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真っ黒なモナリザと彼女の水彩画

作者: ハルト

 絵の具の匂いを感じる。父がアトリエとして使っている部屋。

 僕にはまだはっきりと区別がつかないが、様々な道具の匂いが僕の嗅覚を刺激する。油絵の具の独特の匂い、資料の本の少し黴臭い香り、画材や何かのよくわからない幼い頃から嗅ぎ続けている香りが、そこら中から漂ってきている。

 父が絵を描く仕事としていることは幼い時から聞いていた。だが、父は世間がイメージする画家のような、いかにも芸術性にあふれる浮世離れした職人ではなく(本格的な画家が何を指すのか今ひとつわからないが)父の仕事は主にちょっとマイナーで芸術性のあるミュージシャンのPVを作るために絵を提供したりだとか、テレビ番組で使うこまごまとした、別にあっても無くてもいいような絵を提供したりだとか、何かの商品の広告ポスターのための絵を提供したりといった、いわゆる絵の何でも屋さん的な仕事をしているのだと教えられた。そしてその仕事やら営業やらの合間に、父は自分の好きなように描いた、大きさの自由な絵を、時間の許す限りを使って何枚か仕上げ、自らが開く個展などで発表しているのだとも、僕は聞いていた。

 父の創作活動が僕の見える範囲で行われていたから、僕は幼い頃から絵という存在に、強く興味をそそられていた。僕は父の絵が大好きだった。父の描いた様々な絵を見ながら育ち、そして僕自身も、絵を見よう見まねで画用紙に描いたりしたこともあった。そうやって父に影響されて絵に関心を持っている僕だが、しかし絵を描くには一つ、大きな障害があることも自覚していた。

 それを象徴するようなエピソードが一つある。僕が四歳になる頃だったか。幼稚園に入園して物心ついた辺りだ。僕は暇さえあれば父の絵を飽きもせずに、アトリエにこもって眺めることが習慣となっていた。僕は物静かで無口な子供だから、創作の邪魔をすることもなく、父も僕がアトリエに入り浸ることを――特に口にはしなかったが――許していたのだと思う。ある時、僕がずっと無言で絵を眺めつづけていると、父は微笑みながら、「佑介は絵が好きか」と訊ねてきた。僕は特に何も考えずに、頷いた。アニメを見るよりも、特撮ヒーローを見るよりも、父の絵を見ることで僕は安心感を覚えた。何より心が満たされる感覚があった。そのような気持ちを明確に口にしたわけではなかったが、僕が頷くだけで父は満足したようだった。そして僕の頷きを継いで、父はこう提案してきた。「だったら、一か月後の誕生日にお前のための絵を描いてやる」父はそう言って、実際に僕の四歳の誕生日に、自らの書いた絵を僕にプレゼントしてくれた。それは海の絵だった。昼間の空と海をポップな画風で描いた、子供にも親しみやすい絵だった。しかし僕は、それを貰った時に、父に向かって奇妙な言葉を発してしまったのである。

「どうだ。カラフルで、心が浮き浮きするだろ」

 父はにこやかな顔でそう聞いてきた。

 僕は言葉の意味がよく分からなかったので「カラフルって何?」と訊き返した。

「色がたくさん付いていて、楽しい感じの事だよ」

 父はそう答えてくれた。色という概念は知っていた。僕の見る景色の中にも、濃淡の違いやら、色の境目などはあった。僕は父から貰った絵を見てこう言った。

「全部ねずみいろだね。これってカラフル?」

 父は僕のその答えに、とても不思議な表情を見せて首を傾げた。父の目は、不思議な生物でも見ているかのようだった。僕はその翌日、父に病院に連れて行かれた。そして診断を受ける。色覚異常。僕は生まれつき、色を上手く認識できないらしい。青系統の色、赤系統の色、それらをうまく識別、区別することが出来ないらしいのだ。全色盲というわけではないが、僕の世界に存在する色というのは、他の健康な人のそれよりもごく限られていた。僕の世界のほとんどは、薄暗いモノトーンで構成されていた。なぜ両親が、僕の色覚異常を四歳になるまで気づかなかったのかと、今でもたまに不思議に思うのだが、僕は小さい頃からほとんど言葉を発したりせず、物を見た感想や感動を言葉で伝えようとしなかったから、その時になるまで判らなかったのだろうとそう考えることにしている。僕が伝えない限り、彼らには僕の異常なんて分からないのだ。家族であっても、近しい者であっても僕らは他人なのだから。僕らは言葉で、自らの異常を伝えていかなければならない。


