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もう一度妻をおとすレシピ 第5冊  作者: 奄美剣星(旧・狼皮のスイーツマン)
ざっくり考古学
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随筆・ざっくり考古学05/新石器時代(1万年前)

 面倒な講釈の前に、まずは妄想劇から。

 中石器時代末である1万1千年前。中近東だ。

 森の奥から清流が湧きだし、粗末な小屋を並べた村に流れてきている。

 小柄な男・ナカイが、マッチョで長身な男・サトウが川原で、ごしごし、なにかを研いでいた。

「な、なんっすか、それ、サトウ先輩?」

「無学な野郎だな。しかし、俺とおまえの仲だ。特別に教えてやる。いいか、これは磨製石斧って奴だ。俺はこれで新石器革命を起こす!」

「新石器革命ってなんすか?」

 熱く語るサトウは、川原に落ちている棒のような長い石を拾って素材とし、ハンマーになる石も適当にそのへんから拾ってきて、カンカン打ち欠いてみた。かなり大きな石だったのだが、できあがるとけっこう小さくなってしまう。打製石斧……斧のようにみえるのだが、それで木を切ることはできない。球根やら芋といったものをほじくりだす道具だ。

「サトウ先輩、それって打製石斧ですが、なにか?」

 サトウは木の切り株に立てかけてある石板を持ち出した。

「おお、それは、このへんじゃ採れない、フリント石じゃ、ありませんか!」

「石鉱の村からきた商人から買ったもんだ」

 サトウは、石板に刃のような形をした石で傷を入れ、そこに砂を入れていった。要はサンドペーパーの要領で切断するのだ。石材は無駄な部分をつくることもなく、いくつもの長方形素材を量産していった。

 のぞきこんでいたナカイが感嘆した。

「これまでの石器とはまるで違うつくり方っすね。へえ、打製石斧みたいに、刃ががたがたじゃないし、両側面なんかも、綺麗に四角く整えられている。割るときの音は、板チョコレート板みたいに、パカンっと鳴って、もう、クール!」

「おい、この時代に、チョコレートはないぞ」

 刃先を砥石で鋭利に研ぎ上げて仕上げだ。

「よっしゃあ、ナカイ、木を斬るぞ~」

 ファイト~。

 いっぱ~つ。

 不思議な魔法ドリンクを口にして、熱血状態となったサトウとナカイは、楔とかを使って、瞬く間に一本の木を切り倒した。

 そして新石器革命の扉が開かれた。

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新石器

https://www.google.co.jp/search?q=%E6%96%B0%E7%9F%B3%E5%99%A8&biw=1242&bih=585&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=GdPXVKT5DYSO8QW6mYDYAQ&ved=0CEMQsAQ

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 新石器革命の波は瞬く間に、中近東から北アフリカを席巻した。人間が木材をふんだんに扱えるようになると、大規模な施設の運営も可能になる。柵を囲ってみたり、灌漑工事をしてみたりするようになる。

 副産物として、中石器時代にはまだ野生の動物や穀物を、試験的に飼育・栽培していたものを、新石器時代では、種を採って次世代につなげてゆく方法も知った。そして土器を発明する。煮炊きによる化学反応によって、それまで食材に適さなかった植物を、食べることができるようになった。

 中国なんかだと、巨大な墳墓・城壁も登場し、禹王や瞬王といった伝説の聖天子のモデルがいたような遺跡も、ちらほらでてくるし、文字の原型になるような記号もでてくる。

 この劇的変化で、人々は富める者と、貧しき者の二階層に階級が分かれてゆく。

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 支石墓

 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%AF%E7%9F%B3%E5%A2%93

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 支石墓は、巨石記念物に分類される新石器時代の墓だ。家族墓が多く大小ある。中には首を切られた遺体とか、まとめて埋められた家族の遺体とかがあり、階級の発生や、旧石器時代ではあり得なかった戦争の痕跡を垣間見ることができる。支石墓は、縄文時代晩期(約3,300 - 2,800年前)日本でも北九州で中国長江流域の新石器文化の影響を受けたそれをみることができる。

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 ストーンヘンジ

http://ja.wikipedia.org/w

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 英国にある環状列石ストーン・サークルタイプの巨石記念物はあまりにも有名だ。日本でも東日本に、あるにはあるのだが、ちょっとちゃちい感じがする。代わりに青森県山内丸山遺跡みたいな巨木をつかった記念物をこしらえてみたり、寺野東遺跡のような環状盛土遺構をつくってみたりする。きっと日本は石というより木を好む「森の文化」なのだろう。日本の新石器時代は、縄文時代から弥生時代にかけての時期にあたる。ただし土器が発明された縄文時代はじめは中石器時代で、弥生時代おわりは鉄器時代になっている。

 三内丸山遺跡は、大規模集落で栗の栽培をやっていた。縄文時代は農業をしないという説をかたくなに主張している考古学者は半栽培といっているが、自然科学者が分析すると野生ではなく完全に栽培されたタイプだといっているので、農耕とみていいだろう。人口も最大500人の原始都市規模になったといわれているが、話半分の250人村だとしても新石器時代っぽくていい。村のシンボルタワーみたいなのが、巨木六本をつかったものだ。

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三内丸山遺跡(縄文時代)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%86%85%E4%B8%B8%E5%B1%B1%E9%81%BA%E8%B7%A1

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寺野東遺跡の環状盛土遺構は、南北直径約165mの巨大なドーナツのような形に盛られた遺構である。何世代もかけて構築された遺構である。

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寺野東遺跡(縄文時代)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BA%E9%87%8E%E6%9D%B1%E9%81%BA%E8%B7%A1

. END

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