紀行・城崎/安寿と厨子王 ノート20150411
志賀直哉のあまりにも有名な短編私小説『城崎にて』は国語の教科書で読んだ。――「小説の神様」と評された、この方の作風は、模範的な美文で、作家を志す人のなかには、一字一句を模写したという話もきいたことがある。
城崎。
モームの足跡をたどるのが目的で舞鶴にきていた私が、たまたま開いた地図に城崎の文字があり、そこまで八五キロ、車なら二時間もあれば着くと知った。……ここからの旅は、舞鶴取材のオプションだ。
ルートは、舞鶴市から国道二七号線をつかって西にむかい、そこから丹後半島の付け根を突っ切る形で一七八号線、三一二号線とゆき、久美浜湖の南端をかすめて、目的にむかうというものだ。
舞鶴市から宮津市にむかう海岸の道一七八号線は、北が絶壁になっており、合間に短い砂浜をつくっているところがある。中世説話で近世に浄瑠璃となり森鴎外が近代小説化した貴種放浪譚『安寿と厨子王』の舞台中心となっているのはまさにここだ。
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国道178号線沿いの絶壁・由良湊付近
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学生のころの史学科・日本史概説レポートに、
――マルクス史観からみた、森鴎外の『山椒太夫』の意義を答えよ。
という課題があった。
岩城判官正氏が、悪しき部下の讒言で流罪となり、領地が彼らに横領されると、正氏夫人と娘の安寿、その弟・厨子王が親族を訪ねて岩代国(会津)へ逃れ、さらに正氏の無実を訴えに京にいる関白のところへむかおうとする。ところが母子は、越後直江津で人買いに騙され、夫人は佐渡へ、安寿・厨子王姉弟は丹後国由良湊の長者・山椒太夫の荘園に奴隷として売り飛ばされてしまった。
奴隷は家畜であり人権が存在しない。主人に強姦されても犯罪扱いしてもらえない。――安寿は海水をくんで海藻にかける焼き塩作業に、厨子王はその燃料にある薪をとりに山に入る過酷なもので、山椒太夫とその息子たちは、姉弟を酷使虐待した。安寿と厨子王が脱走する際、姉は弟を逃がして自らは崖から海に投身自死してしまったところから、強姦されたうえに身籠った感じさえある。
京に着いた厨子王は流刑先の父親が死んだことを知るのだが、上司だった関白のところにゆき、非道を訴え受理される。
……説話や浄瑠璃の厨子王は関白から兵を借りて、佐渡で奴隷になっていた母親を救出した上で悪人どもに鉄槌を加えるのだが、森鴎外の小説は前近代的な復讐による解決をはからず、近代的ヒューマニズムで加害者たちを反省させている。
レポート課題の正解は、
――森鴎外の分身たる厨子王がなした古代末期荘園奴隷の解放は、中世農奴制や近世・近代の小作制を飛び越えて、現代賃労働者制へ一気に飛躍してしまった。……つまりは鴎外のロマンチシズム以外のなにものでもない。
とのことだ。
さて、岩城判官正氏の岩城氏の在所はどこかというと、陸奥国太守と大きくでるバージョンと、ご当地バージョンとがある。
ご当地バージョンで津軽藩があった青森県なんかは、飢饉が起ると、「丹後商人がやってきたからに違いない」とスケープゴートにしたという。
他方・わが故郷・福島県いわき市一帯をさす岩城国バージョンだと、岩城判官と同じ地名であり、古代末から中世に同姓の平氏系豪族がおり、子孫は秋田岩城藩主となり、維新後は華族に列せられている。彼らこそ厨子王の子孫に違いないとされ、安寿・厨子王姉妹の像が、太平洋を遠望する高台に建っている。
いずれにせよ、中世につくられた物語・架空登場人物なのだが……。
ノート2015.04.11/取材2015.04.05
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同上地点から栗田湾・黒崎方向を望む




