第五章 決戦
ボウストはコーヒーの香りで目が覚めた。
身体の節々が痛いが、動けないほどではない。むしろ、戦闘直後の状態よりは全然ラクだった。
ここはどこだ?
丸太を組んで作った家……と言うよりは、小屋のような物だろう。木々の隙間から入る風が冷たい。
確か人に会って……。
そうだ! 今はどのくらいなのだ? 昼までに頂上に向かわなくては、秋留を救うどころではない。ボウストは内心焦って飛び起きた。
窓のないこの部屋からは、外がどうなっているのかが分からない。丸太の隙間から入る日差しだけでは、ボウストには今がどれくらいの時間なのかが想像つかなかった。
ボウストは唯一の出口に小走りに向かった。ドアノブを音を立てて回す。
途端にコーヒーの匂いが漂った。
「ちくしょう、どうなってやがる? 誰だよ俺んちを荒らしたのはっ!」
目の前ではカップを片手に先程山で会った奴が怒鳴っていた。
「今、何時だ?」
ボウストはこの場所や目の前で怒る人間の事より、時間が気になっていた。秋留のことが気に掛かる。
「ったく、砂糖もありゃしねぇ……」
目の前の男は、答える代わりにボウストの後ろを指で指した。男の視線を指で辿る。旧式の振り子時計がそこには掛かっていた。
十時四十一分。
ボウストは小さな溜息をついた。
「あんた、魔族がどうのとか言ってたが、どうして頂上に行きたいんだ?」
真っ黒な色をしたコーヒーが、目の前に差し出される。
「連れの少女が魔族に攫われたんだ。昼までに頂上に行かないと……」
「殺すってか?」
かぁー、あんたも変なことに巻き込まれたもんだ。
男は心底面倒くさそうに言った。
「頂上まではどのくらいだ?」
ボウストは二番目に気になっていた事を聞いた。
頂上までの距離が長ければ、こんな所でゆっくりしている暇はない。ボウストはもう一度時計を見た。
「残念だったな……」
言って男はコーヒーを一口飲んだ。
「ここはもう、ほぼ頂上だぜ。火口まではニ、三分ってところさ」
ニヤリと口の端だけを上げて男が笑った。
張り詰めていた気が一気に抜ける。
「ふぅ……助かったよ」
ボウストは素直に礼を述べてコーヒーを口に含んだ。砂糖の入っていないコーヒーは苦く、熱い液体が胃に染み渡る。
「ボウストって言ったっけ? そんなボロボロで、その……大丈夫なのか?」
魔族に攫われた娘を助けると言う事は、魔族と戦う事に等しい。
男の見た限りではボウストは、傷だらけのようだ。運んだ時に気づいたが、腕も一本ない。
「魔族とはつくづく縁があるからな……」
そう言って自分も口端で笑う。
「くくっ! そんな縁、俺はいらんがな」
「あんたはどうしてこんな所にいるんだ?」
大金鎚を振り回して山の中を歩いている大男なんて、滅多に見かけるものではない。
「俺か? ……俺は奈良樹。ここで鍛冶屋をやっている」
「あんたが鍛冶屋か!」
ボウストは目の前の男をしげしげと見つめた。
確かに偏屈そうではあるが、鍛冶屋と言うより戦士に近いのではなかろうか。
もう秋だと言うのに、タンクトップ一枚と言う見るだけで寒くなるような格好をしている。そこから覗く二の腕は、とてつもなく太い。
身長も百八十センチのボウストより、かなり高い。
「あんたにも用があったんだが、秋留を助けてからにするよ」
「用? まぁいい。俺は魔族なんかに関わりたくないんでね」
ボウストには奈良樹がついて来ない事の方がありがたかった。下手について来られたら、守らなければならない相手が増える。
それは戦いにとって弱みとなるのだ。
「だがまぁ昼に待ち合わせなんだったら、ここで休んで行ってもいいぜ」
普段なら有難い申し出だったのだろうが、いかんせんボウストは急いでいた。昼までに来いとは言われたが、遅ければ遅いほど秋留は魔族の所に長くいる事になる。
「いや、いい。もう行くよ」
ボウストは残っていたコーヒーを飲み干すと、目の前のテーブルにカップを置いた。
「精々生きて帰ってくるんだな」
奈良樹は奈良樹なりの労いの言葉を掛けた。奈良樹はボウストの言う事を半分くらいしか信用していない。
第一、魔族に抵抗しようとしている奴がこんなにヒョロくてボロかったら、殺してくださいと言っているような物だ。
奈良樹にとって武とは強力な武器であり、それを使いこなす強靭な筋肉……つまり力だった。だから尚更ボウストの言葉は信用ならない。どうせ、人型のモンスターを魔族と見間違えたんだろう。
本当に魔族と戦うなら加勢をしないでもないが、モンスターあたりなら何とか勝って来れるだろうと奈良樹は読んでいた。
