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Degrade  作者: 我道&九尾
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第四章 人質

 ぷはぁ!

 少女は息苦しくなって目を覚ました。一瞬自分がどこにいるのか分からず、回りを見渡す。

(ここドコ?)

 思わず出した声は、しゃがれてゴボゴボと言う音しか出ない。身体がだるく、口を動かすのも億劫だ。

 丸太を組んで作った家だろうか? 壁の隙間から、外の景色が透けて見える。壁際には棚があり、何が入っているのかわからない小瓶やら、皿やら、小物がきちんと整頓されていた。

 それに比べ床には木材が雑然と置かれている。

 少女は硬いベットに仰向けで寝ていた。自分がどうしてこんな所にいるのか分からなかった。誰かとどこかを歩いていたような気がする……。

 思い出せないことがとてつもない不安となって少女を襲った。何か、大事な事を忘れている! 少女の心の中でその事が一番膨れ上がった。

 身を起こそうとしても、何故か身体が動かない。少女は、唯一動く目だけをいろんな所に走らせた。

 少女の見える範囲には、扉が一つ。あとは窓らしき物もない。どちらかと言えば殺風景な部屋は隙間から入ってくる風のため、とても寒く少女は小さくブルルと震えた。

 ふと、自分の身体がどうなっているのかが気になり、少女は目一杯下の方を見た。仰向けに寝かされた身体は、特に損傷などはないようだ。自分でも痛みを感じないからそれだけは分かった。

 どうして身体が動かないのだろう? 少女は必死に手足を動かした。指先が引きつるように少し動く。少女は手足がどうなっているのかが知りたかった。しかし、どんなに頑張って下を見ても手首や足首を見ることは出来ない。

 視力自体も弱くなっている様だった。思えば耳もあまり聞こえないような気がする。

 少女は疲れて目をつぶった。

 見覚えのない場所。動かない身体。失った記憶。少女はどんどん混乱してきた。

 棚とか小瓶とかの、物の名前は分かる。ご飯の食べ方、挨拶の仕方。そういうのも分かる。過去はどうだ? 親は? 住んでる場所は? 自分は?

(わたしは、ダレ……?)

「アアアアアアア……」

 少女の不安はピークに達した。悲鳴をあげたつもりの声も、しゃがれて何かの鳴き声みたいになる。

 少女は強く目を閉じた。その真っ暗な闇だけが少女にとっての癒しとなった。


 しばらくして、少女は目を覚ました。どうやら気づかないうちに寝ていたらしい。寝ぼけたまま目を擦る。そしてゆっくりと伸びをした。

 縮んでいた節々の筋が伸ばされて、程よく気持ちよい。

(あ、動く!)

 少女は身体を動かせる事にようやく気づいた。腕を伸ばしたり、足を曲げたりしたが、手も足もどうもなっていないようだ。

 声はどうだろう?

「アー、アァー……」

 一応出ることは出るが、相変わらず酷くしゃがれていて自分でも聞き取れないほどだ。少女は少しがっかりした。

 ならば記憶は? と、自分の名前を思い出そうとしたが、無駄な努力に終わった。

 少女はもう一度部屋の中を見回した。棚と木材、扉。さっき見えた範囲の物は何も変わっていないようだ。

 見えなかった部分には、やはり棚があるだけだった。その棚には、『試作品Amn-Mes』と書かれたラベルのついた親指大の小瓶が一つあるだけだ。中には赤黒い液体が入っている。

 少女はその瓶には興味を示さず、真っ直ぐ扉のある方に向かった。ぴったりと閉じられた扉は少なくともこちら側には鍵がない。

 少女は恐る恐る取っ手に手をかけてゆっくりと回した。

 ガチャ。

 ガチャガチャ。

 ガチャガチャガチャッ!

