紀行・城崎/天橋立 ノート20150412
若狭湾に面した海岸線を舞鶴から城崎にむかって西へ車を走らせてゆくと、丹後半島のつけ根で若狭湾内にあるリアス式の入り江・宮津湾のあたりで、ルートを国道一七八号線から三一二号線に切り替えることになる。そのあたりから進行方向の左手・南側から二十キロ強、奥にいったところにあるのが酒呑童子で有名な大江山、右手・すぐ北側に開けているのが宮津湾だ。
ちょっと道草。
国道をちょっと外れて海沿いに進めば、北へむかって全長三・六キロにおよぶ土橋のような砂州が、そのまままっすぐ北に突っ切って、宮津湾内を堰き止め、阿蘇海をつくっている。
天橋立だ。
切れ間が入ったところが宮津市文殊で、むこう側にあるのが府中になる。
十一世紀はじめごろにこんなエピソードがある。
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「天橋立」府中側から
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十五かそこらだろうか。あどけなさの残る小式部内侍が社交界デビューをした。母親似の才媛だと知られていたのだが、どうせ、母親が横にいて娘に和歌を教えているにすぎないのだろうという噂もあった。
宮廷サロンでは教養と機知が問われる和歌を披露しなければならない。母親は才媛の誉れ高い和泉式部だが、国司として丹後国に赴任した父親についていってしまったばかりだ。周りの貴族たちは、ここぞとばかりに、少女の化けの皮を剥がすべく手ぐすねをひいて待っていた。
絢爛豪華さとは裏腹に陰険な影をもった宮殿。そこの広間に居並ぶ貴顕の公卿たちのなかに藤原定頼という人物がおり、小式部内侍を横にして座っていた。少女の番になろうとしたときだ。
「母上が横にいらっしゃれば、耳打ちしてくださるのでしょうに、いまは丹後にいらしてご助言をいただけない。……いや、待てよ、母上のところにゆかれ、歌会用の和歌をしたためた文を戴いていらっしゃるのですな。それなら不安はないというわけだ」
お歯黒顔の定頼は扇子で口を隠してホホと笑っている。
苛めだ。
ところがである。
十二単を着た才媛は、いま横でいわれた嫌味を、そのまま華麗なまでに和歌で切り返す。
大江山へ行く野の道は遠いのでまだいったことがありません。天の橋立のむこうにある国府にいったころもなければ母の和歌をしたためた手紙すらも読んでもいません。……「行く野」と「生野」、「踏みもみず」と「文も見ず」を掛けるという高度な技巧を少女が歌った。どう考えても即興としか考えられない。
いわく。
「大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみもみず 天橋立」
ふっ、軽くこんなものよ。
定頼撃沈・ギャフンとなったことはいうまでもない。
天橋立をめぐっては、ほかにまた、こんな話もある。
『丹後風土記』の一節だ。
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「天橋立碑」
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小式部内侍よりももっと遠い昔のこと。
天上世界に住まわれる神々は男子ばかりだったようだ。体分裂で子孫を増やしていたと解釈される。それが突然変異で旧約聖書のイブに相当するイザナミという女神が生まれた。その夫になったのがイザナギだ。二人は夜の営みというものを知り夫婦となって効率よく子孫を増やすことになる。天上界園庭を仲睦まじく歩き、雲の下をなにげなくのぞきこむと、陸地はなく、ケイオス状態・混沌とした泥海が広がっているのみだった。
イザナギがいった。
「陸地をつくろう。そうすれば、もっと効率よく子孫が増やせる」
二人は手に手をとりあって、長柄の矛を海中に入れてかきまわし引き抜く。すると雫がたれた。このあたりは男女の営みの暗喩だろう。……雫はつぎつぎに落ちて日本列島に姿を変えた。
なんと美しい島々なのだ!
夫婦神の後ろにいた大勢の神々が地上世界をのぞく。神々は降りてみたくなり、宇宙創造神たる天御中主神にねだって、下界に降りる梯子をつくってもらった。
神々は下界に降りると人間の女ばかりがいた。なにしろ当時の天上界では、女神といえばイザナミだけで、それ以外は男神ばかりだ。イザナギを真似て女を抱いてみると喜ばしいことこの上ない。ゆえに狂喜乱舞した男神と人間の女たちの間で酒池肉林の宴になったというわけだ。
しかし祭りの夜は短い。やがて夜が明けて男神たちが天上へ帰ろうとすると、女たちが連れていってとせがんだ。肌を重ねあって情が移った男神たちは、無下に断ることができない。
「心得た。〝梯子〟を登るとき、けっして、声をだしてはならぬ。あれは繊細にできているのだ。もしもうかつに声をだしたりしたら崩れてしまうからな」
「判りましたわ」
仏教説話をもとにした芥川龍之介の小説『雲の糸』で、地獄の虜囚がさわさわとゆくがごとく、神々と娘たちが無言で昇りだす。そしてようやく、まばゆい光に包まれた天上界に達したときだ。パンドラが開けるなと書いてある箱を開けるがごとく、女たちは、一斉に感嘆の声をあげた。途端、轟音とともに〝梯子〟が崩壊、海に残ったところはその痕跡・天橋立となる。
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ごめん。……男というものは女に対し永遠に被害妄想を持ち続けるものらしい。
ノート2015.04.12/取材2015.04.05