「あぁ、色々すまないな」
ボウストはそう言って小屋を出た。
ボウストが歩いていた時はうっそうと生えていた木が、今はまばらにその姿を残すだけだ。真上近くなってきた陽の光がまぶしく、ボウストは少しだけ目を細めた。
「秋留、待ってろ! 今行く」
ボウストは自分自身に言い聞かすように言った。
火口まで後少し。ボウストは照りつける陽の中、火口に向かって歩き出した。
「クックック……来たようだな。ボウストォ!」
キルハートは木の枝に座り、ボウストを見下ろしていた。見晴らしのいい木の上からは、随分遠くからボウストの姿が見えていた。
監視するわけではないが、ボウストがインビシブルを使っていないかを確認するくらいはしておきたかった。
この前の様に不意打ちで魔力を吸い取られたら、たまったものじゃない。ニ度もやられては魔族の笑いものだ。
キルハートはそれを思うと屈辱に唇をかんだ。
「秋留は無事かっ?」
ボウストは、やたら娘の事を気にしているようだ。キルハートは秋留にも恨みがあったが、目の前にオイシイ獲物が待っているのだ。その前につまらぬ小物を殺しても何の喜びにもならない。
「そこにいるだろ? ククッ」
キルハートにしては珍しく素直に教えてやる。これから楽しい事になるのだ。そう思うと、自然に笑いが零れた。
キルハートの座っている木の後ろから、秋留はボウストの前に出た。見た目には変わっているところはどこもない。強いて言えば、キルハートが顔につけた傷が赤い筋として残っているだけだ。
さて、感動の対面といったところか……。キルハートは上から二人の様子を見下ろす。
「秋留っ! 大丈夫か?」
ボウストはその場で秋留に声を掛けた。
秋留はゆっくりとボウストに近づく。
「ふふっ、何を心配しているのかしら?」
秋留の表情もどこか楽しそうだ。キルハートはその態度に満足して言った。
「傷など、どこにもつけてないぞ」
実際、怪我などはさせていない。少々薬を飲ませただけだ。キルハートはそう言いたいのを堪えた。楽しみはこれからなのだ。
木の上からではボウストの表情が良く見えない。こういう事は間近で楽しむに限る。キルハートはそう思って木から飛び降りた。
およそ五メートルの距離をスタッと落ちる。キルハートにとって、このくらいの高さなど何でもなかった。
「随分来るのが早いが、俺の置いてきた土産はあんまり役には立たなかったかな?」
ボウストの傷を抉ろうとアークヒルの時の邪妖精をけしかけたが、ボウストの様子を見る限りでは、やはり荷が重かったようだ。
どちらにしても、楽しみは自分の目にしっかりと焼きつけたい。ボウストの首を持って帰るのはこの俺なのだ。邪妖精ごときに楽しみを奪われたら、殺しても殺したりない事だろう。
そう思いつつキルハートは秋留に歩み寄り、その細い肩に腕を回した。秋留はちらりとキルハートを見たが、何も言わず動きもしなかった。
「さて、じゃあ本日のショーと行こうか!」
わざわざこのために日をずらし、ボウストをここまで来させたのだ。
精々役に立ってくれよ。
キルハートはそういう思いで秋留を見つめる。娘は焦がれるようにキルハートを見て、その後ボウストに視線を移した。
「秋留よ、ボウストを殺せ!」
ボウストは自分の耳を疑った。秋留がキルハートの命令を聞く訳がない。
その期待は見事に裏切られた。
「はい、キルハート様……」
秋留は腰からショートソードを抜く。雫沫を出る時に村長から受け取っていた精霊の短剣だ。
「剣に宿りし風の精よ、我に力を!」
秋留が力ある言葉を放つと同時に、短剣が風を帯びた。
「秋留っ! なぜだっ?」
ボウストには、秋留がなぜ自分に攻撃しようとしているのかが分からなかった。短剣とレイピアでは、短剣の方が分が悪い。とは言え、ボウストは秋留に攻撃など出来るわけがなかった。
「ボウスト、覚悟ォ!」
守ってくださいと言った、同じ声で、同じ唇で、ボウストに言う。
秋留は両手で柄を握り、真っ直ぐに突き出した。
ボウストは、それをひらりと避ける。だが風を纏ったそれは、当たらない物さえも切り裂くようだ。ボウストのマントが少し裂けた。
「あれ? 避けないでよ! 当たらないじゃないのっ」
秋留は冗談を言うような口ぶりで怒った。
そんな事を言われてもボウストも避けないわけにはいかない。ボウストは秋留が次々に繰り出してくる攻撃を全て避ける。
「秋留! 頼む、正気に戻ってくれ!」
ボウストは懇願するように叫んだ。
「正気に戻る……? 何を言ってるの? 私はいつだって正気よ!」
変なのはあんたの方じゃない!