 自分が色覚異常を有していると分かっても、僕は絵を描くことを止めなかった。と言うよりも、当時四歳だった僕には、障害を持っているということが、上手く理解できなかったのだと思う。僕にとって色の欠けた世界というのは当たり前の感覚であり、生まれた時から僕はその中で生きてきた。当然、皆も僕と同じように見えているのだと思っていたし、四歳の子供に他人との区別が上手くつくはずもなかった。自我でさえようやく芽生え始めた時期だったのだから。

 鉛筆で絵を描き続ける僕に対して、父は以前と変わらぬように接してくれた。とても有難かった。あの時は分からなかったが、僕のその病が発覚した時に、母も親戚も、僕の異常を知っている大人ははれ物に触るかのような態度で僕に接していたが、父だけは僕を変わらずに扱ってくれた。そのおかげもあってか、僕は自分がかわいそうな子だなんて思わずに済んだ。それは本当にありがたいことだった。父のそれが意識的なのか無意識だったのか。いずれにせよ、父は絵を描き続ける僕にアドバイスをくれ、色のついた絵を描いて誕生日にプレゼントし続けてくれた。

 それとは別に、小学校に入学した年に父があるプレゼントをしてくれたのを覚えている。これは思い出すだけでも笑えるのだが(もしかしたら笑い事じゃなくトラウマになっていたかもしれないが)、父は僕に色鉛筆をプレゼントしてくれたのだ。三十六色入りのものを(ときわいろ、まつばいろ、なんどいろ、などという聞いたこともないような不思議な色まで入っていた)。母をそのことで僕を慰め、父と小さな喧嘩をしたが、父は笑いながら僕と母に向けてこう言った。「別に色を識別できないからといって、色鉛筆を使っちゃいけないなんてことは無いだろう。絵は自由なんだ。制限なんてない。ルールもない。好きなように色を使えばいい。好きなように書けばいい。そこではお前は何にでもなれるし、どんな世界でも作ることが出来る。お前が色を識別できないと言うのならば、色鉛筆を適当に使って、自由に絵を描けばいい。そうしたら面白い絵を描けるぞ。空が青色だなんて誰が決めた? 土が茶色だなんて当たり前すぎてつまらない。お前はお前にしか書けない絵を描けばいい。色鉛筆はお前が思うように思うがままの場所に、塗ればいい。それがお前の世界だ。ただ灰色なだけじゃない。全ての場所に、概念なんか関係なしに、自由に色を塗れるのがお前と言う人間なんだ。俺は思うんだが、空が青色だと決まってしまった時から、色に名前を付けてしまった時から、俺らはつまらない絵しか描けなくなってしまったんだ。お前はその常識から解き放たれた人間だ。お前だけは、空を黒色に塗れるし、海を黄色に塗れる。その思いを込めて、俺はお前に色鉛筆を渡す。いいか。お前は絵を描き続けろ。絵はきっといつかお前を救う。お前が救われるときまで。そしてお前の絵が誰かを救う時まで、お前は絵を描き続けるんだ」

 普段お茶らけているような父が、真剣な顔をしているのを見たのは、絵を描いているとき以外ではそれが初めてだった。僕は、父から渡された色鉛筆を、頷きながら受け取った。それは僕にとって、魂と繋がっているような、そんなとても大事なもののように思えたからだ。


