くのが通例だったから、特に怪しまれることは無かった。

 けれど、直前まで、兄の体調を、母に心配された。

 

 まあ、調子がいい時は大丈夫なのだ。

 薬も飲み忘れなければ、普通と変わらない、ふり、くらいはできる。

 つまり、僕がしっかりしていればいい。


 僕は母に、大船を約束し、駅まで車で送ってもらい、電車に乗った。

 

 日光と宇都宮で乗り換え、上野に向かう。

 つつがなく到着。

 僕と兄は電車で爆睡。

 それはそうだ。

 寝不足だったから。


 上野から山手線に乗り、新宿に向かう。


 で、絶望した。

 広すぎる。

 待ち合わせ場所の東口を探していたら、西に出てしまった。


 でも、なんとか、東口にたどり着く。

 けれど。

 大量の人人ひとひと……。


 どうすればいいのだろう。

 服装は前もって伝えていた。

 容姿を伝えるのは迷った。

 中学生2人とか言うと、疎まれるかなと思ったからだ。

 向こうも、教えてくれなかった。

「まあ、見ればわかるさ」

 と言われたとき、いっかついおっさんなんだろうなあ、と思った。



「keyとugか?」

 心臓が跳ねる。

 後ろから声をかけられた。

 振り返ると、ワンピースの女の子が1人、立っていた。

 

 新宿の人込みを、汗ばみ行き交う人々を、全部水墨画にしてしまうような、そんな

存在感のある女の子だった。

 歳は12~13.中1か小6。

 夜の闇みたいな黒髪。

 透き通ったおでこ。

 フランス人形みたいに整った鼻と口。

 こぼれそうに大きく、黒々とした瞳。


 美しいという言葉が、とても陳腐に思えるほどの、強い美を、僕は感じて、目をそらしてしまう。


「はい、keyです。こっちは弟のug。花火さんですか?」

「ああ。花火っつうか、fire/crafterだけどな」

 どぎまぎする僕をはために、兄は滑らかに言葉をだして、花火さんも、落ち着いたものだった。


「オフ会ってのは、初めてなんだが、照れるな。で、どこに行きゃあいいんだ?」

 小首をあどけなく傾げる彼女に、僕は、通りを渡ったスタバを提案した。


 僕らは、スタバで涼みながら、とてもとりとめのない話をしていたと思う。

 あまり覚えていない。

 緊張しすぎていたからだ。

 兄は普通に、穏やかに、でも饒舌に話していたけれど、これは彼が異常なんだと思う。

 

 だって、こんな綺麗な子が、花火のおっさんだったなんて!!

 ありえないだろう?


 まあ、花火さんも、少しびっくりしていたみたいだけど、すぐに、彼女なりの打ち解け方をしてくれた。

 

 つまり言葉はぶっきらぼうだったけれど、よく笑ったり、ほほ笑んだりしてくれた。

 そのたびに、世界がきらきらする錯覚を覚える。


 あ、これ、初恋かな?


 と、思った時、兄が会話に水を差した。

 ポーチを取り出して、中から薬を取り出して、錠剤をつまみだし、飲む。

 その姿を、花火さんは、黒く大きな瞳で、じっと見た。


 それから、とても長い病名を訊いてきた。

 これにはびっくりする。


 ほとんどの人は知らない病だからだ。

 兄は、はい、と言った。

 それから、僕も弟もそうですが、僕のほうが注意がいるんです、と付け加えた。


「そうか。いや、込み入った事情に頭突っ込んだ。すまない。保育所でな、遺伝病理学を取ってたからな、覚えがあったんだ」

 僕も兄も、きょとんとした。

 花火さんは苦笑をして、なんでもない、こっちの話だ、と言った。


 兄は、おしゃべりになる。

 気にしないでください、とか、産まれた時からこれが普通なんです、とか、この病気じゃなかったらゲームやってないです、とか、生きるってことは普通のヒトより大変だけど、大変なだけです、とか言っていた。

 

 要約すると、僕は病気を受け入れていますから、気にしないでください。


 ということだった。

 花火さんは、視線を下げて、

「ま、オレも遺伝病っちゃあ遺伝病だかんな」

 といって、ストローをぎゅっと潰した。

 それから、視線を上げて、口元に微笑みを浮かべる。

「お前らは、タフなんだな。タフな男は好きだ」

 僕は、赤くなった。

 兄が、ありがとうございます、と言った。


……僕らはその後も、色々な話をして、電話番号とかを交換したりして、オフ会は解散になった。


 

 これが、僕と兄と花火さんの鮮烈な記憶だ。

 花火のおっさんは、花火の美少女で、本当の名前は、しがいさんと言うそうだ。


 僕らはそれからも、相変わらずオンラインで、行動を共にしていた。

 

 けれど、それから2年後。

 兄の病状が悪化した。

 裏腹に僕は完治と言っても良く、薬も飲まなくなってよくなっていた。


 兄を侵す病気は、目も悪くした。

 だから、ゲームも禁止された。

 