 押しても引いても、逆に回しても扉は開きそうにない。おそらく向こう側から鍵をかけられているのだろう。

 少女は諦めてドアから離れた。

「お目覚めのようだな。お姫さま」

 突然の声に少女は驚き、即座に後ろを振り向いた。

 音もなく開いた扉の場所に、声の主はいた。

「ア、アアァー」

 声の主を目で確認すると少女は悲鳴をあげた。かすれた声が喉から響くのを少女は感じる。

 頭に生えた二本の太い角。髪のない頭。しかしそれよりも、赤地に黒と言う魔族の印である目が、少女を怖がらせた。

 少女は震え、立っていられなかった。それでも尚、少しでも魔族から離れようと後ろに下がる。

「くっく。俺が怖いか?」

 魔族は口元に笑みを浮かべ少女に一歩近づいた。

 少女は怯えながらあとずさった。怖くても魔族から目が離せなかった。

 ドンっと身体が何かに当たる。ベットのヘリだ、と少女は思った。わずか五畳くらいの狭い部屋だ。逃げる場所などない。唯一外に通じる扉も魔族が後ろ手に閉めてしまった。

「お前には色々と世話になったからな……」

 魔族は少女に一歩一歩近づきながら言った。逃げる所のなくなった少女はベットによじ登り、壁にべったりと背中をつけながら震えていた。

 魔族はそんな少女の姿が面白かった。

「ア……アゥアア」

 何を言ってるのか分からない言葉が不快ではあったが、それ以外は魔族の思うようになっている。

 手を伸ばし、少女の細い首に手をかけた。少し力をこめるだけで折れてしまいそうな首だ。だが、それでは面白くない。魔族は優しく力を入れた。

「ンンッゥ……」

 それだけで、少女は苦しそうにもがいた。首に回した手をはずそうと、必死に力を入れる。非力な少女の力は、魔族にとっては猫がジャレているくらいの物でしかなかった。

「このまま殺してもいいんだけどさ。ショーをやろうと思ってるからね」

 言って魔族が手を離すと、少女はゴホゴホと咳き込んだ。急激に息を吸ったせいで気管に唾液が入る。苦しさに少女の目から涙が零れた。

「本当は一本でいいらしいんだけど、試作品だし、お前は相変わらず反抗的な目をしてるから二本くらい飲ませても平気だろう」

 棚に置いてあった小瓶を手に取ると、魔族は言った。

「これはな、人間の記憶を奪う薬だ。面白い物作ったもんだよな」

 少女にとって親指くらいの大きさだった小瓶は、魔族が持つととても小さく見える。小瓶の中では赤黒い液体が揺れていた。

 少女は苦しそうに咳をしながら、魔族の言っている事を理解しようとしていた。しかし、酸素の足りなくなった頭は、それを欲することしか考えてくれなそうだ。

「そんなに咳き込んで、さっきは悪かったね。これを飲めば楽になるよ」

 魔族は優しい声を出して少女に近づいた。やっと咳が落ち着いて顔を上げた少女の目の前に異様な色の液体を差し出す。

「ヤ……ァっ!」

 少女は魔族の手を払いのけた。蓋を開けた小瓶からドロッとした液体が少しこぼれ、少女のスカートに赤黒い染みをつけた。

「飲めよ!」

 魔族は低い声で言った。優しさのカケラもないその声に、少女は泣きながら震えた。魔族は少女の様子に満足して、また優しい振りをする。

「しょうがないお姫さんだな」

 魔族は小瓶の中身を口に含むと、嫌がる少女の顎に手をかけ無理やり上を向かせた。

「ンンー……!」

 少女のピンク色の可愛い唇に、紫色の唇がぶつかる。ドロッとした液体が唾液と共に少女の喉に流れ込んだ。

 少女の喉が薬を嚥下したのを見て取ると、魔族は唇を離した。同時に少女は気を失った…。



 ボウストはひたすら走っていた。頂上まであとどれくらいだかわからないが、走らないと明日の昼までには着かないような気がしていた。

 秋留の鞄に入っている六芒星のおかげか、先ほどから敵は出てこない。

 マウッドと闘っていた時の疲れが残っていたが、ボウストはそれを気にしないようにして、ひた走った。

 ハァハァと言う息遣いと枯葉を踏みしめる音で、ボウストは自分がちゃんと走っている事を確認する。所々ぬかるんだ地面はボウストの足を重くし、同時にヌルヌルと走りにくくさせた。

 この北山はほとんど人の手が入っていないため、道と言えるような道は山の入口にあるだけだ。お陰でボウストは、普通ならクネクネと山肌に沿って登る山を頂上までほぼ一直線に駆けている。

 地面を赤や黄色に彩る落ち葉は障害物の目隠しとなってボウストの行く手を阻んだ。

 息遣いが自然にゼェゼェと苦しいものに変わり、足が棒の様に言う事を聞かなくなってくると、ボウストはそこでようやく立ち止まった。

 不規則な呼吸のせいで、くらくらする頭を木の幹に押しつける。

「ゼェ……ゼェ……」

 このままでは頂上に着く前に自分が潰れてしまう。ボウストはそう思い、少しずつ呼吸を整えた。

 息を吸う度に上下する肩が、ボウストの疲れの度合いを物語っている。

「こんなところを……、モンスターに襲われたら、……ひとたまりもないな……」

 焦燥感だけが占めていた心に少し余裕が生まれボウストは自嘲気味に呟いた。

 マウッドに襲われた時に傾き始めていた日は、あと少しで落ちていくところなのだろう。薄暗い山が一段と暗くなってきている。

『無茶苦茶怖いですよ。だから、守ってくださいね』

 ふと、秋留の言葉を思い出す。

 無茶苦茶怖い……か。冗談みたいに言っていた言葉だが、それが本心なのだろう。

 守れなかった。

 守ってくださいと言っていたのに……。

 易々と攫わせてしまった。俺は、また、誰も救えないのか?

