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Degrade  作者: 我道&九尾
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第ニ章 安心そして恐怖

 秋留の住む村は二人が倒れていた場所から歩いて二十分程度の所だった。

 村に到着するまでの間、ボウストは「なぜ真夜中に森を歩いていたのか」と秋留に訊ねた。

「変わってると思われるかもしれませんが、私は……夜の散歩が好きなんです」

 予想しない返事にボウストは目を丸くした。

「こんな魔族が横行するような森に、夜に、しかも一人で? 信じられない! 死にたいのかっ?」

 ボウストは声を荒げて、秋留に詰め寄った。

「いいえ、夜が好きなんです。空に瞬く満天の星々や、月光の……」

 今度はボウストが遮る番だった。

「何が、星だ! 何が月だっ! 魔族がいるんだぞ! あいつらは、人間を餌としか思っていない。お前はさっきも危うく喰われるところだったじゃないか!」

 秋留の軽はずみな行動がボウストには理解出来なかった。

 ボウストにとって死は、何事にも勝る恐怖なのだ。その死へ自ら近づいて行こうとする秋留は、到底ボウストの理解出来る存在ではない。

「私は、魔族に脅かされる生活はイヤです! 村に居ても森に居ても、魔族に出会えば殺される事実は変わりません。それなら、自分のやりたい事をしたい。自分の行きたい所に行き、自分のしたい事をする! 駄目……ですか……?」

 語尾が弱弱しくなる。秋留も、怖いのだ。

 確かに、どこに居ようが魔族に会えば殺されるだろう。

 だが、村に居るよりは、森に居る方が魔族に出会う確率は高い。それを踏まえた上で、夜に森に居るという暴挙に出ているのだ。正気の沙汰とは思えない。

 でも、一部で納得できる何かがある。

 「自分のやりたいように生きる」

 一見身勝手なようで、しかし、このご時世に生きていく上で最も難しい行為だ。

 やりたいようにしていたら死が早まるのだから。

「まぁ、いい。どう生きようが自分の勝手だ」

 そう言いつつも、ボウストは秋留の事を少しだけ見直していた。この華奢な身体に、意外に豪気な精神が宿っているのが見えたからだ。

 死に対して無闇に怯えるのではなく、死を理解した上で力に換えている、そんな印象を受けた。

「ふふ、いいんです。村でも変わり者扱いされてますから……」

 秋留は、少々照れながら言った。

「まぁ、普通はそうだろうな」

「どうせ、変人です〜」

 そう言って頬を膨らませる仕草が何とも子供っぽい。

 やがて二人は村へ着いた。

「あ、あそこに見えるのが私の生まれ育った村、雫沫(ダマツ)です。亜細李亜(アジリア)大陸の中でも、一、二を争う程平和な村だと思いますよ」

 雫沫は平和というより、寂れた村だった。

 簡素な軒並み。家庭菜園ではないであろう、畑や田んぼ。

 実際雫沫は他の村との交流が殆どない、自給自足的な村だった。

 静かというよりは、活気がないと言った方が正しいだろう。今は確かに夜ではあるが、ここまで静かだと誰も住んでいないかのようだ。家から漏れる明かりも、あまり多くは無い。

「雫沫は、乾物などの日持ちする食べ物は隣村から仕入れているんです。とりあえず私の家にでも行きましょうか。何にもないところですけど……」

 秋留の家は村の入り口から一番遠くに在った。

 村の端と言っても村自体がそんなに大きいものではないため、少し高くなっている村の入り口から、その存在が確認できるくらいの距離だ。

「ただいまー。ハルいるー?」

 秋留は背負っていた黒い鞄から取り出した鍵で、玄関のドアを開け中に入った。

「おかえりー。収穫はどうだった?」

 そう言って出て来たのは肩まで伸びたさらさらの黒髪を持つ少女だった。少女は秋留の後ろに立っているボウストに目を留め、あんぐりと口を開けた。

「その金髪……、その瞳……、冒険者クラブに載ってた写真より少し痩せてるけど、その顔……。ボ……ボウスト!」

 少女はは秋留を追いやると、おもむろにボウストのこけた頬に手を伸ばし、引っ張った。ボウストは訳もわからず、されるがままになっている。

「夢じゃない。本物だー! 本物のボウストがいる! すごいっ」

 少女はボウストの周りをクルクル回り、色んな角度からボウストを見たり、突ついたりしてはしゃぎ回った。

「ルナ、うるさいよ。夜なんだから静かにして」

「ボウスト! ボク、春菜って言います……。そこにいる秋留お姉ちゃんの妹です。ルナって呼んでください!」

 春菜はそこまで一気に言い終えると、甘えるようにボウストを見た。

「えと、それで、それでっ! ……ボク、あなたのファンなんだ。サインくださいっ!」

 ボウストは、どうしたらいいかわからずに秋留を見やった。

「ルナ……、ボウストさんが困ってるよ……」

 少々呆れ気味に秋留は春菜を引っ張って、玄関に戻した。

「ごめんなさいね、うるさい妹で。ルナ、あんたは、これ!」

 秋留は鞄の中から、透明な袋を取り出した。

「今日の収穫。明日にでも粉にしといてね」

 秋留の渡したのは夜露花よつゆばなという花だ。その名の通り夜に咲く花で、煎じて粉にすると薬になる。

 だが、秋の夜にしか咲かない上に非常にデリケートな花で、霧が出易い土地でしか咲かないと言う特性を持っているのだ。

 夜の散歩が好きと言っていたが、夜露花を採るために外に出ていたということにボウストは気づいた。

「ボウストさん、今日はもう遅いので私達の家でゆっくりしていって下さい。って、こんな玄関で……、ごめんなさい。どうぞ、上がってくださいな」

 秋留はたたきで靴を脱ぎ、ボウストを奥の部屋へと誘った。玄関で靴を脱ぐのは亜細李亜大陸の家独特の習慣だ。ボウストも秋留に習って靴を脱いだ。

 その間も春菜はボウストへ色々とちょっかいを出していたが、ボウストが何も反応しないので、不貞腐れた。

「今日はこの部屋を使って下さいな。狭い所で申し訳ないですけど……」

「悪いな、世話になるぞ」

 秋留が通した部屋は、この家の中でも最も広い部屋だった。

 父と母の部屋だったが、今は二人ともいない。

「ねぇ、ボウスト。ボクも一緒に寝ていい? 色々話を聞かせて欲しいんだ」

 好奇心にはやる心を抑えられないかのように、春菜はボウストを見た。秋留は一応春菜をたしなめたが、こうなっては意地でも動かない事をわかっていた。

「好きにしたらいい」

「ほんとっ? やった〜。じゃあ、布団持って来るから待ってて? どっか行っちゃ嫌だよ?」

 自分の部屋に向かって走って行く春菜を見ながら、秋留は溜息をついた。

「人と関わるのは好きじゃないように見えましたけど……?」

「人と関わるのは好きじゃない……」

 じゃあ、何が好きなの?