 自宅療養も厳しくなり、専門の、長期療養施設に入所することになる、前の日、僕らはその事情を、

花火さんに話した。


「そうか、辛いな」

「まあ、病気は進むものですから」

「まあ、それもそうだ。だが、寂しいだろう」

「そうですね。ゲームができなくなるのも寂しいですし、施設は都会ですから、蛍もいませんからね。家の近所では蛍が見れるんです。とても綺麗で」

「そうか。それは寂しいな」


 こんな会話を、兄と花火さんはしていた。

 僕は沈黙していた。

 僕らのパーティは、当時の最強ボスを、77回瞬殺して、解散となった。


 翌日兄は入所した。


 僕は定期的に兄を見舞うことになった。

 随分と、離れたなあ、と思い、妙に寂しくなる。

 寂しすぎて、オンラインゲームも、疎くなってしまった。

 兄がいなくても、花火さんとのチャットに差し障りは無かったけれど、決定的な何かが欠けてしまった。

 画面の向こうには彼女がいて、その事を思う時には、胸の奥に甘いものがもたげた。

 けれど、それは違う気がしたんだ。

 花火さんが美少女だって知る前から、彼女との会話を求めていたのは、兄だった。

 

 もちろん僕が、花火さんと良い中になっても、兄なら、静かに笑って、祝福してくれるだろう。

 だからこそ、気がとがめて、そういう後ろめたさは結局、寂しい、てことだったんだろうな。

 花火さんは何も言わなかったけれど、そこら辺を全部分かった上で、僕と冒険をしてくれていた。


 でも、ある日彼女はこう言った。

「しばらく顔がだせなくなる」

「忙しくなるんですか?」

「まあ、そういうことだ」


 受験を頑張るように、とか、お前は地頭が良いから大丈夫だろう、とか、タフに生きてれば大概の物事は大丈夫だ、とか色々励ましてくれた花火さんは、最後に、

「じゃあな。keyにもよろしく伝えてくれ」

 と言って、ログオフした。


 僕は国立大学を受験し、運良く受かり、留年することもなく卒業して、フレックス制の、在宅勤務が可能なプログラマーになった。

 この間に彼女ができたりした。

 大学の1年後輩で、卒業後も2年つきあった。


 彼女には、僕が24歳の時に、プロポーズをしたけれど、あっさりと断られた。

 職場に気になる人がいる、というのが理由だったけれど、僕は何も言えなかった。

 というより、何を言っても、何も変わらない気がして、結局関係は消滅した。

 合わせるように仕事が忙しくなったのは幸いだったと思う。

 何かをしていれば、忘れられるからだ。

 痛みも、幸福も。


 それからさらに4年たった。

 冬のある日、携帯に着信。

 知らない番号だったので、でなかったら、ショートメールがきた。


 『花火だ。電話に出ろ』


 僕は掛けなおした。


「かなりお久しぶりです。ugです」

「ああ、久しぶりだな。元気か?」

「はい」

「keyはどうだ?」

「良くはないですね。あ、蛍が見たいって、いつも呟いてます、最近」


 とても長い時間をかけて、兄の病状は悪化していた。

 寝たきりに近い。

 不思議と回復したのは視力だけだ。

 病室の天井しか見ない、視力。

 酷い皮肉だ。

 でも、その皮肉も終わりに近い。

 色々な数値が、死が近い事を語っている。

 でも、28まで生きてくれたんだ。文句は出てこない。

 けど、そんなことは言えなかった。


 でも、伝わったのかな?


 病院と号室を訊かれたから、答える。

 でも、見舞いには来ないそうだ。

 代わりに、贈りものがあるから、と、日を指定された。

 この日の19:00に、南の窓を見るように、と。


 僕が答える前に、電話は切れた。

 もう一度かけたら、この番号は使われておりません、という無機質な音声が流れた。

 

 


 その日、僕は19:00に、兄を車いすに乗せて、南の窓、その向こうの景色を二人で見た。

 病室は5階にあった。

 夜でも眺めはいい。

 闇に浮かぶビルの木立。

 家々の灯り。

 暖色のテールランプの行列。


 50mほど先の向かいのビルの屋上の闇に、光が生れた。

 小さな、丸いサイリウムのような。

 それは1つからはじまって、次々に増殖していく。

 クリスマスのイルミネーションみたいな、温かい光。

 その点滅。

 柔らかな動き。

 それは、蛍みたいだった。


 僕は、その光の群れに唖然としながら、思う。


 蛍?

 冬に蛍?


 この夜に至るために、蛍はいくつの夜を渡るのだろう。

 渡ったのだろう。


 嗚咽が聞こえた。

 


 窓ガラスに映る兄は、泣いていた。


 彼は蛍をじっとみている。

 いや、違う。


 蛍の奥の、人。

 彼女は蛍たちに照らされている。

 黒髪。

 黒のロングコート。

 あどけなく、美しい目鼻立ち。

 黒々とした、こぼれそうな瞳。


 花火さんだった。

 あの夏の日の、14年前の花火さんが、そこにいた。

 魔法使いみたいに、両手のひらをこちらに開いて、佇んでいた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] うーむ、久しぶりまた読みましたけど、何度も読ませる良い作品だと思います。 >何かをしていれば忘れられるからだ。 >痛みも。幸福も。 こんな、叙情的な名言が惜しげもなく散りばめられている。 …
[良い点] 色々とぼかされる設定。それでいて進んでいく話。しかし、それによる読みにくさは何故かなく、ブラバしたい気分にはならないです。何だかとても幻想的で、どんどん読み進めていきたくなりました。 主…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