 聖龍サージに認められて勇者になったというのに、俺のこの瞳は金色と言うにはあまりにもくすんでいる。聖なる魔法も使えなくなった……。

 俺は、何のために生きているのだ? 一生魔族から逃げ続けて何になる?

 死んだ親父達にも、俺の犠牲になって死んでいった者達にも顔向けできない。そんな一生を送るつもりか?

 秋留一人守れないで、それでも勇者か! 魔族一人くらい倒せなくて、それでも勇者か!

 ましてやキルハートは秋留を攫っただけでなく、アークヒルで傷ついた後に静養していた町を襲った憎き魔族ではないか!

 ボウストは寄り掛かっていた木に頭を打ちつけた。

 気合いを入れたボウストは真っ直ぐ前を見据えた。先程まで乱れていた呼吸も正常に戻っている。足もまだ動く。

 ボウストは一度頂上の方を見ると、真っ直ぐそちらに向かって歩き出した。



 風の噂を頼りに女は旅をしていた。

 冒険者である彼女は、一見して魔法使いである事が窺えるような服装をしている。

 先端に魔力を込める水晶がついた杖を右手に持ち、華美でないほどに装飾のついたローブを羽織ったその女性が、雫沫の人間から話を聞いて真っ直ぐ北山に向かって歩き始めた頃には、既にお昼を大分回っていた。

 全体的にゆったりした服装なのにも関わらず、彼女がグラマーなのが窺える。目深に被ったフードから垣間見える唇は、ふっくらとして柔らかそうだ。

「ふぅ……。この山で何とか追いつけそうね……」

 女は歩きながら一人呟いた。声の感じから察するに、歳は二十代前半くらいだろうか? 高すぎない落ち着いた声だ。

 ふと、女の行く先にモンスターの死骸らしき物を見つけた。

 足を止め、モンスターを見やる。

 犬と猪を足したような見た目のモンスター、バウボアのようだ。猫ほどのサイズのそれには、口から尻まで何かに突かれたような穴が真っ直ぐに開いていた。

「これは、レイピアの傷かしら?」

 女は死骸を調べながら誰にともなく言う。彼女の捜している者は長剣を愛用していたが、あることをきっかけに細身の剣に変えている。。

「俺には長い剣が合っているとか何とか言ってたくせに、レイピアを使ってるんだもんね」

 そう言いながら調べていた死体を優しく地面に降ろす。

「でも、おかしいわね……」

 バウボアは群れで生活しているため、襲ってくる時も単体ではない。だが、ここにあるのは、貫かれた一体の死骸とその下で潰れるようにして死んでいる幼体のバウボアだけだ。

 他のバウボアはどうなったのだろう?