 それ以来、僕は父の言いつけを守るように、色のついた絵を描き続けている。

 小学校二年生になると、基礎的なことを学ぶために、絵画教室にも通うようになった。近所に住んでいる、昔大学で絵を教えていたというお爺さんが開いている、半ば趣味のような絵画教室。そこで僕は父から教わらなかったことを学んでいた。十四歳になった今、父はもういない。既に父が死んでから三年の月日が経っていた。僕が小学五年生の時に、父は亡くなってしまった。僕に対して父が最後に発した言葉は、絵は誰に対しても開かれている、という言葉だった。未だにその言葉に込められた意味が、上手く掴めてはいない。けれどそれは、思い出すたびに僕の心に温かみを広げる言葉であり続けている。


 お爺さんの絵画教室には、四名の生徒が通っていた。週に二回、授業が開かれ、粉と油を塗り合わせて絵の具を作る方法だとか、画布を貼ってキャンバスを作る方法などを、その先生から教わった。あまり堅苦しくない先生だった。厳しくせずに、生徒の感性に任せて、自らの経験からくるアドバイスを丁寧に与えるやり方は、僕の性格に合っていたのだろう。だからこそ、こうして数年間も続けていられるのだ。先生は、もちろん僕の障害について知っていた。それでも彼は僕に絵を教えてくれている。僕に合わせた色の使い方を教えてくれる。例えば、色はどんな場所に好きなように塗ってもいいのだが、どのくらいの厚さで塗ると色が映えるだとか、あまりこの色とこの色を近くに塗るべきではない、といった事を、感覚的に僕に教えてくれた。僕はそれを逐一覚えて、メモをして、体に染み込ませた。僕には見えないのだから、見える人に僕の色遣いを指摘してもらえるのは有難いことだった。


 学校に友達の少なかった僕だが、絵画教室ではいつも一緒になる女の子と仲良くなった。彼女は同じ日の同じ時間に授業を取っていて、最初はあまり話をしなかったが、次第にお互い話をするようになり、一緒に帰ったりする仲となった。

 彼女の名前は、雪原結衣。

 僕より一つ年上で、人懐っこい性格の女の子だった。彼女は水彩画を好んで描いていた。それに対して、僕は基本的に鉛筆画を描いていた。鉛筆画を書くきっかけとなったのは、もちろん父から貰った色鉛筆なのだが、しかし鉛筆画の素朴さは、理由もなしに僕の心を惹いた。僕の習作の為にと先生が描いた、本物と見間違うほどのリアリティで描かれた猫の鉛筆画を見た時、僕が目指している場所はそこなんだと感じることが出来た。だから僕は鉛筆画しか描かなかった。結衣は水彩画にて、ファンタジーの景色を書くのが好きだった。いろんな可愛らしい動物が出てきたり、魔導師が描かれていたり、中世ヨーロッパ風のお城が描かれていたり。それは彼女がアニメや漫画が好きなところからきているのだろうが、彼女が描く不思議な色遣いの水彩画は、僕の心を掴んで止まなかった。そして彼女自身の話し方や仕草、そして顔の美しさだったり、彼女の放つ生の感触の一つ一つが、妙に僕の心をざわつかせ、高鳴らせた。はっきり言ってしまえば、僕は彼女に恋をしていた。恐らくこれが恋い焦がれるという感覚なのだと思う。

 隣で歩く彼女の声を聴くことだったり、可愛らしく笑う仕草だったり、髪から香るトリートメントの甘い匂いが、いつも僕をドキドキさせた。混乱させた。僕は紛れもなく彼女に恋していた。しかしながら、一つだけ大きな問題があった。彼女にはすでに恋人がいて、そこに僕の入り込む隙間はなさそうだということだ。その事実が僕の心を傷つけ、嫉妬心を煽り、孤独に向かわせていた。そして僕は、以前よりも絵の世界に浸る時間が多くなっていた。


 学校から帰って来てからも、休日の朝から晩までも、僕は暇さえあれば絵の世界に没入することを自分に強いた。僕は言葉を持たなかった。他人と話をすることを好まなかったこともあるが、僕には絵の世界があれば十分だった。絵画教室の先生は、僕の絵の上達に驚いているようだった。僕は雪原さんをモデルに、人物画を描くようになっていた。それは誰にも秘密にしていたが、恐らく先生にはバレているような気がした。