秋留はボウストに当たらない攻撃をしつつ言った。このままでは埒があかない。二人は同時にそう思う。
「クックック。どうした、秋留? そいつは憎い仇だぞ」
最初に座っていた木の、幹に寄り掛かっていたキルハートが秋留を煽る。
今の秋留はキルハートによって、ニセの記憶でも埋め込まれているのだろうか? ボウストはそう思ったが、どうすれば治るのか、その手立てが思い浮かばない。
「仇……。春菜の、仇ィィィ!」
秋留は叫ぶとボウストに飛び掛る。秋留に剣技などと言うものは殆どない。ただ柄を握り締め、真っ直ぐに突き出す。それだけだった。
ボウストは秋留の攻撃を見切り、手刀で手首を打った。
「痛っ!」
地面に短剣が落ちる。秋留の手を離れた短剣は風の力を失い、普通の剣に戻った。
「ヒドイ……。ボウスト、どうしてそういう事するの?」
目に涙を浮かべて秋留はボウストを見る。ボウストに打たれた手首を擦りつつ、剣を拾おうともせずにボウストに近づく。
「ボウストは私の味方よね?」
怖い魔族から、私を守って……。
とても優しい声だった。
守らなければ!
と、強く思う。この娘を傷つけてはならない。
敵は、魔族だ!
ボウストはキルハートを見た。諸悪の権化はキルハートなのだ。
マジックレイピアの柄を握り、力をこめる。鞘の中でレイピアが息づくのを感じた。
「クックック。ボウスト、こっちなんか見ていていいのか?」
キルハートがそう言うのと、腹に鈍い痛みを感じたのは、ほぼ同時だった。
「ぐぅっ……。あ……秋留……」
後ろに立つ秋留の手には、先程落とした精霊の短剣が握られている。柄はボウストから溢れた血で赤く染まっていた。
「戦っている最中に、後ろなんか見てたらダメだよ?」
秋留は言霊を使ってボウストの注意を自分からそらしたのだ。
折りしもマウンハーピーの魔力球によってつけられた傷を抉るように、短剣は突き刺さっている。
「ごぽっ!」
ボウストは口から血を吐き出した。痛みに目がかすむ。秋留とは戦いたくないが、言霊が厄介だ。ボウストは痛む腹を抑えつつ秋留を見た。
「やれ! 秋留」
「分かってます。このままじゃ、痛くて可哀想だもんね」
秋留は楽しんでいるような、悲しんでいるような複雑な表情をしていた。
「秋留……、正気に戻れ!」
「うるさい! 黙れ、ボウスト!」
頭を抱え込んで秋留が座り込む。まるで頭痛を追い払おうとしているかのように、頭を振った。
「冒険者になるんじゃなかったのか?」
記憶が戻ろうとしているのか? ボウストはそう思い、追い討ちをかける。
「春菜の仇とか言ってるが、春菜は雫沫にいるじゃないか! そこの魔族から秋留が助けた!」
「違う……、お前が殺した……」
「そうじゃない! 秋留が言霊で風を操ったじゃないかっ! 傷ついた春菜も言霊で助けた!」
「……違う……。じゃあ……この、記憶は……何?」
秋留の目に血の涙が流れる。
「秋留。助けてやった恩を忘れたか! 殺せ! ボウストを殺せ、秋留!」
「い……や・………。どっちが……本当なの……?」
「秋留っ!」
ボウストとキルハートの声が重なる。
「いやぁぁぁーーーーーーーーー!」
「お前は秋留。薬彩の森で襲われているところを俺が助けた」
丸太で組まれた小屋の中で角の魔族はそう言った。
「お前の故郷でもそいつが現れて、お前の妹を殺した」
妹……大切な家族……。
「俺達は、そいつを追い掛けて山に入った」
北山。モンスターの巣窟……。
「奴はいろいろな罠を仕掛けて待っていた。マウッドとの戦いでお前は倒れ、記憶を失ってしまった」
「………思い出した」
「そうか。俺の事も思い出せたか?」
「はい、キルハート様」
私の、命の恩人。
「妹の仇がとりたいか?」
「はい。私の手で出来るなら……」
「なら、俺も手伝ってやろう」
優しいキルハート様。
でも、仇は自分の手で……。
「名は……? 仇の名は?」
「こんな森深くでパワーを充電出来るとは思っていなかったぞ」
「なんてしつこい奴だ。一体、俺の首にはいくらの懸賞金が懸かっているんだよ……」
「俺は臆病者なだけだ。自分の命を絶つ事が出来なくて、ただ逃げ回っているだけの、臆病者だ!」
「悪いな、世話になるぞ」
「人と関わるのは好きじゃない……」
「秋留お姉ちゃんなんてさ、ほんと自分のやりたいようにやってるよ? 夜は危ないから出歩くなって言ってるのに、止めても聞きやしない」
「何の力もないお前が、何の作戦もなく行ってどうする! 犬死するだけだ!」
「いいねぇ、その表情。苦痛に歪む顔が見たくなるぜ」
「そっちは危険だ! 秋留っ!」
「秋留っ!」
「お前の仇の名は…………」
「ボウスト!」
色々なシーンが秋留の頭をよぎっては消えた。
この記憶は、何?
私は……!
どちらが本当の仲間なの?
私の敵は、誰っ?