 と、そこまで考えを巡らせた時、

「ブォ! ブオォォォ!」

 殺気立ったバウボアが彼女の周りを囲んでいた。

「あっちゃー! やっぱあたしは気配読むの苦手だわ……」

 こんなに囲まれていて苦手くらいで済ますのは、彼女のレベルが高いからだろう。

「ごめんね。あんた達に恨みはないんだけどさ」

 言葉が通じる相手ではないが一応そう謝ってから呪文を唱える。

「ブォォ!」

 雄叫びと共に、バウボアが女性に飛び掛った。

 彼女は冷静に、一匹目の爪をひょいっと身をかわしながら避け、次の一匹を杖の頭で叩く。残りの一匹は飛び込んできた最初の一匹とぶつかりながら倒れた。

 その間も、もちろん呪文を唱えている。

「まったく、あたしは接近戦も得意じゃないんだけどねぇ」

 次々に襲い掛かるバウボアを、軽々としのぎつつ軽口を叩く。

「ちょっとくらい熱くっても、我慢しなよ! コロナバーニング!」

 杖から赤い熱風が吹き出す。女のフードがハラリと舞った。

 コロナバーニングは高熱の熱風で敵を溶かす魔法だが、彼女はそれを手加減して使う事で、バウボアを殺さない程度に熱で足止めしたのだ。

「あたしはね、弱いものイジメも嫌いなんだよ」

 女はフードを被りなおすと、熱風で動けなくなっているバウボアの間を颯爽と通り抜けた。

 夜の闇が包み込むように、次第にあたりは暗くなっていった。



 ボウストは野営するかどうかで悩んでいた。生憎と野営に向いている洞穴や、いざとなった時に動きやすそうな拓けた場所がなかったため、暗くなった今でも歩き続けていた。

 足元が見えない程暗くなった時に、ブライトネスと言う小さな明かりを灯す魔法をレイピアの柄の部分に掛けたが、木々が生い茂ったこの辺りでは月の明かりすらロクに届かなく、先の方まで見渡す事は出来なかった。

 グゥゥーと空しく腹が鳴る。

 そう言えば秋留と握り飯を食べて以来何も口にしていない。

 その事を思い出したら一段と腹が減った。ボウストはその場で鞄から干し肉を一切れ出しておもむろに口に放り込んだ。

 噛めば噛むほどに塩の効いた味が口の中に広がるが、別段美味しいとは思えなかった。

 不味いとまでは言わないが、なんだか味気ない。今までも干し肉等の乾物を食べてきたが、今ほど美味しくないとは思わなかったはず。

「秋留と食べた握り飯の方が数倍美味いな……」

 秋留の照れた顔が頭に浮ぶ。

 食事は一緒にいる相手がいるだけで大分変わるものなのだなとボウストは思った。

 仲間と、取った獲物の大きさを競い合っていた頃を思い出す。それを見て笑いながら料理していた、キティとジール。

 今頃、どうしているだろう?

『アークヒルから半年後、テラーズは……』

 春菜の、その言葉続きは言われなくても想像がついた。

 ………テラーズは逝ってしまったのか。

 豪傑で、不器用な男だった。

 いや、不器用という意味では俺も人の事は言えないか。

 身長百八十センチのボウストを見下ろすくらいの大男だった。

 正義感がやたら強くて、よく突っ走っていたな。頭を使うのはお前に任せた! と、口癖の様に言っていたっけ。

 ボウストはテラーズの事を思い出し、少し悲しくなった。同時に、頑張らなければと思う。死んでいった仲間のためにも、ボウストは出来る限り生きていかなければならないのだ。

 気づくと口の中に入れた干し肉の味がなくなっている。

 噛めば噛んだ分だけ味が出るが、際限なく出るわけではない。それだけ長考していたわけか。

 ボウストは口の中に溜まった味のない肉を勢いよく飲み込むと、山の頂上へと目を向けた。木々の隙間からちらりちらりと月の光が覗くが、頂上の方は木が邪魔で見えない。

「……やはり野宿かな……」

 溜息混じりに、ボウストは言った。

 とは言え、野営するのに最適な場所などこの辺りにはないようだ。

 仕方なくボウストは、それでも少しは拓けた場所に陣を取った。山の中とは言え、そこは広く平らになっている。

 ボウストは秋留とそうしたように、木に寄り掛かり座り込んだ。

 マウッドのような動く木ではないだろう……。ボウストは木の種類にまで詳しい訳ではないが、それでもこの木に襲われた記憶はない。

 と言うより、マウッドのような木の方が珍しいのだろう。マウッドによって捉えられた秋留を思い出す。秋留は無事だろうか?

