チャーチル・ノート/024 三巨頭会談1943
一九四三年十一月、エジプト・カイロで、英国宰相チャーチルは、アメリカ大統領フランクリン・ルーズベルト大統領と会談を行った。その際、大統領は中国の蒋介石を連れてきて紹介した。
蒋介石は、英国宰相いわく、「特に魅力のない男」だった。
しかしルーズベルトは、
「アメリカ、イギリス、ソビエトに次いで、第四の大国の元首だ」
といってチャーチルを絶句させた。
それでルーズベルトは蒋介石に、「大戦終結後は日本軍が占領している英国領香港を中国にくれてやる」といっているらしい。
――あの眠れる豚を第四の大国にだと? 香港割譲だと? なんとしても阻止せねばならぬ。……それにしても、ルーズベルトは判らん奴だ。打倒ファシストを唱えているくせに、対独協力政権ヴィシー・フランスの流れをくむアルジェリアのジロー将軍を担ぎ上げようとしている。
チャーチルとルーズベルトはカイロ会談のあと、飛行機で、石油確保のため英国とソビエトが占領しているイラン・テヘランにむかった。同月から十二月にかけての予定で、ソビエトのスターリンと大戦終結にむけた諸計画を詰めるためのものだった。
飛行機のなかで、チャーチルは考えた。第一次世界大戦とそれ以前の世界は帝国主義の時代であった。第一次世界大戦後から第二次世界大戦までの世界はファシズムの時代だ。そして第二次世界大戦後の世界は、共産主義の時代になるのだと。……ならばきたるべき共産主義の時代に備えて、降伏が時間の問題となった枢軸国の国力をできるだけ温存し、共産圏の脅威に対する防壁とすべきではないのかと。
「大統領閣下、枢軸国への降伏条件を緩和して、一年でも二年でも早くこの戦争を終結させるべきだ」
アメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領は鼻で笑って、
「枢軸国に譲歩ですと? 戦争は早く終結させますよ。ファシストどもの全面降伏という形でね」
フランクリン・ルーズベルトは、一九二九年に起きた世界恐慌への処方箋として、一九三五年ニューディール政策を断行し成功させた。大戦初期において、欧州や日本との間では距離をおいたのだが、大戦中盤から参戦すると、温存させていた国力をみせつけて連合国の主導権を握った。
ルーズベルトは、親族に中国との交易をしていた者がおり親近感があった。そして、チャーチルが極東アジアに対する認識が甘かったように、大統領はソビエトに対する認識が甘かった。従兄の元大統領セオドア・ルーズベルトのような、早計な「民族自決」といった頭があり、「帝国主義」を憎んだ。盟友としてチャーチルを立ててはいたが、帝国主義者として、共産主義・恐怖政治の男スターリン以上に警戒していたのである。
第一次世界大戦当時、チャーチルは、ロシア革命に際して、対独戦争を継続させるため、介入をしたが議会の反発で断念した経緯があった。
チャーチルは側近にこぼした。
「……スターリンは、ロシア皇帝一家以下ロシア国民一億六千万人のうち二千万人を粛清という名で虐殺した男だ」
だが、いざ会談に臨むと、
「私のこれまでの行動を許して下さいますか」
といって側近を呆れさせた。
「チャンスを得るためにはいくばくかの代償を背負うことになる。敵に勝つためなら悪魔とでも握手するさ」
チャーチルはその点でリアリストだった。
無邪気なルーズベルトは、会談の間、スターリンを、「大好きな僕の小父さん」と呼んで、当の本人を苦笑させていた。
テヘラン会談は、「英・米・ソ三巨頭会談」というのだが、第一次・第二次世界大戦を通じて英国の国力は地に落ちているということを、チャーチルは自覚していた。
「ソビエトの熊、アメリカの水牛、英国は哀れなロバ」
側近にそう漏らしたという。
テヘラン会談の主要テーマでは、大戦終結にむけた作戦が協議されていた。
世界大戦後終結後の枢軸国及び枢軸国支配地域の再分割。……そして、北アフリカ戦線の消滅とイタリア戦線の膠着状態を受けて、一九四四年六月六日になされる、ノルマンジー上陸作戦についても触れることになる。
チャーチルが、ルーズベルトの異常を理解するのは、五月と八月にドイツ・日本が降伏する直前、四五年四月十二日だった。アメリカ大統領は、その日、脳卒中で死去する。病気だったのだ。
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一九四三年十一・十二月のカイロ、テヘラン会談のあと、一九四五年二月のヤルタ会談でルーズベルトは北方領土割譲を餌にした不必要な中立国ソビエトへの日本参戦要請と日本への原爆投下の準備した。――休戦による早期終戦ではなく、無条件降伏突きつける体裁をくずさずしての早期終戦への方法論とは、アメリカ版ホロスコープだった。
そして、真珠湾攻撃で頭に血をのぼらせたルーズベルトが描いた戦後日本処理とは……。
大統領の死は日本にとってもアメリカにとっても幸運だった。なぜならこの大統領は、原爆投下命令を下した次代のトルーマン以上に危険だったからだ。民族自決主義者の系譜をひく世紀のロマンチストは反面において伝統的な白豪主義者でもあった。……日本人を、未開種族どころか、原人レベルと定義して、無条件降伏後は、戦勝国側各人種との強制結婚により、文明・人種レベルまで破壊しようと目論んだ民族浄化政策を進行させていたのだ。
ドイツ系・イタリア系には行わなかった財産没収と収容所送りを日系人に対しては平然と行ったことが証明している。