 と、言いそうになるのを秋留は抑えた。ボウストの中に、深い悲しみが渦巻いているのが分かるからこそ、傷をえぐるような言葉は避けるのだ。

「ルナはうるさいですよ。冒険者クラブは欠かさず読んでますし、なにより、あなたの大ファンですから。まぁ、私も負けないくらい大ファンですけどね」

 秋留はにっこり笑ってそう言った。

 村の外との繋がりが薄い雫沫において、冒険者クラブという雑誌は唯一の娯楽と言っていい代物だった。月に一回発売されるそれには、歴代の冒険者や勇者の写真、エッセイが載せられている。かつて勇者と呼ばれていたボウストも、その例外ではない。今は載る事も無いが。

「そうそう! 二人っきりで寝るのはいいですが、可愛い妹を襲ったりなんかしたら怒りますよ」

 笑って秋留が付け足した。

 春菜のクルクルと良く動く大きな瞳に健康的に日焼けした肌や、少年とも少女とも見える幼い顔立ちを思い浮かべ、ボウストは苦笑いを浮かべた。

「さすがに若すぎるな……」

「ふふっ」

 ボウストが真剣に答えたのを見て秋留が声を上げて笑う。

「秋留お姉ちゃん、何で笑ってるの?」

 小さな身体で布団一式を抱えながら春菜は怪訝そうに首を傾げた。

「それよりボウスト! 本、持って来た。えっと……あぁっ」

 布団の間から本を取り出した春菜は、ボウストの写真がついているページを開こうとした。だが無理な持ち方をした布団が雑誌と共に春菜の手から滑り落ちた。

「はぁ……。もう、夜中なんだから、明日にしたら?」

「やだ、欲しい!」

 駄々っ子のように首を振って落ちている本を拾い出し、春菜は再びページを開いた。そこには今より血色の良いボウストと、かつてパーティーを組んでいた仲間達が写っていた。

 ボウストは昔の自分と仲間を見るのが辛かった。

 名前の通り生きようと思っていた自分。今は、誇りなど見る影も無い。利き腕をなくし生きることに疲れながらも魔族から人間から隠れるように生きている。そんな自分をボウストは信じたくなかった。

「ボウスト……?」

 写真を見つめ固まってしまったボウストを、春菜は心配そうに見つめた。

 巷では再起不能とか腑抜けとか言われているボウストの心の中は、まだ幼い春菜には分からない。

 だが、春菜は信じていた。周りの誰が信じていなくても、ボウストは、春菜の大好きな勇者なのだ。

「ボウスト、ごめんね。元気出して。ボクは信じてるよ。ボウストはボウストなんだから。他の誰がなんと言おうと、ボクはボウストのファンだよ」

「………」

 俺はそんな純粋な好意を受けるような存在ではない。ボウストは心の中で呟く。

 気まずい雰囲気のまま秋留は二人の布団をセットし、部屋を出て行った。春菜は何とかしてボウストと話がしたかったが、普段なら起きていない時間に睡魔に耐えられるはずも無く、しばらくするとスースーと静かな寝息を立て始めた。

