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しをふたりでわかつまで  作者: 石清水 蝉
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つねにあるのにこわれやすいもの

「もうすぐこの世界は死んでしまう」。世界で昔から言い続けられてきた呪詛のような訓戒のような言葉だ。何故この世の過去の人々が世界というものに対してそこまで悲観的な考えを持ち続けてきたのかは今を生きる俺達には皆目見当がつかない。しかし、時が経ちまた今日まで何事もなく世界が存続してきた事も相俟ってその言葉は世の悲哀を表したものから「悪いことをすると世界の終りの時に神様にその身許へと導いてもらえなくなるよ」と子供を諫める為のものへと変わっていき、「この世の終末」なんてものは薄壁一枚隔てたところからだんだんと実感すらも持てなくなるほど遠くへと去っていった。



去っていったはずだった。











俺は客引きや喧嘩の応酬による喧騒で満ちたいつもの街を歩いていく。いつも通り、事も無き平和な街の様子だ。目的地へ向かって喧騒を抜けていくと、その中にいつもより「希赦協会」の声の交じりが多く混じっていることに気づく。


「ああー・・なるほど今日は神からの決別がなされたとかいう日、「闇の日」だったなあ・・。」


これは昔からある物語でその昔人類は神と呼ばれるべき存在になんでも見捨てられらしい。そのためこの世界はもうすぐ滅んでしまうとかこの世の生き物は神の愛を失って闇に落とされるとか考察するのも馬鹿馬鹿しい、せいぜいが子供を脅すのにしか使えないようなおとぎ話が伝えられている。そのおとぎ話の中で神様に見捨てられたこの日を、「闇の日」と伝えているらしい。


「大地の日」に世界の土台が作られこの世は産声を上げ

「大気の日」に神の息吹が世界を覆い

「緑の日」に神の微笑みで生命は息吹き

「水の日」に生みの苦しみに神は涙を流された

()の日」に神の愛情は燃え

「光の日」に神は生命へ栄光を与えようとなされ

「闇の日」に神はすべてを失望した


創世から終りまでのこの7つの期間を七日の名前に当てはめてその七日間を一つの区切りとして使用するのをそのまま現代まで使用しているわけだ。


・・・・・前から思ってたのだがこの神、生命へ栄光を与えようとした次の瞬間絶望するってテンションの上下激しすぎじゃねえかな。躁鬱病でも患っていたのか。


希赦会はこの話をもとに全てを見限った神に対して赦しを希う事を目的としているため、全てが見捨てられた「闇の日」にその求赦活動を活発にすることが多いのだ。通常子供の脅しとして使われる際は「世界の終りの日に導いてもらえなくなる」だが、この希赦会では「世界が終わった時」ではなく「死んだとき」にそれまでの人生で改心し神への贖罪へ身を捧げ続けていれば、神はその贖罪を受け入れ

死した魂をその身許の安寧の地へと導いて下る、と教え導いている。


・・・・・漠然とした「世界の終わり」では信者が中々集められないからより身近で単純な「死ぬ時」って設定したんだろうな。多分。


そんでもって、「神に許しを請うために美しき麗しい工芸品を捧げなさい」とか、「その贖罪の気持ちの大きさを、教会へ捧げる金銭にて表すのです」とかやってるんだろう。実際そんなの言ってるの聞いたことあるし。

そんなんに騙さるやつとかアホなのではと思う。思うのだがしかしこの世は憂き世、病気・事故・喧嘩の巻き込まれに人からの恨み、果てはクマに襲われるなど獣からの襲撃なんかでも死んでしまうほどこの世の中で別れは身近だ。そんな未来への恐怖、絶望を失くすために縋れる先がこの「希赦会」しかないのである。この教会に縋りついて贖罪をなせば、死後にも神の庭で笑って再開が出来る。そう信じることで何とか今を生きてけるそんな人々が贖罪と称し、己の持てる財を協会に捧げているというわけだ。

死や一人になってしまう孤独を恐れるのは生命の本能だろうから仕方ないとはいえ理性はしっかり働かせて縋る先を選んだ方がいいとは思うけどね。思うんだけどもね、でもね


選べるほどないんだよね。縋り先。


神様に縋る事すらまともにできないとは本当に世知辛い世の中だぜ。考えるとなんかむなしくなってきた・・。


いやいやテンションを下げてる場合じゃない。こんなにも喧嘩の野次で耳が破裂しそうなほどの喧騒の大きな中をいそいそと歩き続けてるのは何のためだ?


