紀行・舞鶴/西舞鶴港
いま桜が満開となった舞鶴にいる。仕事の一区切りがついたため、帰省する方向・福島県いわき市とは別方向である舞鶴に、遠回りしてきた。
舞鶴港というところは、地形的には、山地が水没した感じのリアス式海岸で、入り江にできた浜に港をつくったところだ。市域をつくる東舞鶴と西舞鶴という二つの入り江があり、それぞれ港湾をもっている。それで二つの港湾が、日本海にでることができるのは、北にある玄関口一つだ。ちょうど、逆Y字形になっている。東舞鶴港は明治以降に開けた軍港だが一部は商港としても利用されている。対して西舞鶴港は江戸時代以前から存在する商港だ。どちらにも支線が伸びている。
ウラジオストックへむかう定期便は西舞鶴港一号埠頭からでていた。一号埠頭は現在でこそ、漁協施設となっていて、ゆえに二号埠頭以降に造成された埠頭のように表札すらでておらず、郷土史に名をとどめるのみである。……民家・商店街を抜け・漁協の攻城を抜けて一号埠頭の先端まで歩いてゆくとカモメやトビやカラスが群れていた。すると足元に竿が落ちているのをみつけ、試に水深を測ってみたらなんと1メートルしかない。埠頭の東を流れる伊佐津川の土砂が溜まっている。これでは大きな船を停泊させることができない。やや深そうなところに数隻の漁船が繋留さいれていた。
二〇〇五年に昭和堂からだされた出口晶子著・出口正登撮影の写真集『港の景観』の解説十一頁挿図によると、当時、ウラジオストックゆきの船がでていた一号埠頭には、西舞鶴駅から支線がでていて、海港駅があり、そこから直に船に乗り込むことができたのだ。西舞鶴駅は単に舞鶴駅と呼ばれ、一号埠頭にあった駅は、うみまいづる駅と呼ばれ、戦後にはなくなっている。
西舞鶴港
西舞鶴港1号埠頭
舞鶴港駅について/舞鶴港駅は、舞鶴西港への港湾引き込み線・廃線駅である。かつて京都府舞鶴市上安久に存在した旧国鉄舞鶴線貨物支線(舞鶴港線)終着駅だ。同駅は、舞鶴鎮守府開府後に軍需物資輸送および国際貿易港として指定を受け発展する。大正時代は旅客営業もしていたが短い期間で業務は停止し、以降は貨物駅として機能した。舞鶴西港旧第1・2埠頭に構内側線、大埠頭に貨物船から貨車積み込み用コンテナ「テルファー」が存在、第4埠頭へ続く京都府営専用線が存在した。/沿革は、1904(M37)年に阪鶴鉄道・舞鶴海岸荷扱所開業、1907(M40)年に同鉄道国有化、1913(T2)年に海舞鶴駅に改称し旅客営業開始、1924(T13)年に旅客営業廃止、1966(S41)年に舞鶴港に改称、1985(S60)年に廃止。最終的には日本国有鉄道・舞鶴線貨物支線(舞鶴港線)として終わる。次の駅は西舞鶴駅である。/Wiki「舞鶴港」
関連用語
ボート・トレイン、命令航路……敦賀はよくみるが舞鶴はみない




