紀行・舞鶴/北吸トンネルと中舞鶴線跡
北吸トンネルと中舞鶴線跡。
舞鶴湾は若狭湾から南に入ってゆくとつきあたりで左右に分かれることになる。よく「逆Y字」といわれる。西にゆけば田辺城の城下町にある西港、東にゆけば一九〇一年(明治三四年)十月一日に開庁した舞鶴鎮守府の置かれた東港にでる。鎮守府は、きたるべきロシアとの日本海海戦に備えて、北吸地区を中心にした軍港諸施設だ。初代司令長官は当時海軍中将であった東郷平八郎で、いわずもがな、のちに名参謀・秋山真之を幕下に迎え、ロシア・バルチック艦隊を破り、勲功により元帥昇進とともに伯爵号を与えられることになる。
日露戦争の二年前である一九〇三年(明治三七年)、新舞鶴駅(現在の東舞鶴駅)から舞鶴東港に至る約三・四キロ区間の引き込み線が完成。それが後に延長されて、東港と西港の中間地点に中舞鶴駅を設けられ、中舞鶴線になった。一九七二年(昭和47年)に廃止。レールが撤去された現在はサイクリングロードになっている。新舞鶴駅と東港を隔てるなだらかな山稜を短く穿っているのが北吸トンネルだ。英国の煉瓦積みを思わせるRを描いた美しい構造で、国登録有形文化財になっている。




