随筆・ざっくり考古学04/恋する後期旧石器時代(3.5-1.5万年前)
後期旧石器時代
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講釈でごたくを並べる前にまずは妄想劇から。
物語の舞台を新石器時代が始まる直前・中石器時代末の5万年前ということにしておこう。
月明かりに照らされた夜のことだった。
大草原を旅してきた新人・クロマニヨン人の部族がいた。そこの若者が、獲物を追いかけているうちに仲間からはぐれて途方にくれていた。身長は155センチ前後。肩幅は狭くほっそりしていて、髪や肌は黒くほっそりしている。
彼は岩塊に囲まれた泉をみつけた。
そしてそこで美しい妖精の乙女をみた。身長は170センチ強。碧眼金髪で色白の肌であるのも特徴だ。ハーブの知識が深く、青年の一族は稀に妖精族にでくわすと薬をかうことがあった。
「美しい……」
裸の乙女は青年の気配に気づき振り返った。
「ごめん。のぞくつもりはなかったんだ」
といって、頬を赤らめた青年は岩塊を背にして目をつぶった。
そのときだ。
狼の群れが、こっちにむかってくるではないか。
しかし青年は手にした槍の穂先を見遣って不敵に笑った。
「ふっ、今宵の石器は、一味違う」
青年は手にした槍で狼の一頭を仕留めた。……ちょうど、妖精乙女に今にも襲い掛からんとしていたところを、文字通りの横槍で仕留めたのだ。仕留めた狼は率いていた他の狼よりも一回り大きいボスだ。
乙女が抱きついてきた。
「助ケテクレテ・アリガトウ」
青年の心臓がドキドキした。
青年の部族・クロマニヨン人が、妖精と呼んでいるのは、ネアンデルタール人だ。
大陸の西と東の外れ、あるいはその沖合に浮かぶ島の名前で共通する名前に、カトー、サトー、ジロー、アガワ、ヤン……なんていうのがある。たぶん大昔の名前がいまだにつかわれているのではなかろうか、と筆者は勝手に決め込んでいる。なので、ここでは、クロマニヨンの男二人をジローとし、ネアンデルタールの娘の一人をアガワとしておくことにする。
泉に足を浸して二人は互いの名前を教え合い語りはじめた。
娘アガワが青年ジローに言った
「ネエ。アナタの、家族ノコト、オシエテ」
妖精族の娘は、発声器官が青年ほど発達していない。ゆえに、片言のような喋り方だ。しかし双眼は、青年よりもはるかに、聡明そうな瞳をしていた。
「僕たちの遠い昔のお祖母ちゃんはイヴ。南アフリカで僕ら一族を生んだ」
「ソシテ・ココマデクル・旅ニ・デタノネ」
「そうさ。遠い未来、パソコンという道具が発明され、奄美という男が僕たちの出会いを描いているのが、そこから5万年前の設定。祖先のお祖母ちゃんがいたのは、奄美の時代から16万年前の設定になっている」
「ナンノ・コト?」
「そうだね。そんなことはどうでもいいことだね。キスしていい?」
「イイ・ワ」
その夜、青年ジローは、乙女アガワを妖精族の住まう洞窟集落まで送っていった。
しかし、乙女には、婚約者がいた。
数週間後。
妖精族の乙女アガワと同族の男の結婚式になった。妖精族の男子は200センチを超える。
しかし花嫁は浮かない顔。
一族が祈りの岩場に集まっているときだ。
物陰に隠れていた青年ジローが飛び出し、乙女の手を取って、さらっていった。
「後悔しない?」
「スル・モン・デス・カ!」
森を抜けると広がる草原。
大地の果てには青空があった。
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時は1868年、日本が明治の内戦・戊辰戦争をやっていたころ。フランス南部で鉄道工事をやっているとき、路線がクロマニヨン洞窟にかかった。そこを掘削すいると、偶然にも新人・クロマニヨンの骨化石五体分がみつかった。
男子成人の身長は180センチ。クロマニヨン人の青年ジローが、妖精・エルフことネアンデルタールの娘アガワを嫁にもらい、生まれた子孫たちはけっこう背が高くなった。母親似で、ネアンデルタールほどではないけれど身長も高く、色白、碧眼金髪だ。
ヨーロッパに達したクロマニヨン人は、3.5万年前から1.5万年前にかけて、後期旧石器時代をつくった。ラスコーやアルタミラ洞窟に、彩色豊かに動物を描いた。
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(ラスコー洞窟壁画)
https://www.google.co.jp/search?q=%E6%96%B0%E7%9F%B3%E5%99%A8%E7%9F%B3%E5%88%83&biw=1242&bih=585&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=XKzOVOfONJTW8gX80YIQ&ved=0CC4QsAQ#tbm=isch&q=%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%82%B3%E3%83%BC%E6%B4%9E%E7%AA%9F
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前期・中期・後期と連なる250万年続く旧石器時代の最後を飾る後期旧石器時代は、最後であるわずか2万年そこらの出来事だ。後期旧石器時代の石器製作技法・最大の特徴はは英語でブレードというところの石刃技法だ。
まず、円錐状をなした石刃核をつくる。次に、打面をみつけ周りを順序よく撃ってゆく周縁に沿って打ち欠き、縁辺から多量のチップ状の石材を取り出す。それが剥片石器だ。チップの形は、概ね縦横比が2倍になっている。
日本では、台形石器とか、ナイフ形石器とかになった。
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(後期旧石器画像).
https://www.google.co.jp/search?q=%E6%96%B0%E7%9F%B3%E5%99%A8%E7%9F%B3%E5%88%83&biw=1242&bih=585&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=XKzOVOfONJTW8gX80YIQ&ved=0CC4QsAQ#tbm=isch&q=%E5%BE%8C%E6%9C%9F%E6%97%A7%E7%9F%B3%E5%99%A8%E7%94%BB%E5%83%8F
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クロマニヨン人は、マンモスや大角鹿を追いかけて暮らしていたが、気候変動だか乱獲だかでそれら大型獣がいなくなると、大半はネアンデルタール人と一緒に滅びてしまったが、一部は生き延びて、北方系の現生人類になった。クロマニヨン人は、ネアンデルタール人1600CCの脳容量クロマニヨン人よりも少し脳容量が小さい1500CC。現世人類はさらにしぼんで1450CCになった。骨格も華奢で身長が小さくなる。
なお純粋に近い南方系クロマニヨンは、カヌーを発明して、洋上を移動してゆくのだが、それは次の段階である1.5万年前・中石器時代の物語である。
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(クロマニヨン人とネアンデルタール人画像)
http://irorio.jp/sakiyama/20130720/68759/
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END