 そんな春菜を見て少し微笑む。穏やかな寝顔に懐かしさがこみ上げた。

 仲間といたあの頃……。

 蘇る恐怖。

 口元に浮かべた笑みが、途端に引きつる。

 どこにいても、何をしていても、あの時の恐怖から逃れられない。

 ボウストは痛む心を抑え、やがて浅い眠りについた。



 気づくとボウストは川岸に一人立っていた。手には水を入れる桶を持ち、立ちつくしているだけだった。周りには家も何も無く、ただ水の流れる音だけが静寂さを表している。

 ボウストは川辺に腰を下ろし自分の顔を水鏡に映すと深く溜息をついた。水鏡に映った顔が真似をするように溜息をついている。

 ボウストはそんな自分の顔を見るのが嫌になって深く目を閉じた。誰もいない川岸で水の流れる音だけが耳に入ってくる。

 その音を聞いているだけで心が落ち着くようだ。ボウストはしばらくして目を開けた。

 すると水鏡に映った顔が川の流れで変形し、他の顔を映し出した。

「ボウスト……。ボウスト……、お前はこんな所で幸せに暮らしていていいのか」

「あんたのために、俺達の村は全滅した」

「あんたが村に来なければ、あたしも息子も死なずに済んだのに」

 次々に映る顔が、口々にボウストを非難していく。

「うわあぁぁ! やめてくれ。俺に、どうしろと言うんだ」

 持っていた桶で川の水をかき乱したが、声だけはボウストの頭にこだまする。

「ボウストさえ居なければ」

「僕の身体……、僕の幸せ……、僕の未来…………。返してよ!」

 次第に大きくなっていく声に、ボウストは耳を両手で塞ぎ叫んだ。

「許してくれ! 全て、俺のせいだ! あの時、俺が水汲みに行っていなければ……。いや、それより俺が、町で静養していなければ………!」

「あんたのせいだ!」

「消えてなくなれ」

「どうして俺達が死に、あんただけが生き残っている……!」

 引っ切り無しに聞こえてくる声から逃げるように、ボウストの心はどんどん暗い闇の中に落ちていった。



「ボウスト! ボウスト……? 大丈夫?」

 ボウストのうなされる声で起きた春菜は、ボウストを揺すり起こした。

 荒い息。全身から湧き出る冷汗。ボウストは今のが夢だった事に安心し、同時に深い恐怖に襲われた。

 このままこの村にいたら、この幼い子供にまで被害が出る。自分の事を好いてくれる少女の未来を、また奪ってしまう事になる。

 そんなことは耐えられない! ボウストは荷物をまとめて、今すぐにでも出て行く決心を固めた。

「ボウスト? 何やってるの? 出て行くつもり? 駄目だよ! まだ、夜だよ。せめて、日が出るまでは家に居た方がイイよ……」

「悪いな」

「いやだよ、ボウスト。どうして、出てくの?」

 春菜は半泣きになりながら、必死にボウストを引きとめようとする。

 俺のせいで全滅した町の二の舞になる前に、早くここを出なければ。

 ボウストの中は強迫的な観念で一杯だった。泣きながらしがみつく春菜を引き離し、部屋のふすまを開ける。

「どこへ行くつもりですか?」

 ふすまの前には秋留が立っていた。騒ぎを聞きつけて起きてきたのだ。

「ここに居たらこの村まで魔族に襲われる」

「……もし魔族が来たら戦うまでです」

 戦ってどうにかなるものなら……。秋留は心の中でつけ足した。

「ボクも戦うよ。ボウストを守ってあげるから……」

「…………世話になった…………」

 たとえ秋留達が何と言おうと、ボウストは出て行く決意を替える気は無かった。

 もう二度と自分のせいで失っていく命を増やしたくは無い。

「ボウスト、あなたのせいじゃないよ。安心して、眠っていいよ……。私があなたの事を守るから。落ち着いて、ボウスト……」

 秋留は言葉に力を込めて、優しくボウストに囁いた。

「魔族からも、悪夢からも、全て守ってあげるから。だから、安心して、眠って……!」

 秋留の言葉と共に、ボウストの身体から力が抜けていった。強制的な眠りが身体の内側から沸き起こってくる。

 秋留はボウストが完全な眠りに落ちる前に、布団の中へ導いた。

「おやすみ、ボウスト。いい夢を……」

 そう言って、子供をあやす母のような手つきで、優しく布団の上から胸の辺りを叩いた。

 ボウストは、自分が子供に戻ったかのような安らぎを覚え、再び眠りについていった。

「ごめんね、ボウスト」

 秋留はボウストが寝たことを確認すると春菜を寝かしつけ、廊下に置いておいたお香の火を消した。嗅いだ者の心を落ち着かせるその香りは、秋留が立ち去った後もボウスト達が眠る部屋の中を漂っていた。



 翌日。ボウストは暖かな日差しと、食欲をそそる匂いで目が覚めた。

 力いっぱい伸びをした後、周りを見渡す。

 見慣れない景色。家の中で眠りについたのは、いつ振りだろうと考えをめぐらす。

 もう、いくつもの夜を月の下で迎えてきた。いつもモンスターや魔族の気配に怯えながら、眠れぬ夜を過ごしていた。

 久々の熟睡。自分でも、どうしてこんなに安心して眠りにつけたのか分からない。

 思えば、昨日からおかしい。

 人との関わりを避ける自分が、ノコノコと家まで着いてきて泊めてもらった事。

 秋留という少女の前では自分の抑制が効かず、大声で怒鳴ったりした事。

 そして熟睡。昨日は夢を見ていたような気がするが、どういう内容だったか思い出せない。

 不思議な少女だ。魔族に喰われかけたというのに、けろっとして冗談を言うし、何も出来ないのかと思いきや回復魔法を使うし、夜が好きだと言って自分のやりたい事をする。

「う……んん……」

 隣で寝ていた春菜が、眠そうに目を擦りながら起き出した。

「あれ? なんで、お母さん達の部屋で寝てるんだっけ?」

 まだ寝ぼけているのか、大きな目をパチパチする。

 そんな様子をボウストはずっと眺めていたが、やがて春菜がゆっくりボウストの方を振り向いた。

「うわぁ! だ……誰?」

 春菜はビクッと身体を揺らしボウストを凝視した。

「……ごめん、ボウスト。一気に目が覚めたよ」

 ボウストに寝ぼけた姿を見せた春菜は、照れ笑いをしながら言った。

「ここは、両親の部屋なのか?」

 タンスの上にある家族写真を眺め、ボウストはふと思った疑問を口に出していた。

「そうだよ。今は、二人とも居ないけどね。お母さんは、ガイア教会本部で司祭をしてて、お父さんは………行方不明なんだ。五年前、冒険に出て行ったきり、帰ってこないし連絡もよこさない」

 そういうと、春菜は口を閉ざした。

 春菜はまだあどけない表情を残している。精々十四、五歳といったところか……。この歳で両親とも居ないのは、さぞかし寂しい事だろう。ボウストは自分も経験した辛さを重ねて、春菜を見つめた。

「今はね、秋留お姉ちゃんが夜露花を売ったお金で冒険者を雇ってるんだ。お父さんを捜すために。ほんとは自分で捜したがってるみたいだけどね」

 夜露花はその特性上、薬にすると高く売れる。だが、冒険者を雇うのは、一介の子供には大変なことだろう。

 夜露花を取るのは経験をあまり積んでいない冒険者が嫌がる仕事の一つだ。霧の出やすい土地はモンスターや魔族も出やすい。ましてや、夜にしか咲かないとなるとその比ではない。

 秋留は何度、夜の散歩と称する花の採取に及んだのだろうか……。

「秋留お姉ちゃんはさ、いつか自分も冒険者になっちゃうと思う」

 春菜はそこまで言うと言葉を切った。続きの言葉を言い辛そうに下を向く。

「秋留お姉ちゃんは、ボク達とは血が繋がってないんだ。だから……本当の両親を探したがってる。ボウストが、もし良ければ連れて行ってあげてほしい」

 搾り出すような声で、春菜はボウストに告げた。

「……俺は……、お前が思うような英雄ではないんだ!」

 魔族に怯え、逃げ回るだけの臆病者だ。

「俺は、前の仲間がどうしているかも知らない情けない人間だ。そんな奴が新しい仲間を作れるわけがないだろう」

 春菜のまっすぐな瞳はボウストにとって、苦痛以外の何物でもない。己の弱さを突きつけられる。

「そんなのボクが教える! だから、もう、そんなツラそうな顔すんな!」

 まるで、教える事でボウストの心を癒そうとするかの様に春菜が言う。

 知ろうと思えば知ることは出来た。それをしなかったのは、臆病だったからだ。ボウストは怖かった。自分が抜けた事を仲間達がどう思っているのか、それを知りたくなかった。仲間の所在を知らないことで、仲間に会わない言い訳をつくっていたのだ。

「司祭ジール、魔法使いキティ、武道家ソリッド、戦士テラーズはそれぞれ一度故郷に帰ったあと、もう一度パーティーを結成した。勇者の抜けてるパーティーだったけど、戦況はそれなりだった……。だけど……」

