随筆・ざっくり考古学14/井戸神は貞子でなく「まなこ」
真夜中の古井戸。そこに懐中電灯をあてると、朽ちかけた若い女の腕がでてきて、むんずと井戸枠に肘をひっかけ、恐ろしげな姿をみせる。……ご存知、1991年、鈴木光司の小説『リング』をもとにした映画の一コマだ。
井戸には、冥界=奈落につながるイメージがある。メソポタミア神話のギルガメッシュ、ギリシャ神話のオルペウス、古事記のイザナギといった主人公たちが行う冥界下り。いずれも井戸のイメージからきているような気もする。今回はそんな井戸について述べてみたいと思う。
.
井戸は1万年くらい前に中近東で発明された。北極圏の氷河が退行2万年前の中東は砂漠化が進行し農業・牧畜革命が起った。それが盛んになった氷河期が終息する1万年前の新石器時代。オアシスの集落で水が湧きだす泉があり、砂嵐があると、少し埋るので住人が底さらいをしていたと仮定しよう。溜まった砂のほかに、もともとあった砂利とかもほじくり返されて深くなる。中石器時代から新石器時代にかけての1万年間に中東の乾燥化が進むとそこの泉が乾燥する。人々は泉をほじくり返すとまた水が湧きだしてくることを知り、どんどん掘り下げる。そして井戸ができた――というのが個人的な井戸発生プロセスのイメージだ。
オアシス集落での井戸灌漑農業で有名なのが教科書でも紹介されているイランのカナートだ。地盤にいくつかの縦坑を掘って、横坑で連結し麓にある集落の畑に流し込むというものだ。wikiでみる限り海外の古い井戸に関する事例はこのくらいしかない。
さて
ここで日本の井戸研究事例をご紹介しておこう。宇野隆夫氏が1982年に史学研究会の研究誌『史林』65巻5号「井戸考」において、井戸の歴史と類型を提示している。――個人的な意見として、海外の井戸というのも基本は同じ構造をしているものだろうと想像している。
それによると。
井戸は弥生時代の震源地である西日本から普及しだす。
上端にある井桁、壁面にある井戸側、下端にある水溜めの3つから構成されている。また井戸側の異称は井筒、水溜めの異称は、まなこ・井筒・湧水留めともなっている。宇野氏は井戸側に着目。大きく、素掘り井戸、木組み井戸、石組井戸、土製品組井戸に分類される。
このうち、地面をただほっただけの素掘り井戸は、最も古い形態だ。水源が浅ければつくるのは容易だが、地盤が軟弱だったり、雨が降ったりするとすぐ崩れる。日本では弥生時代の大規模農業開発とともに普及していった。
しかし大仕掛けの「まいまいず井戸」はその限りではない。大陸の露天掘り鉱山みたいに、すり鉢のような巨大縦坑を穿って、文字通りマイマイすなわちカタツムリみたいな螺旋を掘って、奥底にある井戸枠にたどり着くというものだ。平安時代、京都の寺院に現存している。
つぎに木組み井戸が発生する。弥生時代の終わりに発生し古墳時代に流行する。初期は、井戸側崩落を防ぐため刳り貫いた丸太をにつかったものだ。これが発展して行き、板材を縦に組んでゆき、横桟で板を固定するようになり、柱材を立てるようになった。これだと「まいまいず井戸」よりも少ない労力で、けっこう深くまで掘ることができる。しかし木材はしばらくすると腐ってしまう欠点がある。
そこで7世紀半ばから、西日本を中心に石組井戸が登場し、中・近世・近代までゆるやかに進化してゆく。初めは掘り上げた井戸側に、木組みの代わりに、自然石を円筒型に組んでゆくものだった。それがやがて、スリ鉢形にしたもの、地下にむかって裾が広がる形にしたもの、最後にブロック状に割った切石を整然と並べたものへと進化してゆく。
他方。
石組の応用バージョンが土製品組井戸だ。7世紀・奈良時代から登場した。初期は土器の甕を井戸側に積み上げてゆくものだった。9世紀・平安時代になると瓦材を整然と積み上げてゆくようになり、14世紀・室町時代になると土管を組んでゆくタイプになり、18世紀・江戸時代以降レンガ積み・漆喰組が登場する。
では水をくみ上げるときはどうやるか?