 ボウストの脳裏に、キルハートに抱えられぐったりとした秋留が浮んだ。頬には赤い筋の様に、生々しく血が滴っていた。

「急がなければ……」

 だが一睡もしないままでキルハートの所に行くのは、自殺行為だ。はやる心を抑えつつボウストは浅い眠りについた。


 あたりは薄暗い闇に包まれている。夜明け前の薄暗さのお陰で、辛うじて周りが見える。

 ボウストは浅い眠りの中で、何者かの気配を感じて飛び起きた。

「グルルウウゥゥ」

 あまり遠くない所から、獣の声が響く。

 気配から察するに、一匹や二匹ではないようだ。ボウストは用心するように気配を研ぎ澄ました。

 ボウストを囲むようにして、気配は次第に近づいてくるようだ。

 ボウストは元々長剣の使い手だったが利き手を失ったと同時に、軽くて扱いやすいレイピアへと武器を変えた。

 だが、レイピアと剣では敵へ対する攻撃方法が全然違うのだ。剣は一閃して薙ぎ斬るのに対し、レイピアは突く攻撃しか出来ない。

 その欠点を補うべく、ボウストはマジックレイピアを選んだ……と言うよりは、それ以外は使いこなせなかったと言うべきか。静養している頃に仲間が手に入れてきたものだ。

 それは実に貴重な武器らしいが、ボウストは仲間がどうやって入手したのかは全く知らないでいた。

 マジックレイピアは力をこめたり魔法を掛ける事により、突く攻撃だけでなく斬る攻撃も出来るようになる。

 魔力の無い者には只のレイピアと大差ないが、魔力の強い者にとってはレイピアや剣以上に使える武器となるだろう。

「バォゥッ!」

 モンスターはボウストの見える位置まで来た。

 一、ニ、三………数えるのが億劫になるほど、と言ったら大げさだが、それでも一人で対峙するには多すぎるモンスターがボウストの周りを囲んでいるようだ。

「キルハートか……」

 これもキルハートの罠のひとつである事は、誰の目にも明白だった。

 モンスターは普通、多種で群れを組んだりはしないのだ。それなのにある程度統率の取れた群れが人を襲ってくるのはおかしい。

 ボウストは秋留の様にモンスターを眠らせたり、気絶だけさせるような器用な真似は出来ない。

「恨むなら、キルハートにしてくれよ!」

 ボウストは軽口を叩いてレイピアを抜いた。既に力をこめたそれは淡く輝いている。

 その光を見てか、モンスターがボウスト目指して突進してきた。

 ボウストはレイピアで悠々と切り裂く。

『グキュルルルォ!』

 多種類のモンスターが一斉に雄たけびを上げ、それは戦いの狼煙の様に声が山に響き渡った。

 木の陰からモンスターが飛び出し、ボウストに襲い掛かる。

 元々野営に向いていない土地は、避ける隙間もあまりない。代わりに、全てのモンスターが一度に襲い掛かれないのは、ボウストにとっては救いだった。

 げっ歯類のような長い歯を持つレグマウスが、木の上からボウストの右肩へ向かって飛び掛った。落ちてくるだけのそれを避ける事は、大して難しいものではない。

 ボウストは左に避けつつ、レイピアを振るう。

 そこへ真正面からバウボアが飛び掛った。

 レイピアの一閃によって斬られたレグマウスの上半身が、見事にバウボアにクリーンヒットする。

 レグマウスの下半身は重力に逆らわずビチャッと言う音を立てて真下に落ちた。

 バウボアはレグマウスによって、吹き飛ばされ木に激突する。

「ブオォォォッ」

 バウボアは最後の悲鳴をあげた。

 その木の根本にいた、マウンハーピーの剣に空しく突き刺さっている。

 マウンハーピーは、それを見ると何の感慨もなく剣を振って落とした。

「雑魚めが……」

 ボウストを睨みつけながら、マウンハーピーは言った。

「キルハート様に言われて来てみれば、人間一人……。実につまらん」

 ボウストの腹の高さほどの人型のそれは、獣系モンスターと違い少しは知恵があるようだ。

「とは言え、俺はたとえ虫けらでも全力で戦う! ジェントルメンだからな」

 特徴的な丸くでかい団子鼻が、喋る度に揺れる。

 ボウストはその小さい体を見ていた。人型だから倒せないと言うわけではないが、それでも人の形をしているだけで、少しの躊躇が生まれるのだ。

「待て! どうして戦うんだっ?」

 話が通じる相手ではないことは百も承知だが、ボウストは問い掛けた。

「グルォ」

 蛇の尻尾を持つ狼、スネーフが唸り声を上げる。マウンハーピーのいる木の後ろから、すり足で距離を詰めてくる。

 ボウストの敵はマウンハーピーだけではない。

「ゆっくり喋ってる暇なんてあるのかい?」

「グルルルルル」

 マウンハーピーはスネーフの頭を撫でた。戦いの最中だと言うのに、喜んでいるかのように、気持ちよさそうな顔をする。

 スネーフの大きさは、マウンハーピーのそれと大差ないようだ。まるで、猛獣使いの様にマウンハーピーは言った。

「行け、スヌル! あいつの喉元を食いちぎってやれ!」

 スヌルと呼ばれたスネーフは、後ろ足で地面を蹴った。およそ二メートルの差を一気に詰める。くわっと開いた口には、びっしりと鋭利な牙が生えている。それは的確にボウストの喉元を狙った。