 そこで一度区切り、春菜ははっきりボウストに言った。

「だけど、テラーズは頑張りすぎた。ボウストが帰ってくるのを信じて、ひたすら頑張った。でも、アークヒルから半年後、テラーズは」

「春菜っ!」

 春菜の言葉を遮ったのは秋留だった。エプロン姿の秋留がふすまの前にいた。

「ボウストさん……」

 心配そうな瞳で、ボウストを見つめている。

 ボウストは顔を上げなかった。瞼の裏にかつての仲間の姿が映っている。戦っている限り、いや魔族がいる限りこうした悲しみは続くのだろう。

 ボウストの両親は魔族の犠牲になった。そして、テラーズも。

 魔族は人と共存しない。相容れない生物なのだ。

「ボウストさん、春菜の言ったのは事実です。でも、あなたのせいではない。あなたが全ての責任を背負って生きていく必要はないのですよ」

 ボウストはうつろな瞳で秋留を見つめた。

 心には怒り、悲しみ、そして恐怖が渦巻いていた。

「俺は………どうしたらいい?」

 すがるような気持ちで秋留に問う。

「私は、守りたい。全てを守れるとは思わないけど、せめて手の届く範囲の人を守ってあげたい」

 秋留はあえて問いには答えず、自分の心の内を語った。

「今はまだ誰かを守れるほど強くはないですけどね……」

 おどけてそうつけ足した秋留の瞳の奥で、強い意志が光っていた。

「焦らなくていいんじゃないかな? ボウストがしたいようにするのが一番いいと思う」

 軽い調子で春菜が言う。

「秋留お姉ちゃんなんてさ、ほんと自分のやりたいようにやってるよ? 夜は危ないから出歩くなって言ってるのに、止めても聞きやしない」

「うるさいな。そういう事は言わなくてイイの!」

 痛いところを突かれ、照れ隠しに春菜を小突いた。

「ほらね? すぐ暴力に訴えるしさ」

「ふっ……」

 沈んでいたボウストの顔に笑みが浮ぶ。と同時に自分の感情にボウストは驚いた。

 右手と共に、笑うという基本的な表情も失ったと思っていたのに。

「さて、場も和んだみたいだし、ご飯にしましょ。楽しい気持ちで食べないと、美味しい物も美味しくなくなっちゃうからね」

 秋留はそう言って優しく微笑んだ。



 秋留が作った簡単な食事を済ませた後、ボウストは村長の家に行くことにした。「鍛冶屋の情報を持っているかも」と、秋留に勧められたからだ。

「村長はね、この村で一番物知りだけど、ちょっと苦労するかも……」

 村長の家まで送ると言ってくっついて来た春菜は、苦い顔をする。

 昨夜はゴーストタウンのように感じたこの村も、日が昇るにつれ活気で溢れてきていた。数少ない店も暖簾を上げ、乾物や肉、簡単な武器防具など、他の村から仕入れてきた品を売りさばいている。

 見たところ、雫沫では農作物をメインに売る店はないようだ。各々の家で畑を持ち、自活しているのだろう。

 春菜に案内されしばらくすると、こぢんまりとした長屋に着いた。

 村長の家というからには、それなりに大きい家をボウストは想像していたのだが、これなら秋留の家のほうが大きいに違いない。春菜に連れて来られなければ、気付かずに通り過ぎていただろう。

「村長いますかー?」

 ガラガラと玄関のドアを開け、奥に向かって春菜が叫んだ。

「ほぉいほぃ。そんなに怒鳴らんとも聞こぇとるわぃ」

 奥から出てきたのは齢八十を越えているであろう、腰の曲がった小さな老人だった。

「じーちゃん、お客さん。ボウストだよ、ボ・ウ・ス・ト! 知ってるでしょ?」

 春菜は必要以上に大きな声で、且つ、区切って話掛けた。

「ブォウスト? ……懐かしぃ名じゃ。アークヒルからちぃと聞かなくなったがのぅ」

「ご老人、伝説の鍛冶屋について知っている事はないか?」

「伝記の火事がつぃて回っとる事はなぃかだと? なぁにを言っとるのかさっぱり分からんわい」

 ボウストは耳の遠くなった老人と話した事がない。もごもごとした喋り方や、こちらの言葉がちゃんと通じていない事に、思わずボウストの口調が厳しくなる。

「すまないが、遊んでいる暇はないんだ。答えてくれ!」

 少しの怒りを押し殺し、低い声でボウストは言った。

「じーちゃんは耳が遠いから、ゆっくり大きい声で喋ってあげなきゃダメだよ」

 ポンポンと軽くボウストの肩を叩き、春菜は諭すように言った。

 やっぱり苦労するよね……と小声でつけ足す。

「じーちゃん。ボウストがね、伝説の鍛冶屋について、知りたいって」

「伝説の鍛冶屋かの……。はてさて……どこから話したものか……」

 脈有りな反応にボウストは思わず息を呑んだ。

 伝説と言われているくらいだから、その所在を知るものは多くない。存在さえ確かかどうか危ぶまれる鍛冶屋なのだ。

「その鍛冶屋は、北の山奥でひっそりと暮らしてぃるとぃう」

「なんていう山なの?」

 ボウストに変わって春菜が訊ねた。

「!……知らん」

「じーちゃん! 期待させないでよ、もうっ」

 あからさまにボウストの表情もがっかりしたものとなった。

 まぁ、こんなものだ。今まで知っていると言った者も、大炎山の麓に住む魔族の鍛冶屋だったり、そこら辺にいる鍛冶屋を紹介してきたり……。

 ボウストでさえその鍛冶屋の存在を信じられなくなってきているのだ。

「邪魔をしたな……」

 知らないのなら用はない。食料の補給をしてこの村を出よう。ボウストは軽く頭を下げ家の敷居を跨いだ。

「待つのじゃ! わしは確かに伝説の鍛冶屋は知らん。だが、知ってぃるかもしれなぃ人間を知っとるぞ」

 その言葉にボウストは足を止めた。どうせ少ない手がかりだ。聞いておくことに損はない。

 何の手がかりもない旅は、行く当てのないそれとそう変わらない。闇雲に進むだけでは辿り着けそうにない場合、情報は貴重な存在となる。

「……聞かせてくれ」

 ボウストは静かに老人を見つめた。

「雫沫の北西にある北山をご存知かの? そこの頂上付近にある洞窟で鍛冶屋を営んでぃる者がおる。偏屈な奴で、気に入った人間にしか腕を貸さん」

 まるで伝説の鍛冶屋のようだ。とは言え鍛冶屋には偏屈な人間が多いと聞く。自分の鍛えた武具が悪用されるのを好まない人間は、偏屈と言われようが自分の意志を貫き通すだろう。