一年ぶりに釣りあげられた大きな体に顔面部分にちりばめられた金の鱗の輝きも美しい、幻の魚「金面鯛」を食べるためじゃないか!


刺身にした際に味わえる、その透き通った身に似つかわしくない濃厚なうまみを舌先に思い出し、俺のテンションとともに下がっていたはずの口角はニヤニヤと擬音が聞こえてきそうな表情を作る為いつの間にやら上昇していた。

そうだ・・・こんな今更の世界確認のためアホの希赦会の為テンション下げてる場合じゃない!「金面鯛」が俺を待っているのだ!というか、噂聞きつけた食い意地のはった野郎ともが釣り上げた漁師と提携している店に押しかけて俺の金面ちゃんが食い荒らされる可能性がある!急がねえと!


ちんたら歩いている場合じゃねえ!とばかりに俺は思いのままに駆けだすたのだった。


あの出来事は俺が食欲のままに店をめがけて疾走しているときに起こった。




例えるならば完全なる困惑。



から恐ろしいものを見た際にあがる恐怖でもなく。完全なる未知のものに対し起きる戦きでもなく。


別段見た事がある普通のやつなのだがなんで「それ」がここにいるのか、そしていつもと何かが違うような雰囲気が違うような気がするのだけどどういう事かもよくわからない。

そんな感じの純度100%の疑問の空気を通りかかった外門にいる門兵や周囲の通行しようとしている人、街の人たちからも感じ取り、俺も足を止め門の方へと視線を向けた。


それは鹿だった。



鹿なんていつもは見つかったら食用として狩られるのだからまかり間違っても人のそばになんて寄ってこない。いつだって森の奥深くにて群れで隠れ生きている。そのはずの鹿が今門の近くで佇んでこちらを見ている。門は一応小さい街ながら行商の馬車も通れるような大きさをとってあるし片側を入る人用もう片方を出ていく人用として使用しているので人も片側(鹿と反対側に)寄っていたためそれなりに距離は空いていたが・・いやそれでも近いよな。やっぱ珍しいな。というかなんか違和感あるんだよなあの鹿。なんだろうな。門兵たちも「なんでこんな近くに鹿が来るんだ?」って困惑してんのかな。


もしかしてこんだけ近くに来るという事はもしかして人に飼われてたとか?


時折少数ではあるが野生生物を食う、ではなく飼う人がいる。親が死んだ子供の動物とかを憐れんで飼ったり普通に独り身が寂しくて飼ったりする人がいるのだ。こいつももしかして飼われていた鹿が飼い主が死んでさ迷っていたとか?飼われてたという事は人に対する警戒心ほぼないだろうしな。もしくは普通に山の方にある村や集落で買われてたやつが単純に迷子になったとか?


「人に飼われてた的なエピソードあるならなんか食うのも憚れんな。」と保護してやった方がいいようなきがするなあ・・と鹿の方をじっと見ていたらふと違和感の正体に気づく。


体毛が真っ赤なんだあの鹿。しかも角がめっさ黒い。


遠いいうえに人越しの観察だったから気づくの遅れたけど普通の茶色っぽいやつらと違って体の色が赤い。そして角はちょっと大きめではあるが形はほぼ同じ。だけど黒い。

門兵や通門人たちが戸惑ってるのはそのこともあったんだな。しかもずーっと鳴き声を上げるでもなくただ佇んでるだけだもしなあ・・なんか不気味なオーラとかでてきそ・・・・・お?


俺がそこまで考えた時だった。今まで何をするでもなくただ仁王立ちを見せていただけであった赤鹿がいきなり首を後ろに反らし



その瞬間ボールのようないくつもの黒い塊が宙を舞っていた

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