「秋留っ! 正気に戻ってくれ!」
嫌っ! そんな目で私を見ないで。
「秋留。何をしている。それはお前の仇だぞ」
どちらを信じたらいいの?
本当の私の記憶は………。
「嫌……、わからない。怖いよ……。」
頭が割れそうに痛い。
怖い……。自分が自分でないようで。
私は…………っ!
「全てを包み込む水の精霊よ。その暖かき力で私を守りたまえ」
力ある言葉に導かれ、どこからともなくゴポゴポと言う水の音があたりを包む。
それは次第に秋留の周りに集まり、水球となって秋留のみを包み込む。
「ちっ! もっと使えるかと思ったがこんなものか」
キルハートの言葉が秋留の耳に届くが、秋留はもう、余計な事を考える必要がなかった。
秋留を包んだ水は優しく秋留の心を癒す。
とても暖かく、心地良い。秋留は安心して目をつぶった。
「秋留……」
沈みゆく意識の中、ボウストの呟きだけが秋留の耳にいつまでも残っていた。
「ボウスト! ちと予定は狂ったが、まぁいい。そろそろ決着をつけようじゃないか」
キルハートは腹から血を流すボウストを見ながら言った。
心臓が脈打つたびに、どくどくと腹から血が垂れる。ボウストは気を失わないようにするのが精一杯だった。
「くそっ! どこまでも汚い奴め」
「ほんとは、もっと楽しめるショーになったはずなんだがなぁ」
さも残念そうな顔をしたキルハートを、ボウストは睨みつけた。罠を仕掛けているとは思っていたが、まさか、こういう事態になるとは思っても見なかった。それでも戦うしかない。ここで俺が死んだら、秋留は一生キルハートに操られるか、殺されるか、それしかないのだ。
ボウストは水球の中で丸くなって浮んでいる秋留をもう一度見た。安らかそうに目を瞑るその顔は、全ての苦痛から逃れられた証拠だろうか?
痛む腹には構っていられない。
ボウストはそう思う。レイピアを杖代わりに身を起こす。
「ほぉ、まだやる気か……!」
「お前に黙ってやられる程、お人好しではないんでね」
強がりを言う唇はワナワナと震え、体力の限界を示している。
「クックック………。これだから、人間と言う奴は………」
ボウストはレイピアを構える。
「愚かだと言うんだ!」
キルハートは地面を蹴った。瞬時にして、ボウストの前に踊り出る。ボウストはレイピアを一閃させるが、キルハートは軽く避ける。同時にボウストの懐にもぐりこんだ。
「弱ったお前に魔力を使うまでもない。この拳だけで十分だ」
言って拳を振るう。
一発目は何とかかわしたものの、二発三発と繰り出されるそれに、ボウストはなすすべもなかった。一方的に殴られ、ボウストは地面に膝をつく。
「弱い! 弱いぞ、ボウスト!」
キルハートは狙って、腹の傷をつま先で蹴り上げた。
「ぐはぁあああああああああ」
あまりの激痛にボウストは悲鳴をあげて転がった。
「弱い、弱い、弱い、弱いぃぃぃ!」
転がるボウストを容赦なくキルハートは襲った。卑怯な手だろうがキルハートは一向に気にしなかった。要は、首を持ち帰ればいいのだ。そうすれば上級魔族に認めてもらえる。あわよくば自分もその一員に……。
何より、弱者をいたぶるのはキルハートにとって快感なのだ。少しくらいの抵抗はスパイスになるが、雫沫のような状況は失態以外の何物でもない。キルハートの魔族としてのプライドはズタズタにされたのだ。
「ぐわあぁぁ!」
ボウストは痛み以外何も感じないほどキルハートによって痛めつけられていた。腹からは絶え間なく血が噴き出し、気が遠のく。
「痛いか? 苦しいか? そんな物では終わらせんぞ!」
キルハートのサディスティックな心はボウストの悲鳴により刺激され、更なる苦痛をボウストにもたらす。蹴り上げた足さえ赤く染まり、キルハートは満足げな笑みを浮かべた。
意識が遠のくのをボウストは感じる。
俺は、ここで死ぬのか………?