 ボウストは間一髪、レイピアで防ぐ。

「くっ! 速い!」

 ボウストはレイピアを握る手に力をこめ、スヌルの顎ごと斬るべく力いっぱい押した。

 だが、それに気づいたスヌルは後ろに飛びながら咥えていた剣を離した。

 木の上からはバードンがその鋭い鍵爪をボウストの頭に突きつけようとしている。バードン自体はそんなに強いモンスターではないのだが、スヌルがいる以上そちらを先に攻撃できない。

 仕方なくボウストは、バードンの攻撃を避けつつスヌルから離れる。

「キィー!」

 足元からレグマウスの声が聞えた時にはもう遅かった。

 その長い歯がボウストのふくらはぎに食い込む。

「ぐわぁっ!」

 ボウストは耐え切れずよろけた。そこをすかさずスヌルが飛び掛る。ふくらはぎにレグマウスを張りつけたまま、ボウストはスヌルに剣を振るった。スヌルは首をすくめる事でそれを避ける。スヌルの頭の毛がファサッと舞った。その間にボウストは右足に食いついたレグマウスに、レイピアを突き立てた。

「キュイイィィィィー」

「ぐぅ!」

 レグマウスの体が硬直し、ボウストの足に尚更歯が食い込む。バードンはその様子を上から見ていた。そして、ボウストの足に狙いを定める。

 ボウストは避けようとしたが、足から流れる血で滑った。滑りながらバードンを切り裂く。 バードンから血が溢れボウストに返り血が飛んだ。生臭い液体が顔に張りつく。

 降り注いだバードンの血と、自分の足からの血で、ボウストの周りの地面はぬかるんだ。ボウストは慌てて立とうとするが、ヌルヌルする地面でしかも片手では上手くいかない。

「グルゥゥ!」

 スヌルはそれを好機と見て、飛んだ! 滑ったボウストの上に着地する。

「ぐわーーー!」

 鋭い爪をボウストに食い込ませ、ボウストを地面に固定する。

 スヌルは口元を上げてグルル! と唸ると、ボウストの首元目掛けて口を開く。唾液が滴り落ちてボウストの首元を濡らした。

「待て、スヌル!」

 今まで黙ってみていたマウンハーピーがゆっくりと近づく。

「お前、どっかで見たことあると思ったら、あの時の……! クックック……」

 マウンハーピーはボウストの顔をじっくりと眺め、そして大声で笑い出した。ボウストはその間もスヌルを退かそうとするが、爪が食い込むだけだった。

「いい事教えてやるよ。まぁ、冥土の土産ってやつだな」

 マウンハーピーは尚も口元に含み笑いを浮かべながら言った。

「アークヒルの時に、子供が飛び出しただろ? あれはな…………」

 言いながらニヤニヤとボウストを見やる。

 ボウストは、何となくその先が分かったような気がした。

「この俺様だァ! クハーッハッハッハ」

 予想していた言葉とは言え、ボウストの頭には怒りしか浮ばなかった。

「クソォォォォッ!」

 懇親の力をこめて、スヌルを弾き飛ばすと、素早く立ち上がった。そして足に喰らいついたまま死んだレグマウスを、左足で思い切り蹴り飛ばす。

 グチャァと言う嫌な音と共に、レグマウスは踏み潰された。右足に開いた穴から血が噴出す。

「そんななりで、俺に勝てると思ったかァ!」

 マウンハーピーが吠える。

 剣がぶつかり合う音が当たりに響いた。身体は小さくても力はあるようだ。左手とは言え、長身のボウストと互角に渡り合う。

 しばらく睨み合いが続いた。両者の力は均衡し、決着がつく程の差がなかった。

「なかなかやるようだな」

 マウンハーピーは、楽しんでいるような声を出す。事実、今まではほぼ無抵抗の人間しか殺した事がない。

 こうして反抗してくる人間は、ボウストが初めてだった。

「コレならどうだ!」

 言ってマウンハーピーは手をかざした。手の平に魔力が収束する。子供の拳くらいの大きさになったそれを、ボウストに向かって投げつける。

 ボウストは少し身を引くだけで難なくかわしたが、ボウストの後ろで、魔力球がはじけた音がした。

「クヒィヒッヒッヒ。どんどん行くぜ」

 マウンハーピーは次々に魔力球を作り出し、それをボウストに投げつけた。

 ボンッ、ボンッと、定期的に魔力球のはじける音がする。ボウストとマウンハーピーの距離はどんどん広がっていった。

「グルルゥゥ!」

 ボウストによって弾き飛ばされたスヌルは、今まで気を失っていたらしい。ニ、三度頭を振ると唸り声を上げる。

 だが、マウンハーピーの生み出す魔力球のせいで、うかつにボウストには近づけないようだった。

 ボウストは魔力球から逃げつつ、スヌルとの距離を詰めた。魔力球は相も変わらず、次々とボウストに向かってくる。

「グルルル……」

 スヌルはボウストが目の前に来た事で、腹を据えた。コントロールのあまり良くない魔力球は、スヌルにとってもあまり脅威ではないようだ。

 ボウストはスヌルに向かって、レイピアを振るった。スヌルはそれをヒョイとかわす。同時にボウストに向かって飛び掛った!