「そ奴は雫沫の出身での。雫沫の者を連れて行けば、もしくは……」

「待ってよ、北山って……」

「そうじゃ。春菜も知る通り、地元の人間も近づかないような危険な場所なんじゃよ……」

 魔族の影に怯えるボウストにとって、それは恐怖以外の何物でもない。

 だが、

「どうせ魔族に狙われる身だ。どこに居てもそう変わりはあるまい」

 心とは裏腹に、身体は危険に身を委ねようとする。魔族に恐怖し、震えながらも旅をしてきた。

 こうまでして鍛冶屋に行っても何も得られないかも知れない。

 だが、自分でも言った通りボウストは狙われる身なのだ。一ヶ所に留まって、他人を巻き添えにする事は絶対に出来ない。

「雫沫の戦士を連れて行くがよぃ。わしから話しておこう」

「いや、その必要はない。俺一人で行く。世話になったな」

 今度こそボウストは村長の家を出た。

 食料の調達をして、今日にでもこの村を出よう。

「ボウスト、ボウストってば! もう出て行っちゃうつもりなの?」

 少し遅れて出てきた春菜は、ボウストの背中に向かって話掛けた。

 振り返らない背中が、出て行くことを語っている。

「食料の調達するんだよね? 今日の夜にならないと、仕入れに行った人達帰ってこないって、じーちゃんが言ってたぞ」

 昨日の秋留の言葉が急に甦ってくる。はめられた……。

『雫沫は、乾物などの日持ちする食べ物は隣村から仕入れているんです』



 夜になり食料の調達が終わったあとも、秋留に言い包められ明日の朝まで滞在する事になった。

 ボウストは秋留に口では勝てないと、早々に悟る。

 だが「夜出歩くのは危険だから」と言ったその口で、「散歩につき合って」と夜露花採りにつき合わされるのはどうかと心の中で思う。

「北山に行くそうですね」

 薬彩(やくさい)の森をしばらく歩いたところで、突然秋留はそう切り出した。

「大抵の山や森はモンスターの巣窟になっていると、ご存じないわけではないでしょうに……」

 昨夜のボウストの姿を思い出しつつ秋留は心配そうに続けた。

「北山にいようがこの森にいようがそう大差はないさ」

 魔族は怖いがそれよりもっと怖いのは、自分の巻き添えになって関係のない命が失われる事だ。

 今のボウストは他人の命どころか自分のそれを守る事さえままならないのだ。もはや勇者ともてはやされた自分を思い出すことさえ出来ない。

 お互い無言のまま、昨日秋留が襲われていた場所付近までやって来ていた。

「昨日は、危ないところをありがとうございました」

 秋留は魔族に追い込まれた崖の辺りを見つめ、ボウストに礼を言った。

 昨日手に握り締めていた夜露花が、儚く散らばっている。それを大事そうに拾い上げると、秋留はボウストの瞳を見つめた。

「ボウストさん。あなたは自らを危険に追い込もうとしている様に見えます」

 ボウストの行動は生きていこうという意志より、逃げたい気持ちの表れのほうが強い。

 死ぬ事で魔族から、そして自分からも逃げようとしている様に秋留の目には映った。

 秋留は大きく息を吸い込む。

「明日、私も北山に行きます」

 「止めても無駄です!」と言う、言外の言葉がボウストの心に届いた。

「私がいたら、あんまり無茶も出来ないでしょう?」

 優しく微笑みながら、秋留はボウストを見つめている。ボウストはその儚げな笑顔に魅了されながらも、どうやって止めようか悩んだ。

 以前の俺なら、秋留が言い出す前から止めていただろう。だが、今はどうだ。

 止める言葉が出てこない。

 秋留の言葉に、心のどこかで安心している自分に気付く。

「怖く……ないのか?」

 ボウストは恐る恐る秋留に聞いてみる。

「何言ってるんですか! 無茶苦茶怖いですよ。だから、守ってくださいね」

 全然怖くなさそうな秋留の明るさに、ボウストの口元に自然に笑みが浮んだ。

「私も、ボウストさんの事守ってあげますから」

 笑って言う秋留の目は、全然笑っていなかった。


 その後、秋留は黙って夜露花を摘んだ。キラキラとした露が可憐な花びらから一滴落ち、他の花を濡らす。月明りを背にした秋留の姿は、まるで一枚の絵の様にボウストの瞼に焼きついた。