途切れ行く意識の中、ボウストは思う。
「あ……きる……」
最後にボウストの脳裏に浮んだのは、薬彩の森で薬草を摘む秋留の姿だった……。
「急がなきゃ!」
女の声に、奈良樹は重い腰を上げる。
まさか、あの男が言っていた事が本当だったとは思いもしなかった。傷を負ったまま、魔族の所に行くなんて馬鹿げている。
しかも、あのボウストと名乗った男は、奈良樹の見た感じでは強そうに思えなかった。
「殺されてなんかいないでくれよ!」
奈良樹は冗談ではなく、本気でそう思う。
魔族に挑むのは奈良樹にとっても楽しい事ではない。と言うより、そんな無謀な事はしたくない。まるきり関わりのない人間が近くで魔族にやられたとしても奈良樹の心に感じる物はないが、少しでも関わりあった人間が近くでやられたとなると、いくら頑強な奈良樹でも嫌なものがあった。
だから、人と関わるのは嫌なんだ。こんな事なら、何のためにこんな人里離れた所で暮らしてるのだか分かりゃしない。
奈良樹は鍛冶に専念したいだけなのだ。
見る目が無かったと言うことか。
あの時気付いていれば、みすみすと行かせる事はなかった。攫われたと言っていた娘は諦めさせて、山を下りさせるべきだった。
後悔先に立たず。今更考えても詮無い事か。それよりも、生きてて貰わなきゃ困る。ボウストが奈良樹の家を出てからニ時間といったところか………。
祈るような気持ちで奈良樹は山を駆け上った。
「これでも駄目か」
ショーが思いの外上手くいかなかったので、せめて秋留の見ている前でボウストを殺すか、逆がいいか思いを巡らせていた。
どっちがより楽しくなるだろうか?
だが、どちらにしても秋留をこの水球から出さない事には始まらなかった。しかし、水球はいかなる攻撃をも吸収しているようだ。
「くそっ! 一体どうやったら出てくるんだ」
拳も魔力も水球は静かに受け流す。
いい加減キルハートは面倒臭くなっていた。秋留を倒さずとも、ボウストの首は持ち帰れる。だが、二人に傷つけられたプライドは、秋留を逃がす事を良しとしない。
そうこうしている内にキルハートは山を駆け上る気配を感じた。
「邪魔者が来たか……」
人間など、俺の敵ではない。
だが、ショーにアクシデントは付き物だ。キルハートは思う。途中で失敗したとは言え、幕引きまで失敗するとは限らない。
「クックック。楽しませてくれよ」
キルハートは気配の近づく方を見つめた。魔法使いらしき女と、やたらでかい金鎚を持った大男が山を駆けて来る。
「ショーは楽しくなくてはな」
キルハートは、楽しそうに言った。
もうすぐ、楽しくなるはずだ。
そう思うと、腹の底から笑いがこみ上げてくるようだ。
「さぁ! 俺を楽しませてくれ!」
人間達に聞えるように、大声で叫ぶ。
「ククク……クハーハッハッハ!」
「ボウストッ!」
そこは異様な光景だった。
笑う魔族の隣には、大きな水玉のようなものがあり、その中にピンク色の髪をした少女が入っている。近くには水溜りの様に血溜まりができ、その中に横たわるように人が一人倒れていた。安らいだ顔の少女とは裏腹に、倒れている男は苦痛の表情を浮かべ、身動きすらしない。
それが誰なのか、最初はわからなかった。
女の知っているボウストは、いつも自信に溢れていて、地面に倒れているところなんか見たことがない。
いや、一回だけ衝撃的な場面を見たが、それだけではないだろうか?
だから気付くのに時間が掛かった。
「嘘……ボウストッ!」
女はボウストに駆け寄り、地面に膝をついた。口に手をかざし、首筋に手を当てて脈拍を測る。
「……まだ、生きてる……!」
だが、ボウストの唇は真っ青に変色し、もはや虫の息と言ってもおかしくないような状態だった。
「キティさん、これを!」
奈良樹は握り締めていた薬草を女に手渡した。
キティはそれを素早く口に入れ噛み砕く。唾液と混ぜた薬草の汁を傷口に塗るのだ。
「キティ? どっかで聞いた事がある名だな……」
黙って様子を見ていたキルハートは、そう呟いた。
「まぁ、いい。さぁ、楽しませてもらおうか!」
キルハートは手を振り上げ、魔力波を放つ。雫沫で春菜に対して使ったかまいたちだ。風を切る音と共に、キティ達を目掛けて魔力波が迫る。
「ヴィント・ヴァント!」
キティの叫びと共にボウストを中心に風の障壁が作られ、キルハートの魔力波はそれに遮られ消滅した。
「おもしろい、なかなかやるようだな」
「しょうがねぇ、少しやってくるか」
奈良樹は重さが百キロはありそうな、ゴツイ金鎚を軽々と構える。普通の人なら持ち上げる事すら難しそうな金鎚は、奈良樹の手に掛かると軽そうに見えた。
「ほんとは関わる気はなかったんだけどよぅ」
のっしのっしと、一歩ずつキルハートに近づく奈良樹。柔らかい地面は、奈良樹の体重と金鎚の重量で沈んだ足跡を残す。