 ボウストはまたしても、スヌルの牙をレイピアで防ぐ。そして、そのままレイピアに懇親の力をこめた。レイピアがボウストの魔力に呼応して、膨れ上がった。

 スヌルの口の中で、レイピアが魔力を放つ。

「グルァァァ」

 スヌルの口から血が滴った。だが、スヌルはレイピアを離さない。

 そこへ、マウンハーピーの魔力球が飛んできた!

 ボウストもレイピアを離すわけにはいかず、魔力球を避けそこなって脇腹に直撃した。

「くぁぁああ!」

 ボウストの腹で破裂した魔力球はボウストをスヌルごと弾き飛ばした。

 魔力球自体の威力はそうでもないが、ボールの様に飛んできたそれの勢いは強かった。

 ボウストは木々の間を抜け引き摺られるように斜面を下り、勢いを増したままボウストは木の幹に叩きつけられた。

「ぐはぁっ!」

 ボウストは血を吐いた。衝撃で口の中を噛んだらしい。右頬の内側がヒリヒリと痛い。


「クックック! コレで終わりかぁ?」

 いつの間にか近づいてきていたマウンハーピーが、斜面の上からボウストを見下ろした。スヌルがいないところを見ると、そっちもそれなりにダメージを受けたようだ。

 ボウストは輝きのなくなったレイピアを握りなおす。

「……掛かって来い!」

 切れた口で喋ったせいで呂律がちゃんと回らなかったが、マウンハーピーにはそれが効果的に現れた。

「きーさーまぁアアアア!」

 挑発された事に気づいたマウンハーピーは一直線に、斜面を駆け下りた。

 あまり力の入らない身体で、ボウストは再びレイピアに力をこめる。魔力があまりコントロール出来ないのか、レイピアの光が弱々しい。

 再びボウストはマウンハーピーと剣を交えた。先程と違って、ボウストの方が劣勢なのは火を見るより明らかだ。

 マウンハーピーは力押しでボウストを斬ろうとする。大ぶりなそれはボウストにとっては見切りやすかった。

 剣技はボウストの方が上なのだ。ボウストはマウンハーピーの剣を左に身を捩ってかわしつつ、マウンハーピーの右腕を落とした。

「グフォォォォォ!」

 ゴトリと、音を立ててそれは落ちた。マウンハーピーはその落ちた腕を見つめる。

 肩の傷口から血が噴出す。落ちた腕から流れ出る血で、それは生きているかのようにピクピクと動いた。

「貴様如きにぃいいいいいい!」

 ボウストはマウンハーピーが態勢を整えないうちに、剣を振るった。マウンハーピーの腹が横一線に斬れる。吹き出した血はボウストを赤く染めた。だが、魔力のあまりこもっていないレイピアでは、マウンハーピーを倒すまでは至らなかったようだ。

 スヌルはそれを見て怒りに燃えた。

「グルルルォォォォォ!」

 スヌルにとってマウンハーピーはご主人様のような存在だったのだろう。それがやられるのを見て、大人しくしているわけには行かない。

 スヌルは跳躍して、ボウストとマウンハーピーの間に踊り出た。眼つきが更に獰猛になり、動きも先程より素早い。

 ボウストは流れ出る血のせいで、足元が少しふらついていた。

「グルルゥゥ」

 飛び掛る機会を窺うかのように、スヌルはボウストの周りを一周する。じりじりと距離を詰めながらスヌルは、ボウストの右側から攻めた!

