(12)
「あ、ありがとうございました。もう本当に大丈夫です」
五分ぐらい出ていた咳も止まり、本当に大丈夫だと思った裕也は、未だに背中を撫で続けるアイナにそう言った。
「そ、そうですか? これぐらいたいしたことないので遠慮しなくても大丈夫ですよ?」
アイナはまた少しだけ寂しそうな表情を浮かべつつ、そう言うも、
「いえ、本当に大丈夫ですよ。ありがとうございます」
裕也の中に生まれてしまった、普段なら絶対に感じない申し訳なさを優先し、イスに座ったままだが頭を下げる。
そこまで裕也にされてしまったアイナは、それを拒む理由がなかったため、素直にその言葉に従い、自分が座っていたイスに座り直す。
「気にしないでくださいね。これぐらいたいしたことないですから」
「はい、分かってますよ」
「本音を申しますと、これ以上に力になりたいと思っているのです」
「これ以上に?」
「そうです。こんな苦難の状況の中、必死に抗う人を救いたい。そう思ってしまうのは生き物の心理でしょう?」
「人によると思いますけど、王女様にそう思っていただけるのであれば光栄です」
「……うーん」
「え?」
「二人きりの時は『アイナ』と呼んでください。みなさんが居る前ではしょうがないですが、こうやって気分をリラックスしてる時ぐらいは……」
「は、はぁ……」
ちょっとだけ拗ねたように漏らすアイナを見ながら、裕也は動揺しまくっていた。いや、現時点である確信が生まれていたからだ。
それはアイナがすでに裕也の魅惑能力の虜に掛かっているということ。
だからこそ、こうやって自室に招き、二人きりの時間を作っている。
――こ、こんなにも上手くいっていいのか……?
こんなにもあっさりと当初の目的を攻略してしまった裕也はそう思ってしまう。
同時に違う怖さも踏まれてしまっていた。
それは、今後絶対にややこしいことになる、という確信。
こんな風に上手くいった後には何かとてつもなく悪いことが起きるのは、人間の生きる人生の中で一つの心理だからだ。
「呼んでくれないのですか?」
生返事だけでいつまでも裕也が名前を呼んでくれそうにないことを察したのか、アイナはそう裕也に告げる。
「え、あっ……分かりました。アイナさん」
「『さん』いらないです」
「はい、アイナ」
「ふふっ、よろしいです」
呼び捨てで呼ばれたことが嬉しいらしく、にこにこと笑うアイナ。
逆に裕也は二人きりで呼び捨てで呼ばないことを必死に心に言い聞かせながら、ユナに言われていたことをふと思い出す。
「あ、あの……いきなりですが力を貸してもらいたいんですけど、いいですか?」
「はい、何でしょう? 力になれる範囲で力を貸しますよ?」
「訓練場貸してください」
「訓練場ですか?」
「はい」
「一応、理由を聞いておきましょう」
「自分、魔力はあるんですけど、上手く魔力が使えないんですよね。もし、その密告者と戦うような展開になった時のことを考えて、訓練したいんですよ」
「そういうことですか。そういう展開は十分にありそうですし、構いませんよ。お貸ししましょう」
「あ、ありがとうございます」
裕也は勢いよく頭を下げた。
この頼みはなんとなく断られそうな気がしたからだ。
訓練するということは、ここの兵士たちと実力が追いつき、逃げようとした時の成功確率が上がるからだ。
だが、アイナはそこまでは考えていないらしく、
「これぐらいでそんなに頭を下げないでください。私からすれば、背中を撫でる次に簡単なことですから」
と、焦った様子だったが、声だけは嬉しそうにそう言った。
それと同時にドアをコンコンと叩くノック音が聞こえ、裕也とアイナは自然とそちら側へ向いてしまう。
――まだ誰か呼んでた?
その確認をするため、裕也はアイナを見る。
しかし、アイナはその首を横に振って、無言の質問を否定した。そして、そのノックしてきた人物を確認するために、
「はい、どうぞ」
ドアに向かって声をかける。
そこでようやく外にいる主の声、
「失礼します、王女様」
セインの声が聞こえ、ドアを開けて、中へと入ってくる。そして、ドアを開けた瞬間、裕也がこの部屋にいると思っていなかったのか、ちょっとだけ驚いた表情を浮かべた。が、すぐに平静に戻り、
「王女様にご報告することがあり、やって来たのですが……大丈夫ですか?」
と、裕也をチラッと見つつ、そう尋ねる。
アイナは裕也を見ることなく、
「はい、話してください」
裕也に構わずに話すように、とセインへ命じる。
セイン自体もそのことを分かっていたのか、驚いた表情をすることなく、部屋のドアを閉め、中に入ってくる。そして、アイナまで近付き、耳打ちしようと顔を近付けるも、
「普通に話しても大丈夫です。裕也さんは信用に足り得る人物ですので」
手で制し、そう命じた。
さすがにそれを言われると思っていなかったセインは、これには戸惑った表情をするも、言われたままに話し始める。
――一応、聞き流すか……。
耳に入る以上、少しでも覚えてしまうのは仕方ないことだが、なんとなくセインの気持ちを優先し、頭の中で違うことを考え始める裕也。
「あの暗殺のことなのですが……」
セインのその言葉を聞いた裕也は、即座に聞き流すことを止め、なるべく視線を逸らしつつ、全力で聞き耳を立てた。
「はい」
「犯人は自害しておりました」
「やっぱりですか」
「はい、首謀者を吐かないために自らの口を封じたようです」
「当たり前の行動……と言えば、当たり前の行動ですね……」
アイナは表情を曇らせ、まだ残っていたアップルティーの残りを一気に飲み干す。そして、重いため息を一つ吐いた。
「はい。ただ、一つだけ有力な情報として、他の種族は関係ないようです」
「と言いますと?」
「フリーの暗殺者と言いますか、種族としてはエルフでした。つまり、そこにいる人間たちは無関係のようです」
――っしゃ!
その言葉を聞いた瞬間、表情には出さないように、裕也はテーブルの下に隠してある右手を握り、素直に喜んだ。
アイナもそのことが嬉しいのか、
「そうでしたか! それは良かったですね!」
と、裕也の気持ちを代弁するかのように嬉しそうな声を漏らす。
「ですが……」
しかし、その表情は暗くなってしまう。
「はい。身内に犯人がいることになりますね。今回のことを企んだ首謀者が……」
「そうなります。どうしますか?」
「そうですね……」
セインのこれからの指示を頼まれたアイナは、難しそうな表情を浮かべながら、何度も自分の髪を撫で始める。
そして、何かを思いついたらしく、裕也を見て、
「裕也さんには悪いですが、このまま真犯人を探してくれませんか?」
と、とんでもないお願いをするのだった。