「うぉぉぉぉぉー」
奈良樹は気合を入れると、キルハートに向かって突っ込んでいった。
対してキルハートは腰を落とし、拳を構える。キルハートの目前に迫り、奈良樹は大金鎚を右横から振った。後ろに飛び退るキルハートの目の前を、大金鎚が凄い勢いで通り過ぎる。旋風が音を立ててキルハートを後ろに吹き飛ばした。
すかさず金鎚を持ち替え、上から振り下ろす奈良樹。キルハートは左に転がり、奈良樹の後ろを取った。そのまま拳を奈良樹の脇腹に沈めようとする。
だが、重い金鎚を持っている割に奈良樹の動きはそう遅くはなかった。回り込んだキルハートを狙って、金鎚を旋回させる。
その思わぬ素早さに、キルハートは対応が遅れた。大金鎚がキルハートの右上半身を捕らえ、野球ボールの様に吹き飛ばす。
「ぐおぉおお!」
枯れ木の様に飛ばされたキルハートは、秋留の入った水球にぶつかって止まった。ブヨブヨとしたそれがクッションとなり、衝撃を和らげる。
「くそっ、油断したか」
唇の端から垂れる血を手の甲で拭い、キルハートは言った。
「秋留、いい加減に出て来い!」
横目でちらりと秋留を見る。相変わらず眠っているかのように、秋留は水球の中で漂っていた。
秋留はだんだん自分を取り戻していた。
水球に包まれ、生まれたての小さな頃から、順を追って自分の人生を見ている。
冒険者である行方不明の父親。
離れて暮らしている司祭の母。
そして妹の春菜。
全てが秋留の身体に息づいていた。
村長。雫沫の人々。
キルハート、マルボロ………そして、ボウスト。
秋留はゆっくり目を開ける。
目の前にこちらを背にしてキルハートが立っている。その前にはでかい金鎚を持った男。離れて倒れているボウストとフードを目深に被った女性。
ボウストの周りには血溜まりができ、ボウストの命が危ない事を秋留に分からせた。
あれは、………私がやったのね。
秋留は思う。
いくらキルハートに偽の記憶を植え込まれたとは言え、仲間を傷つけてしまった事にかわりはない。秋留は目を伏せたくなる気持ちを懸命に抑えた。
自分の罪から、逃げてはいけない。ボウストを助けなきゃ。
水球の中は苦しいどころか心地良く、外に出ようとする力を失わせる。だが、秋留は出なければいけないのだ。
「……ブレイク」
秋留の声と共に、水球がはじけた。
人を一人飲み込んでいた水球は、近くにいたキルハートを後ろから襲った。
「ごぽぉっ」
予期せぬ背後からの水をキルハートはしこたま飲み込む。
秋留はその様子を横目で見ながら、ボウストに駆け寄った。
「あんたは?」
ボウストの面倒を見ていたらしい女が言う。
「私は秋留。今から、私の生命力を使ってボウストを回復させます」
にっこり笑って秋留は言った。
腰に差した精霊の剣を腕の内側に当てる。切れ味のいいその剣は、秋留の柔肌を裂き血を滴らせた。
「な……なにを?」
女は状況を飲み込めずに、秋留を見つめた。
秋留は静かに優しく力ある言葉を解き放つ。
「我が命の源よ。この者に宿りて、尽きたる力を取り戻せ!」
言葉と同時に秋留の傷口から血が勢いよく噴き出した。それは瞬く間にボウストに吸収される。ボウストの顔に血の気が戻る頃には、秋留は真っ青になってふらついていた。
それでも秋留はボウストを助けたい一身で、自分の命を投げ出す。
秋留はボウストの傍らに放り出されていた自分の鞄の中から夜露花の粉を取り出すと、ボウストの傷口に振りかけた。
「森の精よ、聖なる守護者よ。慈悲深き恩恵を与えたまえ。ボウストに治癒の力を!」
ボウストの傷口が見る間に閉じていく。だが、秋留の腕からは新たな血が噴き出した。
秋留はボウストの傷が完全に閉じたのを確認すると、ボウストに優しく囁いた。
「ボウスト……。勇者ボウスト。立ち上がり、あなたの敵を討つのです」
秋留の囁きに答えるように、ボウストは目を開ける。秋留と目が合うと、ほっとしたような顔を見せる。
「秋留戻ったんだな?」
秋留は黙って頷く。
もう気を保ってられる程、力が残っていない。
秋留はそう思うと最後の力を振り絞り、ボウストの手を握り締めた。
「ボウスト……。さっきはごめんね。でも……もう、大丈夫だよ。あとは頼……む……ね」
切れ切れにそう言うと秋留は気を失い、その場に倒れこんだ。
秋留がボウストを回復している頃、奈良樹は一人、キルハートと戦いを続けていた。
「あの役立たずが!」
キルハートは水球の破裂に巻き込まれた後、苦しそうに水を吐き出した。先程までの余裕の表情が影をひそめ、怒りのあまり顔が真っ赤に染まっている。
「くそっ、くそぉっ! 人間がぁっ!」
あまりの剣幕に奈良樹は少したじろいだ。
髪のない頭には、血管が幾筋も浮いているのが見える。
「ぐぅぉおおおおおおおお!」