 右腕のないボウストは、右からの攻撃には滅法弱い。だが、ボウストは、スヌルが距離を詰めている間に口の中で呪文を唱えていた。

「ソニック・ウエイヴ!」

 予期しなかった攻撃に、スヌルは対応が遅れた。もろに魔法を喰らって木に叩きつけられる。

「グゥォォォオオオオオ!」

 ボウストは素早く間合いを詰めて、スヌルにレイピアを突き刺した。悲鳴と共にピクピクとのたうつスヌルを確認し、ボウストは後ろを向いた。

 死にきれていないマウンハーピーが苦しそうに身を捩っている。目からは涙のようなものが流れ、じっとスヌルを見ていた。

「……グボォ」

 何かを喋ろうとしているのか、口を動かすが、血を吐き出すだけで声は出ないようだ。

 ボウストはそれを見て哀れに思った。

「すまない……」

 何に対しての『すまない』だったのか、自分でもわからないが、そう言いながらマウンハーピーに留めをさした。

 あたりは夜の帳を明け、すっかり明るくなっていた……。



 奈良樹は丁度砂鉄を取りに山小屋を出ていた。

 いい剣を作るためにはいい砂鉄を取って来ない事には始まらない。

 極上の砂鉄は握ると掌に応える砂石のようで、火にくべるとパラパラと音が鳴って弾ける。

 北山には、そんな砂鉄の含有量が高く、風化した岩が露出している場所が多くあった。奈良樹にはうってつけの山なのだ。

 奈良樹は山から切り崩した岩を水際に持って来て淘洗し、砂鉄を取った。

 その砂鉄を三昼夜、木炭の燃焼熱によって還元させる事で少量のケラが出来上がる。そのケラの中から選別された良い部分を玉鋼と言い、奈良樹が武器を造るのに使う材料となるのだ。

 奈良樹は、いい鉄を打つための努力は惜しまなかった。普通は一人で全てやる事ではないが、奈良樹は努力と根性を持って、この作業をこなした。

 そうして作られた奈良樹にとって半端な武器は、一国の王や金持ち貴族などに買われていく。奈良樹にとっては大したモノではないが、市場ではそれなりの評価を得ていた。

 この山はモンスターの巣窟のような場所だったが、奈良樹はそれよりも大業物を作る事に使命を燃やしていたのだ。

 それに、奈良樹は腕っ節にも多少自信があった。

 毎日鉄を打つことで培われた、強靭でしなやかな筋肉が奈良樹の体を覆っていた。

 先程も鳥型のモンスター、バードンに襲われたが、大金鎚を振り回して難なく潰した。

 モンスターなど、眼中になかった。要は殺るか殺られるかだ。奈良樹は常に殺る派の人間だったのだ。それでも、用心するに越した事はない。

 前方からガサガサと音を立ててやってくる気配を感じ、奈良樹は身を硬くした。

 飛び掛って来やがったら、この特製大金鎚でペチャンコにしてやる! 奈良樹はそう思い、獲物を握りなおす。

 気配と音から察するに、前から来ているモノは人と同じくらいか、それより大きいくらいのモノだと奈良樹は思った。

 ベア系かそれとも……。

 魔族か……。

 どちらにしてもあまり考えたくはなかったが、やられる前にやるしかない! 奈良樹は逃げるのは嫌いなのだ。

 木が密集しているせいで、奈良樹には来ているモノが何なのかは見えない。音を頼りに奈良樹は大金鎚を振り下ろした!

 見事に空振りした金鎚は、地面にめり込む。

「ちぃっ!」

 奈良樹は舌打ちすると、相当重量のある大金鎚を軽々と持ち上げた。

「うわっ! ま……待て!」

 奈良樹の目の前にいたのは、熊でもましてや、魔族でもない只の人間だった。ヒョロッとした身体つきながら、隙なくこちらを見ている。

「なんだ、人間か……」

 後少しで潰す所だった人間を奈良樹はしげしげと見つめた。

 所々が赤く染まった、ボロボロのマントに包まれた相手は、怪我をしているのか脇腹に血が滲んでいる。

「なんで、こんな所に人間がいるんだ?」

 奈良樹はふと疑問に思った事を口に出した。

 奈良樹の武器を買いにくるような人間なら、一人では来ない。

 ましてや、こんな満身創痍な人間がこんな所を歩いているのが不思議でならなかった。

「俺は、ボウスト……。頂上までどれくらいだ?」

 ボウストと名乗った相手は、奈良樹の質問には直接答えず、問いを問いで返す。

「頂上だって? 何の用があるんだ?」

 頂上には奈良樹の住んでいる山小屋と、鉄を打つのにこもる洞窟くらいしかない。 

「魔族が……秋留が……」

 うわごとの様に、しきりにその名前を呟くと、ボウストは気を失った。

「何だい? こいつは……」

 突然現れた珍客に眉をひそめつつ、倒れた男を見やる。

 こんな所に放っておいて、死なれちゃたまらん。

 奈良樹は仕方なくボウストを担ぐと、山小屋目掛けて足早に歩き出した。

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