随筆・ざっくり考古学09/火薬&魔術
火薬は本来、爆発物として開発されたものではなく、「薬」として開発されたものであった。担い手は「仙丹術」をやっていた神仙道すなわち道教系のカルト教団だった。
道教は神仙道と同じだ。もともとの流れは揚子江流域にある土俗宗教があり、そこのシャーマンたちがやっていた越巫というのがベースに発展。墨家・儒家の教義を取り込み、紀元前3世紀に中国全土を統一した秦帝国のころには、徐福なるイカサマ道士が、うまく始皇帝を騙して、早死にするまがい物をつかませ、大金とともにどうも日本に亡命したらしい。
秦帝国が四半世紀ばかりで瓦解し漢帝国に代わる。
するとペルシャからゾロアスター教がやってきて祆教と呼ばれる。そのなかのカルト系魔術師は胡巫といわれ、やがて越巫とともに神仙道に合流してゆく。さらに仏教が入ってくるとその宇宙観を模倣してゆく。
中国における中世というのは、火山活動が活発化して地球が寒冷化する3世紀あたり、漢帝国が瓦解する三国時代から唐帝国までをいう。西ローマ帝国もそのころ滅びている。
神仙道一派は離合集散を繰り返しつつ、ときには宮廷に出入りして呪術をしたり、ときには在野で流民を糾合して叛乱をしてみたりした。
不老長寿の薬「仙丹」製薬は、この中世に盛んに行われた。
魏・呉・蜀からなる三国時代はひとまず魏の重臣だった司馬氏が無血クーデターをやって乗っ取り、晋帝国を興して内戦終結させた。しかしほどなく内戦を起こして、モンゴル系騎馬民族帝国・北漢帝国に北部を占領されてしまう。すると晋の皇族は南に遷都して東晋をつくる。そして北と南でそれぞれ王朝交代をしてゆくことになるわけだ。隋が中国を再統一するまでを南北朝時代という。そのうち北朝の道士たちは宮廷魔術師化してゆき、南朝の道士たちは邪教軍団と化した。
焦点となるのは北朝の宮廷道士たちで、不老長寿を願う歴代皇帝たちの庇護を受け、「仙丹」開発に熱心だった。道士たちが最初に注目したのは水銀だった。なにせ水銀は熱を加えると銀色になったり赤くなったり、仏教的な輪廻転生を彷彿とさせる魅力的な物質だった。もちろん「毒」であることは知っていたのだが、いろいろ混ぜてゆけば、「仙丹」になると考えていたわけだ。被験者は北朝の歴代皇帝たち。おかげで彼らは即位するとすぐに死んだ。
北朝系で南朝を滅ぼし中国を統一した隋王朝のころになると、宮廷道士たちは、可愛そうな皇帝たちの人体実験の結果から、「仙丹」製薬は不可能だと結論づけ、精神の鍛練によって体内に「丹」を作りだす、という詭弁にすり替えた。短命な隋も内戦で滅び、隋の将軍の一人・李氏が唐帝国を建国する。それから唐末まで道士たちは主だった動きはなかったのだが、神仙道=道教系の秘密結社に流民が加わった黄巣の乱という叛乱あたりで、魔道士たちの「アトリエ」では実験が再開されてゆく。
内乱時代の五代十国を経て、漢民族系の宋帝国が建国されるのが10世紀半ば。当時の宮廷アカデミーは「翰林院」というのだが、そのあたりが関わったかどうかは不明だが、ともかくそのあたりで火薬が発明される。
内乱を鎮めた宋帝国だが、150年ばかりすると、満州系女真族が建てた金王朝に国土の北半分を奪われ、さらに150年ばかりすと、金を滅ぼしたモンゴル帝国によって南半分を奪われた。
13世紀半ば、南宋において木製大砲が発明され、14世紀にモンゴル=元帝国によって、青銅製大砲が発明される。中国を征服したモンゴル帝国は火薬技術を手に入れ、「てっはう」という新兵器を開発する。手榴弾の一種だ。