「君の絵は、私らの常識を超越しているよ」

 先生は時たま、そう呟いて僕の描いている絵を眺めた。それが純粋なる褒め言葉なのか、或いは皮肉としての言葉なのかはわからなかったが、その言葉を聞いても悪い気分にはならなかった。僕の気持ちが塗り込められたその絵は、良い方にも悪い方にも、常識を超越しているような気がした。色彩異常の男に塗られる雪原さんの世界。僕は彼女の背景を暗い色で塗るのが好きだった。紫や藍色という色の感覚が僕には全く分からなかったが、その暗く濃い色が、何故だか彼女にはひどく似合っているような気がしたのだ。一度、雪原さんをモデルとした、天国を破壊する悪魔の絵を描いている時に、隣で作業をしていた雪原さんが声をかけてきたことがあった。

「それ、すごく醜くて美しいね」

 僕の描いていた絵を指差して、雪原さんは淡く微笑みながらそう言って首を傾けた。僕は思わず恥ずかしさのあまりに顔を背けてしまい、小さな声で「ありがとう」と呟くことしかできなかった。後から考えてみれば、それがほめ言葉だったのか、皮肉だったのかは分からなかったので、僕の感謝は滑稽だったかもしれない。

 しかしながら、すごく醜くて美しい。

 雪原さんが発したその言葉自体が、とても詩的で刺激的なものだったが、その言葉は雪原さんをモデルに描かれたこの絵にとても似合っている気がした。彼女はこの絵が自分自身をモデルとして描かれていることに気付いていたのだろうか。それをわかったうえで、醜くて美しいと言ったのだろうか。

 恐らく、醜くて美しくなってしまったのは、僕の心の中で膨れ上がる雪原さんの偶像が、絵に現れた結果なのだろう。僕は雪原さんと恋仲になりたかった。雪原さんと口付けがしたかった。雪原さんとセックスがしたかった。雪原さんを犯したかった。雪原さんの裸を描いてみたかった。眠っている雪原さんの肌に絵の具を塗ってみたかった。雪原さんと誰も知らない場所に行って、誰も知らないものを作りたかった。雪原さんを僕の物にしてみたかった。そういう欲望に塗れた、僕の心の中に存在する雪原さんの像こそが、もっと言えば雪原さんを想う僕の心自体が、醜くて美しいのだろうと思った。


 雪原さんは、高校に入学すると共に絵画教室に通わなくなった。僕は自分の恋心を彼女に告白することはしなかったし、そもそも彼女のメールアドレスすら知らなかった。彼女とは絵画教室で話すだけで、僕らは友達以上の関係に至れなかった。それ以来、彼女と会う機会はなくなった。彼女の家の場所は知っていたが、そこに向かう勇気もなかった。会わなくなって、彼女への思いがどんどん強くなるのを感じていた。思いが強くなりすぎて、僕の中で雪原さんは、どんどん神格化していくような感覚があった。


 雪原さんがいない生活を送るようになっても、相変わらず僕の世界に色は存在しなかった。高校に行っても友達は出来なかった。美術科がある高校で好きなことを学んでいたが、僕は他人とコミュニケーションを取ろうとはしなかった。友達なんていらなかった。クラスの女はみんな雪原さん以下のクズとブスだけだったし、男は頭の悪い猿だらけだった。一人だけ杉内という男がいて、そいつとだけはたまに話をすることがあった。音楽科に通う、エレクトロニカやポストロック、アンビエントミュージックなどに詳しい奴だった。学校の中で、一番まともな奴だった。

「僕は死んだ人の音楽しか聞かないんだ。天才ってさ、本当に短い期間の中でその生命力、エネルギーの全部を費やして、すごい作品を作るんだ。だから早く死ぬのなんて当たり前なんだよ。だってさ、馬鹿みたいに無益な事をやり続ける凡人の暮らしを何十年も続けるのならさ、すごい作品を作って早死にする方が良いよな。だから早死にした天才たちは、僕にとってあこがれなんだよ。僕も早く死にたい。出来れば二十五歳くらいで。遅くとも三十歳位で。まあスパークルホースのマーク・リンカスみたいに、若いころずっと燻っていて、あるときすごい作品を出して、結局自殺っていうのもいいけど。でも僕は一生分のエネルギーを使って、何か音楽を作りたいんだ。それだけでいい。それが出来なきゃ。僕は死ぬよ。結局生きたって死んでるのと同じなんだから」