「さて、そろそろ帰りましょうか。遅くなると明日にひびきますしね」

 風が、立ち上がる秋留の長い髪と白のロングスカートをなびかせる。気づけば秋留の小さな鞄は、夜露花や他の薬草で一杯になっていた。

 今までぼーっと秋留のする事を見つめていたらしい……。秋留の細くて長い指が濡れた夜露花を摘む仕草が、頭から離れない。

「今日はつき合ってくださってありがとうございました」

 秋留はパンパンになった鞄を大事そうに抱えて歩きながら、にっこり微笑んだ。

「明日北山に持って行くための薬草もついでに採っておきましたよ。これで少しくらい怪我しても大丈夫ですね」

 まるで遊びにでも行くかのように楽しげな口調で秋留は続けた。

「怖く、ないのか?」

 再度、問う。

 秋留の華奢な身体は、触ればすぐに壊れてしまいそうだ。服の上から見える身体のラインには、筋肉を感じられない。きっと剣さえ握った事が無いだろう。

「私、冒険者になりたいんです」

 強い意志ではっきり言う。

「私の本当の両親と、育ててくれた父を探すため……。というより、好奇心が疼くからの方が強いですけど」

 さすがに照れるのか、ボウストから目を離す。

 子供っぽい理由だというのは百も承知だ。

「好奇心は身を滅ぼすぞ」

「わかってます。村の人にも耳にタコが出来ちゃうくらい言われてますから」

「腕がなくなるかもしれないぞ」

「それは……ヤですけど。でも、そう言う理屈でやめようと思うような、緩い決意じゃないです」

 ふぅっ……。ボウストは小さく溜息をついた。

「あ! ため息なんかついたら、幸せが逃げちゃいますよ。とにかく、明日は嫌でもついてきますからね」

 秋留の強引さを嫌だと思っていない事に、ボウストは気づいた。

 人が隣にいる心地よさ。

 忘れていた心を、思い出したような気がした。



 赤い光が、暗闇をよぎる。

 二人は一瞬何が起こっているのかわからなかった。

 先程雫沫の入口に差し掛かったところで、昨日には無かった喧騒に気付いた。その後数秒もしないうちに辺りが赤く光ったのだ。

「な……なにがあったの?」

 秋留も事態を把握できていないらしい。瞬きをしつつ光のよぎった方向を見る。

「まさか、魔……魔族か!」

 さっきの光には見覚えがあった。

 火炎魔法ヒートアロー。焔の矢を放つ対個人用魔法。

 そんな物をこんな時間に村の中で放つ必要があるとしたら……、それは魔族やモンスターに対しての攻撃としか考えられない。

「魔族……!」

 ボウストの言葉に、秋留は一瞬放心していた。

 しかし、次の瞬間には全力で走り出した。秋留の脳裏に昨日の出来事がまざまざと浮んでは消える。魔族が目の前にいる恐怖。そして浮ぶのは死。

「秋留、待つんだ!」

 止めるまもなく走り出した秋留の背を追い、ボウストは叫んだ。

 さっきの光の見え方からして、戦場はあまり遠くない。ボウストは焦りながら秋留に追いつき、その手を強く引いた。

「きゃあっ……嫌っ! 離して!」

 いつもの冷静さはなく、秋留はボウストの手を振り解こうとする。

「何の力もないお前が、何の作戦もなく行ってどうする! 犬死するだけだ!」

「それでも、何かの役には立てるかもしれない! わかっているのに黙って見てる事なんて出来ない!」

 ボウストはその言葉にハッとした。

 自分もそう思って勇者になったのではなかったか。そう思って、今も自らの命を絶つことなく生きているのではなかったか。

 いつの間にか恐怖だけがボウストを支配し、目を曇らせていた。

「ボウストさん! 私に、昨日の透明になる魔法を掛けてください!」

「インビシブルか……」

 どうするつもりなんだ? という言葉は、口から出る前に飲み込まれた。

 秋留のあまりにも真剣な表情が、ボウストにそれをさせなかったのだ。秋留の視線はまっすぐボウストを貫いていた。

「光を透し闇と化す……光に紛れて闇を討つ……光よ、この者にその力を……インビシブル!」

 ボウストの魔法を受け秋留の姿が瞬く間に透明になると、やがて見えなくなった。

「私、行きます!」

 声と共に、足音がボウストのそばから離れていった。

「どうして、そうも強くいられる……」

 恐怖という炎がまだボウストの中に燻っている。

 だがそんな中でもボウストは秋留を助けたいと思った。

 ボウストの中に勇者と呼ばれていた時の気持ちが少しずつ甦って来ているのだ。

「……インビシブル!」

 ボウストは自らにも魔法を掛けた。それがどういう事か、自分でもわかっている。

 秋留を助けたい。いや、秋留だけではない。みんなを助けたいのだ。そう思うと、ボウストは戦場へ向かって走り出していた。



「ボウストがいるのはわかってるんだよ! 無駄なこたぁやめて、さっさと差し出せってんだ。非力なおめェらの力じゃ俺を殺すどころか、傷つける事すら出来ねぇよ」

 ボウストが辿り着くと、そこでは昨夜出た二本角の魔族が大声を出していた。

 魔族の傍らには、ボウストも見たことのない一つ目のモンスターが座っている。全身は毛で覆われていて、身の丈は子供くらいか。毛の生えたボールのようだ。

 特徴であるでかい目は閉じられていたが、それがあたりを窺っている事は気配でわかる。

「それはどうかな?」

 落ち着いた声と共に、大剣を担いだ男が現れた。

 その後ろから、いかにも魔法を使いそうな老婆がゆったりと姿を見せる。

「ほぉ、腕に自身があるようだな。くっくっく、おもしろい。マルボロ、相手をしてやれ!」

「笑っていられるのも今のうちだ! 行くぞっ!」

 男は迷わず角の魔族へ走り寄った。大剣が真っ直ぐ魔族に振り下ろされる。

「おりゃああああああ!」

 金属同士がぶつかり合うような、激しい音があたりに響き渡った。

 皆何が起こったのかわからない。

 大剣が、男の後方で地面に突き刺さっていた。

「なにぃっ?」

 いつの間にかモンスターが魔族の前に出ている。その見た目に似合わない素早さで、主人を守っているようだ。

「言い忘れてたけど、このマルボロに剣は効かないぜ? まぁ、魔法も効かないけどな。くっくっくっく」

 魔族はそう言うとマルボロの頭らしきものを撫でた。

 男は注意深く後ろに跳び退り大剣を手に取ると、今度はモンスターに振り下ろした。

 しかし全ての攻撃は、マルボロの毛によって防がれていた。マルボロは、攻撃があたる瞬間に全身の毛を硬質化し、それで男の大剣を受け止めていたのだ。

「大地の精霊と風の精霊の宴は、地底を走り虚空を舞う……アースブロー!」

 老婆の手から放たれた緑の風が、一直線にマルボロの元へ走った。

「…………」

 どこにあるのかわからない口で、マルボロは聞き取れない言葉を放った。

 モンスターの瞳が開く……。

 目の前まで迫っていたアースブローは、マルボロの前で拡散された。

「そんな……」

 集まっていた村の若い衆から、声が漏れる。剣も魔法も効かない。絶望が村の者の心をよぎり始めた。

「くっく、愚かな人間どもよ。これでわかっただろう? 大人しくボウストを出せば、おめェらには危害は加えねぇでやるからよ。ん? 優しいだろう? 俺様は」

 ボウストは震えていた。

 魔族の言葉を聞いて、静養していた町の事を思い出していたのだ。

 ボウストが人と関わるだけで罪もない人達が殺される。

 そんなのもう真っ平だった。

「俺は、」

 ここだ! と叫ぶ声は春菜の声でかき消された。

「誰がお前なんかに渡すもんか!」

 キッと魔族を睨みつける春菜の小さな身体は、ボウストの様に震えてはいなかった。

「くく、こんなガキにまで守られてるのか、あいつは。ボウストォッ、どこかで聞いてるんだろう? 殺しちまうぜ? このちっちゃいの」

『うおぉぉぉ!』

 魔族のその言葉に、剣を構えていた男達が一斉に飛び掛った。

「くくくっ、愚かだ」

 魔族の左手が黄色く光る。スゥーっとあげた手の平から、凝縮した魔力を男達に向かって放つ。

「ぐっ」

「あぁ!」

「がぼっ」

 一瞬で男達が皆後ろに吹き飛んだ。

 血を吐き倒れる者、苦痛に身体を捩る者、皆それぞれにダメージを受けている。

「おじちゃん! 大丈夫っ? しっかりして!」

 近くに飛んできた男に駆け寄り、春菜は声を掛ける。

 苦痛に歪む顔が、春菜を見据えた。

「弱い! 非力な人間め。所詮我らの糧よ……」

「糧なんかじゃない! 弱くったって、精一杯生きてる! お前らなんかに、踏みにじられてたまるかぁ!」

 春菜は泣きながら叫んだ。

「チビちゃん。お前は食い甲斐がありそうだな。くく、糧だという事を思い知りながら、死んでゆくがよい」

 春菜は近づいてくる魔族を、涙で濡れた顔で睨みつけた。

 魔族にとって、春菜のような気丈さをヘシ折る事は最高の喜びである。最後には「助けてくれ」と懇願する、その顔が見たい。角の魔族はジュルルと、出てくる涎をすすった。

 春菜の恐怖を煽るように、ゆっくり、ゆっくり近づく。

「ルナっ!」

 秋留の声が響く!

