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もう一度妻をおとすレシピ 第5冊  作者: 奄美剣星(旧・狼皮のスイーツマン)
ざっくり考古学
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随筆・ざっくり考古学07/世界帝国の時代、鉄器革命(3500年前)

 これまでにも述べたように、デンマークの考古学者トムセンが提唱した、文字がない時代を、ざっくりと、3つに区分する方法を三期法という。使われていた道具から、石器時代、青銅器時代、鉄器時代としたわけだ。

 鉄器時代。

 いうまでもなく、アレクサンドロス帝国、モンゴル帝国、ローマ帝国、スペイン帝国、大英帝国……。歴史に名だたる世界帝国はどれも鉄器時代のものだ。

 ここでは、3期のうちで最も新しく現代にも連なる最も新しい時代はいつごろ、どのようにして始まったのか、また初期における製鉄技法はどのようなものかを、述べてみたい。

 鉄というのは、炭素含有率でもって、銑鉄・鋼・純鉄の段階になる。

 第1の銑鉄は鋳鉄と同義だ。地球上でもっとも硬い物質がダイヤモンドであることが示すように、炭素含有率が最も高い銑鉄は、弾性がなくてやたらに硬くパキパキと割れる感じだ。鋳型に流し込んで鋳物にするのに向いている。

 第2の鋼は高炉の中で高温をもって銑鉄の中の炭素を焼き払って作るか、反対に、次に述べる純鉄に炭素を加えて硬くする方法で作られる。刀の刃先に向いている。

 第3の純鉄は炭素含有率が0に近く柔らかな鉄だ。爆発した星のかけらでもともとは中心部に近いところで生成されたであろう鉱物が、隕石となって地球に落ちてきたものだ。こういう隕石起源の鉄塊だから隕鉄ともいう。青銅器時代、メソポタミアやエジプトの人々は、隕石が降ってくると誰かしらが拾って、王様に献上した。

 それでは具体的にどのようにして鉄を精製するのか。

 焚火をすると800度前後になる。銅の精錬ではこの温度で十分だ。青銅器革命を最初にやったメソポタミアは5500年前だが、隕鉄の加工はそれから500年ほどしてから早くも出現する。なにしろ鉄鉱石から鉄を精錬するのではないから、青銅並みに扱いやすかった。銅精錬炉に隕鉄をくべてハンマーで加工。できあがった製品は貴金属扱いで、王族たちの身体を飾り、黄金以上に珍重された。ツタンカーメン王のミイラの装飾品にも鉄製品が混じっている。

 そして次の段階・鉄器革命となる。

 今から3500年前。最初に鉄器革命をやらかした民族は、現在のトルコ領である小アジア=アナトリア地方にいたヒッタイト族だった。偶発的な隕鉄を拾い集めたのではなく、鉄鉱床から鉄鉱石を採掘し鉄を精錬することに成功する。

 製鉄炉の初期段階は、原始的な塊鉄炉だった。これなら焚火・800度程度の低温でも十分に作ることができる。酸化鉄である鉄鉱石を砕いてメタル部分を選んで、燃料と一緒に、高さ1メートル弱のポットみたいな土製の炉に、燃料である木炭と一緒にくべて焼成する。そして酸素を追い出し、熱く柔らかくなった塊りを取り出すと、スポンジケーキみたいにポコポコ孔があいた、ガラス質の不純物と鉄分が混じった塊鉄ができあがる。これを鍛冶屋の親爺が鍛冶炉に持ちこんで再加熱。ハンマーでカンカン叩いて、不純物を削ぎ落とし、メタルなところを取り出し、錬鉄に仕上げるというわけだ。

 ヒッタイトが天変地異と内紛とで大荒れし、地中海海賊「海の民」の略奪でトドメをさされて瓦解するのが紀元前1190年。いまから約3200年前のことだ。そうして欧米・西アジア・アフリカなんかにこの技法が伝播する。西欧における高炉の発明は西暦1500年ごろ。一部地域では西暦1700年ごろまで続けられた。

 この高炉技術が、中国からではなく西欧から、塊鉄技法の一種である「たたら製鉄」なる遅れた製鉄技法をやっていた日本に伝わって近代化がなされるのは1800年代・幕末のことだ。

 ところがだ。

 中国では青銅器革命がはじまったばかりのころである、3500年前に、中国西部・新疆ウィグル自治区あたりで、塊鉄炉による鉄生産をやっていた。ヒッタイトの鉄器革命とほぼ同時期だ。中央アジアを経由したヒッタイトからの伝播ではなく、独自開発という説もある。だが、当時の中国本土における青銅器技術は、新興の鉄よりもはるかにクオリティーが高く、また生産性があったので、主役の座にとって替わるのには時間がかかった。

 しかし一端製鉄に本腰を入れだすと、瞬く間に、欧州・西アジアに1000年の差をつけた。途方もない技術革新をやってのけた。それが高炉(爆風炉)の発明だ。

 紀元前500年から300年あたりまでの間に、揚子江下流で一覇をなすことになる、「呉越同舟」の語源になるところの呉国や越国のあった地域で高炉開発が成功する。

 実をいうと中国では、4000年前に黒陶という陶器を、登り窯という陶窯で生産していた。斜面を利用した登り窯は1200度の高温焼成を可能にした。高炉とは、炉の天井を煙突みたいに高くした炉だ。紀元前1世紀・前漢武帝の時代、高炉のてっぺんから鉄鉱石と燃料の木炭をくべ、水車動力をつかった大型フイゴで送風し、高温を発生させ、鉄の大量生産をやった。

 高炉の特徴は、木炭を加えた鉄鉱石が炉の中で銑鉄化したところを、1200度からなる爆風をつかった高温焼成により、銑鉄内の炭素を一気に焼き払い、炭素濃度をぐっと減らして鋼にしてしまうところにある。鉄鉱石を炉に放り込めば、銑鉄段階を通り越して鋼にしてしまう。この先進技術をもって、欧州が大航海時代を迎える16世紀あたりまで、世界一の文明水準を堅持してゆくことになる。

 漢帝国は、官営工場で量産した、塩と鉄を専売して得られた莫大な富で、強力な軍団を作り上げると、まず西アジア諸国を圧迫して汗血馬を貢がせ、やがて宿敵・匈奴族を撃破する。漢帝国のために西に追われた匈奴族はユーラシアの草原を駆け抜けて欧州にむかい、ゲルマン族を圧迫。ゲルマン諸族は西ローマ帝国領に逃げ込んで傭兵となり、やがて西ローマ帝国を乗っ取り滅ぼした。そして中世欧州が始まる。

.    END


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