 杉内はよくそのような話をした。彼には才能があったが、とても繊細で感受性の強い男だった。そしてそれは、僕の性格とよく似ていた。だから僕ら二人は、お互い少しなりとも分かり合えたのかもしれない。もちろんだからこそ、僕らは親しい友達にならなかったわけだが。


 僕の絵は、世間から評価されるようになった。高校に入ったばかりの頃までは、僕の絵は評価されなかった。例えば賞などに応募してみても、選考を通過することさえなかった。僕はそれでいいと思っていた。他人から評価される必要などないと思っていた。僕はただ、自分の感情や思考を、筆を通じて吐き出しているだけだった。それは自分にとって必要だからやっていただけだ。もちろん世間から評価されたらどうなるのだろうと言う、虚栄心を含んだ思いがあったからこそコンクールなどにも参加したわけだが、選考の当落は本質的にはどうでもいいことだった。だが、高校三年の夏、僕の絵はとあるコンクールで審査員賞を貰う事となった。それはフランスで開かれている業界内ではわりと有名なコンクールだった。今までは日本のコンクールにきり応募していなかったが、高校三年になって、絵画教室の先生が僕にこう言ったのだ。もしや君の感性は、海外での方が受け入れられるかもしれん。そうして先生は業界関係者に当たって、僕の絵をコンクールに出品してくれた。その業界関係者は、僕が持つ不思議な色遣いを高く評価してくれた。出品にかかる費用は、彼が全て負担してくれた。

 僕が描いた絵は、鉛筆による抽象画だった。たくさんの魚が、目から星を零れ落としながら、空に向かって逆さまに泳いでいる。それを雪原さんが食べている。洪水に飲まれた町の巨大なビルに腰掛けて、緑色のワンピースに日傘を差して。上手に箸を使いながら。雪原さんは目の見えない魚を食べている。そんな雪原さんの目にはたくさんの魚が写っていて、それは夜空に浮かぶ星雲みたいに渦巻いてキラキラと輝いている。ビルの中では男たちが殺し合いをしている。男たちから流れ出る血は水色で、まるで涙を流すみたいに、全身から血が溢れ出している。そしてたくさんの女がその血を舐めながら、男たちの洋服に自らが付けた数字を書き込んでいく。空にはたくさんの藍色の向日葵が咲いていて、空を町中にばら撒かれている。雪原さんの足は溶けかけていて、街に打ち寄せる津波と混ざり合っている。

 審査員を務める業界の変わり者の男が、僕の絵をこう評した。

「技術は拙く、構図もごちゃごちゃしていて、気持ち悪い。だが彼には気持ち悪いモナリザを描く才能はある。心に訴える気持ち悪さは、技術を磨き過ぎた僕らには出来ない」

 僕は受賞を知ったその日に、雪原さんの家に向かった。


 雪原さんは、以前の様に優しい微笑で僕を迎えてくれた。その事で、僕は思っていた以上に安心することが出来た。もしかしたら、僕は彼女に拒絶されるのではないかと思っていたのだ。昔一緒の教室に通っていただけの男が、ストーカーみたいに家に訪れる。その事で彼女は、僕を罵るのではないかと密かに懸念していたのだ。だが彼女は、僕の来訪を喜んでくれた。家に招き入れてくれさえした。そして僕らはリビングで語り合った。主に僕の絵画が受賞したことについて。彼女はそれを喜び、僕を誉めてくれた。僕はこの世でたった一人の天使に誉められたことで、まるで心臓が耳に張り付いているのかと思うくらいの鼓動の高鳴りを感じた。

「あなたの絵、見たわ」

 雪原さんは、俯きながら座る僕に向かってそう言った。

「たまたまね、いつもよく見る雑誌に貴方の名前が載っていて、私、嬉しくなって。絵画展に行ったの。かつての友達が成功している姿って、なんだか私も嬉しく感じてしまうもの」