 インビシブルの魔法の効果はまだ残っている。

 周りの目からは、魔族がいきなり横に転んだように映った。

「ぐわっ。何かいるぞ? マルボロ! 目を開けろ!」

 モンスターは魔族の言葉に頷き、聞き取れない呪文を唱えた。

 ゆっくり開かれる瞳に秋留の姿が映ると、秋留に掛かっていた魔法の効果が消えた……。

「あ……秋留お姉ちゃん!」

 春菜の前に、秋留は両手を広げて立っていた。

 魔族に体当たりをしたせいで、白いスカートが泥にまみれている。

「くくっ。昨夜の娘じゃないか……。昨日は悪かったね。一思いに食べてあげられなくて」

 今日はちゃんと残さず食べてあげるよ。

 魔族はそう言って、舌舐めずりをしながら秋留のことを見た。

 ゾワゾワとしたものが秋留の背中を這い上がって、秋留はブルルと震える。

「あんたなんかに食べられるつもりなんか、これっぽっちもないわよ!」

 隠し持っていた短刀を構え、秋留は言った。

「いいねぇ、その表情。苦痛に歪む顔が見たくなるぜ」

 じりじりと近づいてくる魔族に、秋留と春菜も少しずつ後退する。

 「こつん」と踵が倒れている人にあたり、これ以上下がれない事を秋留に気づかせた。

 吹く風が秋にしては生暖かく、嫌な汗を感じさせる。秋留に逃げるつもりはなかった。

 風があれば、出来ることがあるっ!

「風の精よ、汝は、荒れ狂う嵐。全てを飲み込む嵐。その力を全ての者に見せつけよ」

 秋留は言葉に力を込めた。

 瞬間、秋留を取り巻く風が力を持ち始めた。

 緩やかに吹いていた風は次第に渦を巻き、砂や小石を巻上げながら拡大していく。風の勢いが増すに連れ、秋留の体力はどんどん消耗していた。竜巻につられ、秋留の身体が右に左にゆらゆら揺れている。

 魔族は目に映っているものが信じられないようだった。放心しながら本能で後退りする。

 人も、魔も、驚き、目にするのは竜巻。荒れ狂う風に飲み込まれ、かき消される松明。

 秋留は魔族のいる方向に手をかざした。

 風は荒れ狂う力をそのままに、魔族へと襲い掛かった。あまりの強風に魔族の身体がフワリと持ち上がる! 魔族は竜巻に飲まれ、上へ吹き上げられた。

「ぐぅっ! マッ……マルボロッ! 目を……」

 竜巻の中で必死に魔族は叫んだ。

 マルボロは魔族の声に反応し、またもや目を開ける。


「しゅうぅぅぅぅぅぅぅぅ……」


 風は何事もなかったかのように収束し、今まで立っているのがやっとだったかの様に、秋留はその場に座り込んだ。

「ぐわァ!」

 竜巻に吹き上げられた魔族は、成す術もなく地面に叩きつけられ苦痛の声を漏らす。口からは青色の液体が一筋流れた。

「よくも……! よくもやってくれたなぁっ!」

 魔族は怒りをあらわにし、秋留に向かって跳んだ。

 一瞬の出来事で秋留は逃げる事すら出来なかった。いや、逃げる力もなかったのかもしれない。

 魔族は秋留の両肩を掴み、その手に力をこめた。

「うぅっ!」

 爪が肩に食い込む。そのまま魔族は秋留の身体を持ち上げた。

「こんな、小娘に!」

 魔族は渦巻く怒りのままに、秋留の肩に爪を立てる。秋留の身体がびくっと震え、手足がだらんと下に落ちた。

「んあぁぁ!」

 秋留の水色のブラウスが紅く染まり、背負っていたリュックからは薬草が飛び散った。

 秋留は春菜の事を見た。春菜も泣きながら秋留を見ていた。

 早く、逃げて。

 口を動かす力もなかった。

 ただ、心の中でずっと思っていた。

「小娘がっ! くくっ。いいことを思いついたぞ。貴様の前で、先にこいつを食ってやる」

 魔族は秋留を投げ捨てて、標的を春菜に移した。

 秋留は背中をしたたか塀にぶつけたが、春菜を守るという気合で気を失うのを防いでいた。だが、あまりの激痛に動く事も出来ない。

「小娘、見ているがイイ。お前のせいで、この小さいのがどうなるか……」

 魔族は笑いながら春菜を掴んだ。

「うぅ……」

 春菜は恐怖で引きつった目で、魔族を見返していた。



 一方、ボウストは、一部始終を家の影で見ていた……。わけではない。

 ボウストは走っていた。

 黒いマントの内側から聖水を取出し、魔族周辺に五箇所垂らした。同じ聖水で呪文を地面に描く。インビシブルの魔法が掛かっている上に、魔族の意識が秋留達に集中している今しか出来ない作業だった。

 五芒星を作り、魔族の力を弱まらせる。

 だが、五芒星に力を篭める時だけは、透明化していても気づかれてしまうだろう。五芒星を完成させるための最後の仕事を、ボウストはどうしてもすることが出来なかった。

「んあぁぁ!」

 秋留の悲鳴が聞こえる。

 細い肩から血を流し、それでも負けじと頑張っていた。

 俺は……いつまで、怖いなどと言ってるつもりだ!

 村人も、秋留も、春菜でさえ、自分の出来ることをしている。

 俺はなぜ戦わない。

 怖いのは皆同じだ。俺は、繰り返すつもりなのか?

 静養していた町の人達みたいに、罪のない人達を見殺しにするのか!

 嫌だ! 二度と見殺しになどするものか!

