紀行・舞鶴/クレインブリッジと旧軍地下大要塞
舞鶴クレインブリッジ。
東舞鶴湾の北東奥にある平湾に入ろうとする口のところに架けられた鋼鉄製の白い斜張橋だ。一九九九年五月に完成した。全長七三五メートル、水面から主塔頂部までの高さ九十五メートル。鶴をイメージした主塔をくちばし、ケーブルを羽とし、それが二羽寄り添って舞う形になっているのだという。舞鶴に引っ掛けたわけだ。「鶴の橋」を英語読みすればクレインブリッジになる。――上手い、山田君、座布団一枚!
橋の右手のあたり奥にかつて平引揚桟橋があり、中国・朝鮮引揚者、シベリア抑留者が引揚船に乗って帰ってきた。よほど船舶が不足していたのだろう引揚船には砲塔を除去しただけの巡洋艦まであった。出征し旧ソ連に抑留されたまま帰らなかった元日本兵も多かった。そういう息子を待つ母親の一人に端野いせさんという方がおり、マスコミが大々的にとりあげた。彼女をモデルに『岸壁の母』という演歌が流行り、映画・テレビドラマ化された。現在、主要な港湾施設は機能していないようだ。桟橋は一部が復元され引揚記念館もある。
そこから海辺に沿って奥にゆくと、戦後直後に青森県大湊港を発って釜山を目指す邦人搭乗員二五五名、祖国に引き揚げようとする韓国・朝鮮人労働者家族三七二五名を乗せた海軍特設運搬船「浮島丸」四七三〇トンが舞鶴に立ち寄る際、米軍が軍用機で敷設した機雷に接触して爆発した事件遭難者を追悼した石碑がある。
左手のそれがある海岸と、右手の多弥山の間をすり抜ける道路を、道なりにゆくと、舞鶴火力発電所の横を通って「舞鶴ふるさとファーム」にたどり着く。そこは多弥山西麓で若狭湾に面した博奕岬のつけ根にあたる。「ふるさとファーム」の西側高台は葦谷砲台跡で、港湾へ近づく敵船を粉砕すべく設置された場所だ。
……本当か嘘かあるいは聞き間違いか、私が搭乗した自衛隊OBが運営する遊覧船「あさなぎ」解説員のアナウンスによると、砲台から多弥山に至る地下には坑道で連結された大要塞があるのだが、落盤の危険があるので立ち入り禁止ときいている。舞鶴は戦争遺跡の宝庫なのだそうだが、かじり聞きするとなんだか都市伝説めいている。
ここに書いたいずれの名所も、今回の旅では時間の都合上、立ち寄られず、遊覧船から仰ぎみることで満足することにした。
舞鶴クレインブリッジと背後にそびえる多弥山




