チャーチル・ノート/026 凱旋門
チャーチルは、ノルマンディーで、ドイツ軍が抵抗をしているまっただ中、
「前線にいる連合国将兵を慰問したい」
といいだし飛行機を手配した。
いいだしたらきかないチャーチルだ。内閣も議会も軍部も空港にゆく自動車に乗ろうとする首相を止めることができない。
ルーズベルト程度の人材が雲のごとく集うアメリカならともかく、英国ではチャーチルを失ったら替えが効かない。これを止めたのが、かつて首相を毛嫌いしていた英国王ジョージ六世だった。
「宰相がゆくなら、余も前線にゆかねばならぬ」
国王が駆けつけてきて止めたもので、ようやく、葉巻の宰相は諦めた。
西部戦線が構築されると、これに呼応して、イタリア戦線・ソビエトの東部戦線が攻勢に入り、連合軍は一気にドイツ本国にむかって進撃を開始した。英国・ソビエトとの戦いでドイツ軍はすでに疲弊しており、大規模な一斉攻撃に対して、抵抗する術がない。
八月二十四日。
ドイツ軍残党の銃弾が飛ぶ中、剛毅なド・ゴール准将は、パリで凱旋パレードを敢行した。熱狂した市民が路上に繰りだした。
十一月十一日。
ようやくフランスゆきを許された英国首相チャーチルが、パリを訪問。同国の臨時大統領に就任したド・ゴールとともに無名戦士の墓に献花した。
そのときド・ゴールがチャーチルにいった。
「宰相閣下、アメリカ大統領ルーズベルトは、ベルリン占領に対して、早急な進撃はリスクが大きいとして、連合軍の動きを急がせないようですな。このままではスターリンがソビエト軍でドイツ軍を蹴散らしてベルリンを陥落させ、勢いに乗って、欧州の東半分をがっぽりと分捕ってしまうのは目に見えている」
「そうならぬように手を打っておいた。ドイツ軍が崩壊してギリシャ共産勢力が芽をだしたところに英国軍を派遣して潰してやった」
ド・ゴールが笑った。
「痛快だ。ルーズベルトの大ボケで、危なくバルカン半島の全部が共産化するところだった。最後の砦・ギリシャを、宰相はスターリンからかっさらったわけですな」
「ナチズムもファシズムも、もはや文明の脅威じゃない。これからのわれわれの敵は、共産主義だ!」
一九四四年七月二十日、ノルマンディー上陸作戦の迎撃に失敗したドイツではヒトラー排除・講和論者が水面下で活動を活発化させた。著名なところではシュタウフェンベルク大佐によるヒトラー暗殺計画「ワルキューレ作戦」があるがけっきょく失敗した。事件の余波で、ナチス批判をしていた非ナチス党員で国民の支持が高いロンメルを国家元首にという声が高まった。――危険を感じたヒトラーが、同年十月十四日、元帥に自決を迫る形で粛清した。
一九四五年四月三十日、ヒトラーが、「世界の四分の三の植民地を支配する、大英帝国は滅びる運命にあり、チャーチルは帝国の墓掘り人夫だ」といって嘲笑しつつ、拳銃ワルサーP38の引き金を引いて自決。
そして英国空軍の爆撃でぼろぼろになったところを、漁夫の利を得るかのように、ソビエト軍が突入し陥落した。
五月八日、第二代ナチス・ドイツ総統デーニッツが連合国に降伏。
九月二日、日本が降伏文書に調印。
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五月八日、対独戦勝利の報道をきいた英国中がお祭り騒ぎになった。
戦勝の報告にバッキンガム宮殿にむかうチャーチルの車をみかけた民衆が、門前に興奮して殺到。
「陛下、お姿をお見せ下さい」
と熱望した。
満面に笑みをたたえた国王ジョージ六世が、Vサインを示す宰相チャーチルを伴って、宮殿バルコニーに現れると、大歓声が巻き起った。
大英帝国は勝利した。
しかし同時にヒトラーがかつてした預言も当たった。――大戦後、ほどなく、大英帝国の植民地はつぎつぎに独立。英国は大西洋に浮かぶ島国の一つに転落した。




