紀行・舞鶴/天主公教会 ノート20150410
「天主公教会」と縦書きされた石碑が通りに立っていた。天主公教会というのはローマ・カトリック教会の別名だ。旧舞鶴西図書館のある角から、通りに沿って歩いてきた私が石碑から顔をあげると、尖塔が特徴であるゴシック建築があった。
教会に近いところにある、京都府舞鶴市・田辺城は、細川幽斎・忠興父子の居城だ。細川忠興といえば熱心なクリスチャンであったガラシャ夫人が有名であるのだが、その後、藩主がかわり、キリスト教も禁令になるので、いったん教義は途絶える。
本教会ホームページによると、一八九一年(明治二四年)にルラーブ神父により仮教会が舞鶴に創設され、一九〇三年(明治三五年)にカスタニヤ神父が初代神父として迎えられた。〇八年(明治四一年)にいまの場所に移転。二六年(昭和元年)に新聖堂が完成したものの、大戦末期である四五年(昭和二〇年)四月に、空爆の危険が生じたため、軍により教会関係者は疎開を命じられ、建物は即刻重砲兵隊に取り壊された。六年後である五一年(昭和二六年)に、長崎の信者である大工の協力により、再び建てられたのだという。
不可思議な〝力〟を感じたので、記すことにした。




