(8)
「良かったね、アイリちゃん」
嬉しそうに凭れかかっているアイリに向かって、ユナがそう言うと、
「うん、本当にお父さんにされてるみたいだよ! あっ、これからユーヤお兄ちゃんじゃなくて、お父さんって呼ぼうか?」
なんて言ってきたため、
「やめてくれ。まだオレはそんな年じゃないから」
裕也は即座に首を横に振り、そう呼ばれることを拒否した。
アイリは「ちぇー」と言いながらも、最終的には「やっぱりお兄ちゃんがいいや」と自らが納得。そして、裕也の方へ向き直ると、裕也の胸板にスリスリと顔を擦りつけ始める。
――なんか、猫みたいだな。
アイリの様子を見ていた裕也はそう思ってしまう。
ただ、それだけ他人の愛情に飢えていた、ということを考慮したら、そのことを裕也は口に出すことは出来なかった。
しかし、こうやってずっとここにいることは出来ないため、
「ユナ、これからどうする?」
裕也はそう尋ねてみると、そこでユナが何か考え込んでいることに気付く。その様子からずっと考え込んでいたというものではなく、声をかける数秒前から何かに気付き、そのことついて思考を集中させ始めたという具合。
しかも、その視線の先はアイリだった。
「ユナ、何か気付いた――」
「ねぇねぇ、ユーヤお兄ちゃんたちはこれからどこに行く予定だったの?」
裕也の言葉に重ねるように、アイリは裕也とユナにそう尋ねた。まるで、裕也がユナに尋ねようとしたことを遮るようなタイミングで。
そう感じてしまった裕也はアイリの顔を見ると、そこにはさっきまで変わらない嬉しそうな表情のままのアイリ。
「あ、え……ごめんなさい。何か言いました?」
そこで思考の集中が途切れたのか、ユナもさっきまでの柔らかい表情に戻り、二人に尋ねる。
もちろん、そこでも先に言葉を発したのは裕也ではなくアイリ。
「『二人はこれからどうする予定だったの?』、って聞いたんだよ? ここまで来たのは偶然じゃないんだよね?」
「やっぱり分かります?」
「うん、エルフの街に行く予定だったんだよね?」
「はい、その通りです」
「やっぱりかー」
そこでアイリはスッと立ち上がり、エルフの街がある方向の道に向かって歩き出す。そして、道の真ん中で立ち止まり、ジィーっと奥を眺め始める。
ようやく膝が自由になった裕也は少しだけ痺れかけた足を伸ばしながら、
「アイリの奴、何をしてるんだ?」
と、ユナへと尋ねる。
「たぶんですけど、街の様子を見てるんじゃないですか? エルフはこういう視力や聴力などに優れた種族ですから」
「なるほどな。でも、実際はオレたちがエルフの街に行かないと安全かどうかなんて分からないだろ?」
そう呑気そうに裕也は言うと、その疑問にユナではなく、アイリが答える。
「違うよー。警備の様子を探ってるの。人種間戦争が起きそうなのは分かってるでしょ?」
「もちろん、知ってるけど……」
「そのせいで街が襲われないように、街を見回る警備兵がいるんだよ。そのタイミングの隙間を縫うように入れば、街の中に入れると思うの。街の中に入れば、こっちのものだしね」
「そうなのか?」
「最初が厳しいだけで、中に入れば、みんな優しいんだよ。入ったら、まずは服を着替えてもらわないといけないけどねー。さすがにその格好はね……」
アイリはそう言いながら、視線を街から裕也とユナの服装へと向ける。
「そんなにおかしいか?」
アイリの指摘に対し、裕也は自分の制服を見ながら、首を傾げた。こちらの世界の人間にまだ会ったことがない裕也からすれば、どこがおかしいのかが全く分からないからだ。
「おかしいというより、エルフの街では浮くって感じなんだよ。だから、中に入って着替えないと……」
「あー、それは大変だな。って、アイリちゃんはオレたちのことを怪しまないのか? 人間なんだぞ?」
裕也はふと気になったことを口に尋ねてみた。
先ほどから心を許したように甘えてきたり、街に入る協力をしてくれることから警戒の『け』の字も警戒していないからだ。だからこそ、逆にこれが罠なのかもしれない、と思い始めていた。
しかし、アイリはその質問に対し、不思議そうな表情を浮かべ、
「なんで?」
と、逆に裕也に質問をしてきた。
「なんでって……」
「だってボクのことを助けてくれたでしょ?」
「ま、まぁ……流れ的に、な……」
「だったら良い人でしょ?」
「それは自分では分からないけど……」
「んー、じゃあ何か悪さするの?」
「いや、するつもりないけど……」
「だったら、問題ないじゃん!」
「お、おう。そうだな……」
なんとなく丸め込まれてしまったような気がしてしまう裕也。が、それが本当のことだけに、裕也はそれ以上言う言葉がなかった。
そんな微妙な顔をしている裕也を納得させるように、アイリはこうも付け加える。
「それにね、普通の人だったら嫌がる膝に座る行為をしてくれたんだよ? そんなことをしてくれる人に悪い人はないないよ」
そのことを思い出したのか、アイリは嬉しそうな表情を浮かべ、
「街に入るお手伝いするから、また膝の上に座らせて。ボクはそれで満足だからさ」
新たな条件を出されてしまう。
それぐらいの条件なら苦でもない裕也は「分かったよ」、と少しだけ呆れた笑いを溢しながら、素直に頷く。
「だいたい、そんな質問をする人に悪人なんていませんけどね。まったくなんて質問をしているんですか!」
今まで黙っていたユナが両腰に手を当て、少しだけ膨れっ面で裕也へと文句を言い始める。
「何を怒ってるんだよ」
「気付いていないんですか?」
「何を?」
「アイリちゃんが街に入る手伝いをしてくれないことが、どれだけのピンチを招くってことか。下手をしたら、警備兵に連絡されたらどうなっていたかも……」
「あっ!?」
裕也はアイリにそこまで言われて、自分が口に出してしまったことの最悪な展開に今頃になって気付いてしまう。
その表情を見て、アイリは情けないようにがっくりと肩を落として、ジト目で裕也を睨み付ける。
その視線から裕也は目線を逸らして、あえて見ない様に心がける。そうでもしないとアイリの視線に耐えることが出来なかったからだ。
そんな二人を見ていたアイリはクスクスと楽しそうに笑いを溢していた。