 ボウストは、地面にマジックレイピアをつき立てた。

 わずかな共鳴音と共に、五芒星が薄く光る。

「なっ! ボウストか!」

 ボウストの作った五芒星の真ん中で、魔族は叫んだ。

 春菜に食いつく事で頭がいっぱいだった魔族は隙が多かった。

 五芒星の光がまばゆく輝く。

「うがぁああ!」

 魔族が悲鳴をあげる。五芒星の力により、急速に魔力を吸い取られているのだ。

 マルボロが慌てて目を開く。

 五芒星の魔法とボウストのインビシブルは打ち消されたが、魔族の失った魔力が戻ることはない。

「ボォウストォッ!」

 魔族がボウストに向かって吠えた。

 ボウストは春菜を守るように立ちはだかり、剣を構える。

「今頃ノコノコ出てきたのか、ボウストさんよ。あとちょっと遅かったら、この村の連中もあの時みたいに皆殺しに出来たんだがなぁ。くっくっく」

 魔族はボウストの怒りを煽るように話し掛けた。

「どいつもこいつもお前なんかを守るために命掛けるみたいだからなぁ。……気にいらねぇんだよ!」

「何が言いたい?」

「お前が静養していた町の連中、覚えてるかい? あいつらを殺すのは楽しかったなぁ。皆お前の事を信じてたみたいだぜぇ。あいつら、お前の事をしゃべらねぇから、俺様が食ってやったよ。くっくっく。女も子供も全部なぁ!」

「貴様ァアアア!」

 マジックレイピアの刀身がボウストの怒りを受けて紅く光った。ボウストは魔族に剣を振りかざしたが、怒りに染まった大振りの剣を魔族はアッサリとかわす。

 だがかわす事を見越していたボウストは、そこから剣を返した!

「がぁ!」

 切込みが浅かったのか、魔族は倒れない。ボウストは続けて攻撃に出た。剣が空気を切る音があたりに響く。

「ボウスト、お前の力はこんなものか?」

 利き腕がなくなってからのボウストには、かつての力や体力はない。腕を無くしてからの実経験も、ほぼない。

 一閃した魔族の爪がボウストの手の甲をかすり、その衝撃でマジックレイピアを取り落とした。傷からジンワリと血が滲む。ボウストは剣を拾う事を諦め、呪文の詠唱に入った。

「荒ぶる風は精霊達の怒り、我に仇名す全ての者を払い、怒りを静めたまえ……ソニック・ウエイヴ!」

「ぐがあぁぁ!」

 聞こえない音の衝撃が魔族を襲う。

 ボウストの手から放たれた魔法は、接近していた魔族の胸に当たった。鈍い音を立て、胸骨が折れる。

「ゴポォッ」

 魔族の口から青い血が吐き出され、ドロっとした液体が地面を青く染めた。

「なかなか、やりやがる……。だが、ここまでだぁ!」

 魔族は手に魔力を込め、ボウストに向かって力を放った。魔族が弱ったところを見て隙ができていたボウストは、魔族の急な攻撃に反応できなかった。

「ぐわあっ」

 敵の放った魔力はボウストの脇腹に命中し、ボウストの薄い装備ごと吹き飛ばした。ボウストの脇から鮮血が迸る。

「くくっ。片腕だけじゃ寂しかろう。今度は足を奪ってやろうか?」

 言いながら手に魔力を溜める。魔族の広げた手の平の中で、先程より大きな魔力が育っていく。ボウストは脇へのダメージが強く立ち上がれないでいた。

「さて、そろそろいいかな?」

 魔族はそう言ってボウストに手をかざした。

「ボウスト、危ないっ!」

 春菜は叫んで魔族に体当たりした。

 衝撃によってブレた魔力は、ボウストの横の地面に衝突し物凄い音を立てた。

「ちっ! 邪魔な野郎め、消えろっ!」

 魔族は春菜に向かって手の平を一閃させる。

「うわぁあああああああ」

 かまいたちのような魔力が春菜の背中をぱっくりと切り開いた。

 春菜の小さな身体から、血飛沫が飛び散る。

「ルナぁっ!」

 秋留は自分に気合を入れると春菜に向かって走った。

 ロングスカートがはためき、上手く走れない。それでも何とか春菜の元に辿り着くと、リュックから薬草をつかみ出した。

 それを春菜の背中に優しく乗せ、自分の肩から垂れる血を薬草に混ぜる。

「森の精よ、聖なる守護者よ。慈悲深き恩恵を与えたまえ。春菜に治癒の力を!」

 秋留は力ある言葉を放つ。春菜から噴出していた鮮血が止み、傷が瞬く間に塞がっていった。

 しかし同時に秋留の肩からどっと血が溢れる。秋留はそれを抑えようともせず、キッと、魔族を振り仰いだ。

 秋留は邪魔なスカートの裾を膝のあたりで切ると、立ち上がって言った。

「許さないわ……。私の村を傷つけた事、私の妹を傷つけた事、ボウストや関係のない人達を今まで苦しめた罪! 死んで悔やむがイイわ!」

 秋留は近くに転がっていた剣を手に取った。

 秋留の魔力を介し、マジックレイピアを取り巻く魔力が大きく膨れ上がる。

「キュイィィィィン」

 剣が高い声で鳴いた。秋留の魔力はボウストのそれの比ではない。本人さえ知らない力が怒りと共に爆発したのだ。

「ああああああああ!」

 秋留が吠える。

 魔族に向かって、剣を振りかざした。

「マルボロォ!」

 魔族の忠実なる僕は、言われるまでもなく魔族の前に身を投げ出した。

「邪魔だぁぁぁ!」

 迷わずモンスターに剣を振り下ろす。

 秋留にはモンスターの弱点がわかっていた。

 マルボロは目を開けている時は魔力を無効化し、閉じている時は鋼の様になる。なら、同時に両方の攻撃をしたら……。

「ぎゃいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃんんんんんんんんんんんんんんんん」

 甲高いマルボロの悲鳴が空気を震わせた。

 マルボロの身体から体液が迸る。秋留はそれを受けながらも、何度も斬りつけた。

「アギャアアアアアアアア……」

 ピクピクとマルボロの身体がのたうつ。

 秋留はそれを確認すると、魔族の方を向いた。

「やはり防御よりのマルボロじゃあ手が出ないか……」

 マルボロの死に様を横目で見やり、魔族は言った。

「大人しく死になさい!」

「ちぃっ!」

 五芒星により魔力を吸い取られた上に、ボウストの攻撃で魔族は痛手を負っていた。

 このまま戦うのは不利だ。

「ボウスト、次来る時まで楽しみは取っておいてやる。精々残りの人生を謳歌するんだなっ!」

 お決まりの捨て台詞を魔族は吐いた。

「そうそう、俺様の名前はキルハートだ! 覚えておくがいい」

 魔族はそう言うと地面の中に消えていった。

「空間移動か!」

 ボウストは血の流れる脇腹を抑え、魔族の消えたところを見ていた。

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