 雪原さんはそう言って、本当に嬉しそうな顔をして微笑んでくれた。僕はその笑顔を向けられたことで、もう自分を押さえることが出来なくなってしまっていた。僕は唐突に立ち上がると、汗でぬれた手をジーンズで拭って彼女の目を見つめた。突然に立ち上がった僕を、彼女は不思議そうな表情で見つめていた。僕は拳をぎゅっと固く握り、ゆっくりと雪原さんに迫った。鼓動がおかしなくらい早まって、額からも汗が止まらなかった。僕は顔を近づけて、彼女の薄桃色の可愛らしい唇に、自らの唇を寄せていった。何故だろう。僕はこの家に来てから、どうしても彼女とキスをしなければならないような、そんな気がしていた。この雰囲気なら、キスをしても許されそうな気がしていた。僕は突然に湧き上がった、彼女に対する愛おしい欲望に身を任せた。今この瞬間なら、彼女は僕を受け入れてくれるだろうと、僕は思っていた。

 が、彼女は自らの唇と僕の唇の間に存在する空間に、拒絶をするように手を置いて壁を作った。僕も驚いた表情をしたが、彼女の方が驚き、そして戸惑ったような、そんな困惑した表情を見せていた。

「だ、駄目っ。えっ、なに? 私たちって、そういうんじゃないでしょ?」

 そういうんじゃない――

 僕は彼女が発した、その曖昧な言葉に戸惑ってしまった。

彼女が今言った、『そういうの』とは一体何を指しているのだろう。彼女にとって、僕はどういう事であって、どういう存在なのだろうか。そういう、という語句が指す具体的な意味を、僕はよく理解することが出来なかった。

「私さ、ちゃんと付き合っている人がいるし、だから、もしあなたが私にそういう感情を抱いてくれていたのなら、それ自体は嬉しいんだけど……でも、ごめんなさい」

 彼女はそう言って、何故か僕に頭を下げた。僕はこの家に来てから唐突に起こった一連の流れを、自分がしでかした愚かな行為を、まるで他人事のように思い返して、呆然としていた。なぜこんなことになったのだろう。一瞬のうちに、いろんなことが通り過ぎて行ったような気がした。僕は彼女と付き合うことが出来ない。彼女には彼氏がいる。それなのに僕はキスをしようとしてしまった。僕は彼女と付き合えない。彼女をどうすることもできない。遠くからしか眺めることが出来ない。それは僕にとって、正しく言葉の通りに絶望だった。望みが絶たれた気分だった。頭の中には、よく分からないが、笑いながら首をつっているピエロの映像が浮かび、それは長い間離れなかった。


 それ以来、僕は時間の全てを使って絵に没頭するようになった。一日二十時間、僕は絵を描くことだけを己に強いた。そんな生活を、僕は五年近く続けていた。昔、絵画教室の先生が言っていたことだったが、有名な画家になる人は、一日のうち二十時間を絵に費やす、それを苦としない人間だけがなる事が出来る、と言っていたことを思い出した。その言葉を信じたたわけでもなかったが、雪原さんの幻想が壊れた僕の世界では、もはや絵しか残されていなかった。雪原さんと言う、素敵な色が僕の世界から消え去ってしまった。だから僕は色のない世界で、皮肉にも不思議な色遣いの世界を描き続けた。それは只の作業のようなものだったが、絵を描いている間だけは不思議と安らぎを感じることが出来た。僕の絵はしかし、だんだんとフランスを中心に評価され始め、高額な値段が付けられるようになった。もちろん、僕にとってその事実はどうでもいいことだった。僕には最早、何の救いも存在しないのだ。僕の絵を見て救われる人が何万人いたとしても、僕自身は一度も救われることがないのだ。大勢の人が僕の絵の色遣いを褒めてくれたところで、僕にはその色が見えないのだ。どれだけたくさんのお金をもらうことが出来たって、僕には使い道さえ思いつけないのだ。もう僕には絵を描くことしか、生きる目的は残されていなかった。ずっと死ぬまで絵を描き続けて、奴隷のように描き続けて、知らない人たちに影響を与え続けるのだろうと思った。もちろんそんな生活の中で、女の子と触れ合うこともしなかった。僕にとって、雪原さん以外の女の人は、悪魔にしか見えなかった。と言うよりも、女の人それ自体を悪魔としてしか見られなくなった。