キルハートは手始めに近くにいた奈良樹に襲い掛かる。
奈良樹との距離を素早く詰め、拳を振るう。対処しきれなかった奈良樹の顎に、キルハートの拳が入った。
「ぐぉお!」
身体の重い奈良樹はそれだけでは身体が浮かない。だが揺さぶられた脳が奈良樹の平衡感覚を失くす。
キルハートは続けて腹を殴った。重い拳が奈良樹の強靭な筋肉を打ち破るかのように、めり込む。二発、三発とキルハートは重点的に腹を殴った。
「ぐぷぅっ!」
奈良樹の胃からせり上がった物が、口から吐き出される。キルハートはその汚物をかわすと、再び腹を殴り続けた。
「人間が……人間がぁ!」
「うぐっぅ! ごわぁっ」
キルハートの拳が入るたびに、奈良樹がこもった悲鳴をあげる。痛みが強いため、気絶する事もままならない。
手加減無しのキルハートの攻撃に、さすがの奈良樹も崩れ落ちるしかなかった。
「死ねっ! 死ねぇぇぇい! 俺に楯突いた事を後悔して死んでいけ!」
転がる奈良樹にもキルハートは容赦しなかった。うずくまる奈良樹の脇腹を右足で思い切り踏み潰す。嫌な音と共に、奈良樹の肋骨が折れた。
「ぐああああああああああああああああああああああああああああ!」
一際でかく奈良樹の声が響いた。ボウストは声のした方を向くと、倒れこんだ秋留をその場にそっと寝かせ、立ち上がる。
秋留の施した治療は、ボウストに血と戦う活力を与えたようだ。
「キルハートォォォオ!」
倒れた奈良樹を見てボウストは叫ぶ。自分の身代わりになって、これ以上誰かが傷つくのは嫌だ。自分がしっかりしないから、関わった人間が傷つけられていくのだ。
「貴様の相手は、この俺だぁ!」
叫びながら地を蹴る。レイピアはボウストの力に反応し、既に赤い光を帯びている。
「貴様、ボウスト! 秋留の仕業かぁっ!」
キルハートは秋留を生かしておいた事を後悔した。もはや、ショーがどうのとかを言っている場合じゃない。
ボウストを倒す! そして、この場にいるものを皆殺しにするのだ。
キルハートの心はそれで一杯だった。
ボウストはレイピアを一閃させた。キルハートは後ろに飛ぶが、切っ先が胸をかすり切り裂いた。だがキルハートは引かずにそのまま突進し拳を繰り出した。先程の戦いでついた傷を狙う。
ボウストはそう来る事が分かっていた。身体をねじり、不自然な態勢からレイピアを振り下ろす。レイピアは見事にキルハートの背中を切り裂いた。魔族特有の青い血が噴き出す。
「ボウストォ!」
斬りつけられてもキルハートは身を引かない。その拳は不自然な態勢をしていたボウストの右頬を殴り飛ばす。
ボウストの軽い身体はキルハートの攻撃により飛ばされ、秋留の近くで止まった。
「危ない! ボウストッ」
気絶した秋留を介抱していたキティは、ボウストの目前に迫るキルハートを見た。
「死ねやぁ!」
キルハートはかまいたちを起こし、ボウストに投げつけた。
ボウストの右太腿がばっさり切れる。
「凍土の覇王セルシウスをも縛る氷の女王シヴァの口づけ、アイスバインド!」
キティの唱えた魔法は、キルハートの左肘を凍らせた。
「貴様ァ!」
凍っていない右腕で作ったかまいたちが、キティを襲う。
「危ないっ!」
「くっ……」
「…………ボウスト?」
キティを狙ったかまいたちは、ボウストの左太腿を切り裂いた。
「こいつは俺がやる。あんたは秋留と奈良樹を頼む!」
ボウストはそう言うと、キルハートに向かって走った。
「ソニック・ウエイヴ!」
走りながら唱えた魔法は、キルハートに軽く避けられる。ボウストはそれを見越してもう一度同じ呪文を唱えた。
「ソニック・ウエイヴ」
「ぐをぉ!」
一発目を予想通りかわしたキルハートは、二発目に対応しきれずまともにくらう。しかも、凍った左手に。キルハートの凍った腕に亀裂が走った。
「ふんっ! 腕の一本ぐらいくれてやるわぁ!」
キルハートは自らの腕を握り力をこめ、自分の肘を砕いた。傷口はまだ凍っているのか血が出ない。キルハートは自分の左腕をボウストに向かって投げつけた。
レイピアで飛んでくる腕をなぎ払うボウスト。その隙にキルハートはボウストの後ろに回りこみ、再び傷のあった場所を狙った。
「ぐわぁっ!」
傷は秋留の言霊によって表面的には塞がっていたが、完璧に治ったわけではなかった。殴られた腹から再び血が滲む。
キルハートはそのまま回し蹴りをボウストにお見舞いした。それをボウストは左腕で防ぐ。ジーンと痛みが骨に響き、ボウストの腕が一時的に麻痺した。
ボウストは一旦後ろに飛び態勢を整えなおす。蹴られた腕が痺れていてあまり力が入らない。
ジリジリとすり足でキルハートとの距離を取る。離れすぎて、キルハートの標的が他へ移らない様、慎重に距離を開け、奈良樹の方へ移動した秋留とフードの女を背に庇うように立った。