14世紀になると雲南省で発生したペストがユーラシア大陸を席巻し、モンゴル帝国が瓦解。すると、漢民族系の明帝国が興った。歴代明朝皇帝は、モンゴルの残党と一進一退の攻防戦をやった。このとき明朝側は、矢の柄に固体燃料を装着させて、数十本を籠にいれていっぺんに飛ばすという新兵器をつかって、騎馬隊を壊滅させることに成功する。それが「火箭」という元祖ロケットランチャーだ。これでモンゴル系勢力は再起不能になった。
他方、大砲の技術はモンゴル帝国を経て、慢性的な戦乱状態である中世欧州に伝わっていた。14世紀、ジャンヌ・ダルクが活躍する英仏百年戦争でも使用される。ネックなのは重量だ。初期ではもっぱら攻城戦用・艦載用として使われていた。なんとか野戦用につかえないものかと小型化する試みがなされてゆく。そして早くも14世紀前半には、小型化させたカノン砲を柄の先につけ、支脚で固定し敵兵を撃つ、「手砲」が発明される。それは古釘・小石・陶器破片なんかを詰め込んで、撃つという仕掛けだ。
いうまでもなく当時、「霊薬」を製薬しようと、錬金術をやっていた魔術師や、その系譜を引く技師たちが、開発に携わったのだろう。
これが東ローマ(ビゼンチン)帝国が瓦解する15世第四半世紀には、フランス王国に雇われた密集槍隊形で欧州を席巻するスイス傭兵と、これを模倣し欧州を席巻する神聖ローマ帝国・ハプスブルク家に雇われたドイツ傭兵・ランツクネヒトが使用を初め、火縄銃が開発されてゆく。
政略結婚の結果、オランダに続き、スペインを手に入れたハプスブルク家は、百戦錬磨の傭兵を新大陸に送った。彼らが持ちこんだ鉄砲隊と騎馬、そして天然痘は、当時、青銅器時代段階だったメキシコのアステカ帝国やペルーのインカ帝国を瞬く間に滅ぼしてしまう。大陸にいた2000万いた原住民は数100万に激減。残った連中は奴隷となった。男子は銀山に送り込まれほぼ壊滅。女子は征服者の下女となり、混血児メスチソを産むことになる。
この手のことは現代感覚だととんでもないことだが、新石器時代以来の人類史・民族浄化はよくあったことで、彼のアステカ帝国自体、カーニバリズムというか、カルトな国教にともなう人身供養の供給を求めて、周辺国を荒していた。別に珍しいことではない。
さて。
火薬の製法だ。
初源的な火薬「黒色火薬」は、硫黄・ 木炭・硝酸カリウムを基本1:2:7で配合する。
硫黄は火山地帯で、硝酸カリュウムのもとになる硝石は鳥糞の化石・糞石から得られる。糞石がなければ、家畜小屋やトイレの跡地を掘り返せば硝酸結晶を得ることができる。要するに、硝酸はアンモニア系の物質ということだ。
19世紀のナポレオンのフランス帝国軍は、黒色火薬に代わって白色(無煙)火薬を使い始める。20世紀初頭の日本帝国海軍連合艦隊は白色火薬を使用。ロシア帝国バルチック艦隊の艦砲射撃が、第1回射撃による黒煙で前方がみえない間に、日本側は第2、第3回射撃を行って、ロシア側の艦艇を日本海の藻屑にしてしまった。
なお、ダイナマイトのもとになる白色火薬の一種「ニトログリセリン」は、濃硝酸と濃硫酸の混酸によりニトロ化させたものだ。開発に携わったスウェーデン人、アルフレッド・ノーベルだが、彼は後にノーベル賞設立する。「ニトログリセリン」は火薬の初志である「薬」としてつかわれ、心臓病に対して効能がある。
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