 かつての友だった杉内は、エレクトロニカのアーティストとして、国内外で評価されていた。が、もちろんそんな狭い業界で評価されたところで、彼が食っていけるはずがなかった。彼は音楽を作る合間に、犯罪行為に手を出すようになった。マイナーな麻薬を売ったり、女性を脅して犯してから金持ちに売ったり、そう言った社会的にクズな人間になっていた。そのクズさが、とても彼に似合っているような気がして、とても自然に振舞っているような気がして、僕は彼に好感を持った。

「お前にも女を回してやろうか」

 ある時、杉内と会った時に、彼は僕に向かってそう言ってきたことがあった。その言葉を聞いて、僕は自然と、彼に雪原さんを犯す手伝いをしてもらうことを想像していた。彼女を薬かなんかで眠らせて、好き放題に犯す様を想像した。そこまで堕ちてしまうのも悪くないような気がしたが、しかし何故だかそれをしてはいけないような気も、心の奥底ではしていたのだった。社会的倫理だとか、法律のことだとか、そのような保身的な事を気にしたわけではなかった。僕にとって、彼女は絶対に汚されてはいけない存在だと、思い出したのだ。たとえ雪原さんが他の男と付き合っていようが、彼女は僕の想い出の中で一番清らかで美しい存在であって、そのような存在を自らが汚してしまっては、僕はもう残りの人生を、生きてはいけなくなるような、そんな気がしたのだ。

 

 それ以来、僕は再び雪原さんを描くようになっていた。

 美しい日本女性を描く画家として、僕は業界内で話題になっていた。

 そうして僕は生涯を通して、かつての記憶の中の雪原さんの姿を描き続けた。それはどんどん美化され、抽象化され、かつてのそれとはもはや全く違う姿になってしまっていたが、彼女は変わらずに僕の中の天使で在り続けた。僕は死ぬまで雪原さんを愛し続けたし、それがたとえ、普通の人からは歪んで見えたとしても、それは僕にとって、紛れもない純粋な愛だったのだ。だから僕は常に彼女の幸せを願っていたし、僕は彼女の幸せを祈りつづけながら、生きていった。この寂しい生涯の中で、不意に現れた天使に、僕は感謝し続けた。彼女は僕の人生の中に現れた、奇跡の産物だったのだろう。僕の色のない世界に、少しの間だけ現れた、奇跡だったのだ。僕は七十三歳になって、死ぬ間際に、一人で、病院のベッドの上で、僕に起こった奇跡を思い出しながら、目を閉じた。あの美しい奇跡のおかげで、僕は生きていくことが出来たのだ。その短い間の奇跡が、僕の一生分のエネルギーとなって、僕は生きていくことが出来たのだ。瞼の裏に浮かぶ彼女の姿を、僕は眺めつづけていた。微かな涙が、一度も流したことのない涙が、頬を伝って流れていったような気がした。がん治療の末の、ひどい痛みが治まって安らかな気分で目を閉じると、雪原さんの姿が、可憐に揺れる髪が、幼い笑顔が、舌足らずな甘い声が、大きく潤んだ瞳が、浮かんできた。様々な色で飾られた彼女が、僕を手招いて、優しい声で呼んでいたのだ。死ぬその瞬間にだけ、僕の世界には色が宿ったような、そんな不思議な気が、したのだ。

 最後に、天使が迎えに来たような、そんな暖かい気持ちで、僕は闇の底に沈んでいった。

 それは悪くない心地よさだった。

 最後に見た色は、とても美しい色だった。

 真っ黒なモナリザと彼女の水彩画のように。


三年くらい前の作品。SS速報でトリップをつけて書いていた時に投稿していたもの。

ここに久々にログインしたら修正したまま投稿されずに置いてあったので、投稿してみました。

忌憚のない感想をいただけたら嬉しいです。

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