「どうした、ボウスト? 逃げるのか?」
向かってこないボウストを、キルハートは挑発する。
「お前如きに逃げてどうする」
ボウストはアッサリと挑発を受け流し、代わりにキルハートを挑発した。
「貴様アアアァァァァ!」
こめかみの血管が切れそうなくらいに、キルハートの顔が真っ赤になる。怒れば怒るほど通常以上の身体能力を使えるだろうが、その分隙が多くなる。
ボウストはその隙につけ込んだ。痺れた腕は距離を取って時間を稼いでいる間に治り、レイピアを握る手にも力がこもる。ボウストは駆けて近づくキルハートにレイピアを突き刺した。肉に食い込む感触がボウストの手に伝わる。
ボウストに向かって駆けていたキルハートは、止まるに止まれずズブズブとレイピアの切っ先が腹に食い込んでいった。
「うおぉぉおぉおおお!」
キルハートの腹にレイピアを突き刺したまま、ボウストは剣に更なる力を送り込み、渾身の力をこめて剣を横に動かした。
「ぐああぁあああああああ!」
キルハートの叫び声があたりに響き渡った。腹が体内から切られているのだ。ボウストは絶叫から耳をそむけると剣を引き抜く。
「かはぁぅ!」
キルハートの口から大量の血が吐き出された。ドロリとした青い血が地面を染める。
「くそっ! くそぉぉぉぉおおおお!」
人間如きに、こんな惨めな様にさせられる屈辱を、キルハートは今まで味わった事がない。もはや、キルハートの命は燃え尽きようとしていた。
「こうなったら……道連れにしてやる!」
ボウストの目の前でキルハートは魔力を溜め始める。それはマウンハーピーが作った魔力弾のようだが、数段でかい。
「くおぉぉぉぉぉぉぉぉ」
魔力を必死に溜めているキルハートの姿は無防備だが、魔力弾があるためボウストはうかつに攻撃できないでいた。
しかも、ボウストの後ろには奈良樹を始め動けない仲間がいるのだ。避けるわけにもいかない。キルハートの作る魔力弾に対抗できるような手段は、ボウストの考える限り、一つしかない。
魔族の魔力に、魔法使いの得意な攻撃魔法を当てると破裂してしまう。キルハートの作っているようなサイズの魔力弾にそんな事をしたら、こちらの被害も甚大になってしまうだろう。
ボウストはただ一つの望みに全てを賭けた。
「聖なる光の瞬くは、翳りのない心。全てを守り導く力」
勇者だけが使う事のできる、光魔法。
「その恩恵はただ一つの宝となり、我が瞳に宿る」
心に少しでもよどみがあれば、聖龍サージの恩恵は受けられない。
「光は、洪水となりて闇を滅ぼす」
アークヒルの一件からボウストは、光魔法を使えないでいた。
「聖龍サージに授かりし、光り輝く洪水よ。その力で闇を流しだせ!」
だから、これは賭けなのだ。
自分にもう一度勇者として人々を導く力があるのなら、一生勇者としてこの人生を終えよう。
だが今は勇者としてではなく人として、守りたい。自分に持てる全ての力を賭けて!
「むんっ!」
キルハートの魔力がボウストのそれより早く完成した。ブラックホールの様な暗黒の魔力弾がボウストに迫る。
「光の洪水!」
かざしたボウストの左手から光が溢れ出した。七色に輝くそれは、キルハートの魔力弾を包み込む。
両者は魔力の全てをこの一撃につぎ込んでいた。
「はぁ……はぁ……」
ボウストは呼吸を荒げ、膝をつく。
輝く光から出ようと暗黒の魔力弾がうごめいた。ボコボコといびつに光が歪む。
「ぐはぁ」
キルハートは新たな血を吐き出す。渾身の力を魔力弾に込めたため、既に限界は超えていた。怒りだけがキルハートを生かし、支えている。
魔力弾が光の一部を突き破りボウストに迫った。もう魔力を込めるだけの力もない。ボウストも先程の魔法で消耗しているのだ。暗黒がボウストを飲み込もうとするかのように、目前まで迫った。
「ぐおぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
耳をつんざく悲鳴があたりに響き渡った。ボウストの光魔法の一部が先にキルハートに届いていたのだ。そして暗黒の魔力弾が引っ張られているかのように、凄い勢いでキルハートに向かった。
ドゴォォォオン!
魔力弾はそれを作った主にあたり、粉塵を巻き上げた。ボウストは身を翻しマントで頭を守る。キティが防御魔法を唱え、秋留と奈良樹を囲むと同時につぶてが辺りに降り注いだ。
つぶてはキルハートのいる場所を中心に雨の様に降った。地面にぶつかり跳ねたつぶてが次々とボウストに当たる。ボウストはマントを被ったままじっと耐えた。
それが止むと辺りに静寂が戻り、ボウストはキルハートのいる方を見た。
「やった……ようだな」
ほっとしたようにボウストが呟く。
そこには灰が砂山の様に盛り上がり、キルハートが死んだ事を物語っていた。




