(17)
それから裕也はゆっくりと立ち上がると、昨日のこの部屋に立ち込めていた空気は全く違う空気がこの場にあることを自分に言いつけるようにゆっくりと深呼吸を行う。が、心臓の脈が安定することはなく、バクバクと鼓動数は上がるばかり。しかし、そんなことで無駄にする時間は少ないため、身体に鞭打って、足を一歩踏み出す。
「無理しないでくださいよ?」
そう言うのはやはりユナ。
いつでも裕也が倒れてもいいように、しっかりと横についていた。
「そうだよ? 王女様ほどじゃないけど、ユーヤお兄ちゃんの顔色も悪いんだから。魔力の方もガタガタになってるし……」
ユナと同じくアイリもまた裕也の隣につき、自分の身体の状態を教えてくれた。
しかし、それを聞いたところで裕也の中に『外に出て、身体を休める』という選択肢がなかったため、その言葉を聞き流して、机へと向かう。
それは昨日、アベルが机で何かの作業をしていたことを思い出したからである。
そのことを教えるかのようにアベルの机の上には紙が置いてあり、そこには書いている途中で殺されたことを教えるかのように書きかけの状態になっていた。
裕也にユナとアイリが付いて来ている以上、二人もその紙を見ることになってしまう。
見た瞬間、「え、ウソ……」とアイリが漏らす。
「ん? どうした?」
アイリが漏らした言葉の意味が分からず、アイリにそう尋ねる。
「この最初の所に書いてあるのって、基本的に相手の名前だよね?」
手紙の最初の方に書いてある人物の名前をアイリが指差す。
「まぁ、『レッカ殿』って書かれてあるぐらいだから、人の名前であることは間違いないだろうな」
この城でまだ出会っていない、もしくは城の外の人物であることは容易に予想が付き、ユナの意見も聞くべく、ユナを見る。
「私も人名以外に『殿』を付ける人なんて見たことないすし、それ以外の使い方を知りません。アイリちゃんはこの人を知ってるんですか?」
ユナに言われて、裕也は初めてアイリがこの手紙に書かれある人物に心当たりがあることに気付く。そして慌てて、その真相を聞くべき、アイリを見た。
アイリは確証が得られないらしく、
「ボクが思ってる人かどうかは分からないけど、その人で当たってるなら知ってるよ? ううん、ある程度の人なら知ってるんじゃないかな?」
不安ながらもその人物が有名であることを裕也たちに教えた。
「へー、そんなに有名なのか?」
「うん、有名だよ? アベルも有名といえば有名な人物に入るんだけどね。エルフの中では特殊なタイプだから」
「……もしかして、ここに書かれてあるレッカさんって人もそんな感じで有名なのか?」
「……うん、そうだよ。この人はサラマンダーの街での重役の一人なの。気性の荒いサラマンダーの中では穏便派で通ってる人」
「ふーん、サラマンダーの中で穏便派ねー……。けど、なんでそんな人に手紙なんて書いてるんだろうな?」
「さあ? そこがボクも不思議なんだよね……」
アイリも思い当たる節がないらしく、首を傾げていた。
それが原因で、手紙の主がアイリの考えるレッカで当たっているのかどうか確証が得られないことを裕也は察した。
「とは言っても、これの手紙も全部書き終わってないからなー。オレが部屋に来るタイミングがもうちょっと遅かったら、もっと書き進んでたかもしれないけど……」
机に置いてある紙には最初の挨拶の言葉が書き終わり、これから本題のところで途切れているため、内容は完全に分からない状態。だからこそ、裕也は自分の到着があと三十分ほど遅かったら良かった、と少しばかり後悔してしまった。
「そんなこと今さら悔やんでも仕方ないんですから、これから先のことを考えましょう。後悔したって時間は戻らないんですから」
ユナは優しくそう声をかけた。
「でも……」、と後悔の言葉を続けたかったが、裕也はそうすることを止めた。それは、ユナの顔を見ると、心底心配しているのが分かったからである。そして、ユナの言い分が正しいと思ったからだ。
――だよな、後悔したところでアベルは戻ってこないし……。
後悔するならば、そこから後悔しないと思った裕也は、
「サンキュー、ユナ、助かった。後悔するよりも先にしなきゃいけないことがたくさんあるよな」
そう言って、ユナの頭に手を置き、ワシワシと撫でた。感謝の意味を込めて、髪が乱れない程度に優しく。
あまり経験がないこれにユナは顔を赤くしつつ、
「ちょっ、ちょっとやめてくださいよ。恥ずかしいじゃないですか!」
なんて拒否の言葉を言いつつも、撫でる手を止めることはしなかった。
その様子を見ていたアイリは、羨ましそうに見つめながら、頬を膨らませ、
「ボクだって励まそうと思ったのになー。ユナお姉ちゃんじゃないのになー。それに、この人物を知ってたのはボクなのに……」
と、明らかに褒めて欲しそうなネタばかりを独り言のように呟き始める。もちろん、声の大きさは二人の耳にしっかりと入るような大きさの声。
裕也とユナはアイリの子供らしい反応に軽く笑いを溢し、
「そうだな、アイリのおかげでこの手紙の重要性に気付けたのは確かだよ。アイリもよくやったぞ」
そう言って、ユナの頭からアイリの頭に手を移動させて撫で始める。
「本当にアイリちゃんがいて助かりました。裕也くんや私のためにたくさん手伝ってくれてありがとうございます」
ユナもまた今までのこと行動に対して、お礼を述べる。
二人から褒められ、お礼を言われたことが嬉しいのか、ユナは顔を蕩けさせて、喜んでいた。