もっとも簡単なのは、紐に土器瓶をくくりつけた「釣瓶」で水をくむ。水くみ容器を桶にしても「釣瓶」と呼ぶ。……芸能人の鶴瓶師匠の名の由来もここからくるのだろう、たぶん。
「釣瓶」を紐で組み上げるのはけっこうきつい。そこで井戸の上に、上屋をつくって定滑車をつけたものや、シーソーのようなテコをつかったもの「跳ねつるべ」が登場する。
前近代的な人力による場合に限っていえば、日本の井戸掘削技術は世界最高水準に達した。江戸時代に太さ2寸の鉄棒を連結させ、人力で突き崩しながら掘る「大坂掘り」が普及。鉄棒の先端を工夫して、地面を衝きながら、縦坑を穿つ技法だ。それが上総国周淮郡中村の職人・池田久蔵が文化14年(1817年)に「大阪掘り」の改良を行い、「上総掘り」の原型をつくる。明治時代・究極に進化したその掘り抜き井戸技法は深さ500メートルまでも掘削することを可能にした。やぐらを組んで大車輪を仕掛け、長い割り竹を束ねたものを巻く。一種のバネだ。竹の先端には掘鉄管を取りつけ、地面に縦坑を穿ってゆくというわけだ。現在、発展途上国に、日本の井戸職人が、国連を介して技術支援しているのは、この「上層掘り井戸」だ。
さて、『ノルウェーの森』ほか村上春樹の小説を読むと、たびたび小石を井戸底に放り込むと落ち着くという描写を目にしたことがある。あたかも主人公ワタナベは、奈落の底にいる恋人・直子とモールス信号で通信をしているかのよに感じる。やはり、井戸は冥界へ続くトンネルのイメージだ。
冒頭で述べたように、こんこんと湧き出るタイプではなく、じわじわ湧いて出る井戸底には、径50センチ深さ30センチの浅い窪み・「水溜め」を穿つことがある。この「水溜め」の別名は真奈あるいは「まなこ」だ。真で「ほんとに」、奈で「地獄」にいる、子供。童女の姿をした井戸の妖精である。悪童が悪戯をすると、「まなこ」さんを怒らせ引きずり込まれる。しかし綺麗な水をわけてくださる女神様には違いない。
短いエピソードを最後にご紹介しよう。
.
早春・丑三刻。
少年はふと起き上がり母屋をでた。
闇の夜空を星が満たしていた。
何者かに誘われるかのように、霜柱を踏みしめ、屋敷の裏にある神社参道を奥にむかうと、境内にたどり着き、大きく擂鉢のように口を開けた縦坑の縁にたどり着く。そこから、螺旋を描く坂道を、しずしず降りてゆく。百尺ばかりしたところが平場となった底で、真ん中に井戸枠を設けた
するとどうだろう、そこに、髪を肩で切りそろえた紅い着物姿をした童女が腰かけていたではないか。むこうをみているので少年が声をかけた。
「もしかして、君はまなこ様?」
「そうよ。あなたは?」
ゆっくり振りむいたその子の肌は、月光に照らされてやけに白くみえた。
ここから先を人にいうてはなりませぬ。おもへらく、そ、その顔たるや、あな、すさまじきことかな……。
して少年やいかに。
「君、可愛いね」
ポッ。
まなこ様と呼ばれた童女は、両手を外に開いて頬に添えた。両手両腕がちょうどX字にし、上体を左右に激しく振った。
四十六時中心がひらひら螺旋に落ちてゆく流し髪の少年の名を恋太郎という。
.
――い、いかん。またヘタレ妄想オチにしてしまった。
END




