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もう一度妻をおとすレシピ 第5冊  作者: 奄美剣星(旧・狼皮のスイーツマン)
チャーチル・ノート
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チャーチル・ノート/020 砂漠の狐ロンメル1/2

挿絵(By みてみん)

挿図/(C)奄美「戦車」

「――当下院におきまして、チャーチル内閣に対する不信任案を提出いたします」

 一九四一年十二月、日本海軍が、ハワイ真珠湾港にいた米国艦隊に奇襲をかけ、第二次世界大戦に参戦した。すると同盟国ドイツは歩調を合わせて米国に宣戦布告をした。

 翌一九四二年、日本軍の脅威にさらされている、英国領シンガポールを救援に、最新鋭戦艦プリンス・オブ・ウェールズを旗艦とする艦隊を送ったところ、待ち受けていた日本軍・艦載機の空爆を受けて、沈められてしまった。この艦隊には、航空機の護衛がなかったことが命取りになった。

 悪いことは続く。

 英国の暗号解読に気づいたドイツは、暗号文を変えたのだ。

 このため、いままで敵の手の内を読んで、先手を打つことができたチャーチルも、それができず、暗中模索をやって、やることなすこと裏目にでてばかりいたのだ。

 誰もいない閣議室で老紳士が、熊のように、ぐるぐる歩き回り拳を上げて怒鳴っているのを、たまたま廊下を通りかかった若い官僚が目撃した。

「私の力というものを、軍部の連中に思い知らせてやる」

 怒鳴っていたのはチャーチル首相だった。

 若いころのインドやアフリカでの豊富な戦闘経験と、こう着した第一次世界大戦の塹壕戦経験を持ち、機械化部隊機動戦術の発案者である自由フランスのド・ゴール准将と友誼を交わすチャーチルは、スピードのない指揮官を嫌い、遅い将軍をばさばさクビにしていった。

 第一次世界大戦では、将軍は有能だが、無能な政治家が足を引っ張るという世論があった。しかし、第二次世界大戦になると世論は逆転して、シビリアンコントロールが効くようになっていた。とはいっても、従軍経験のない政治家が、戦争をまともに遂行できるというものではなく、軍事・政治の両方に精通したチャーチルは、やはり傑出した人物だった。

 第二次世界大戦・北アフリカ戦線はチャーチル内閣が発足した一九四〇年九月から、一九四三年五月に至る約三年に渡って、英国を中心とした連合国と、ドイツを中心とした枢軸国によって行われた、エジプトからモロッコに至る地中に臨んだ北アフリカ諸国での戦いだ。

 一九四〇年九月、ドイツのヒトラーから要請を受けたイタリアのムッソリーニが、将軍たちの反対意見を押し切る形で、北アフリカにあったイタリア領リビアから、自国軍をエジプトにむけて出撃させた。

 折しもバトル・オブ・ブリテンの最中ということもあり、イタリア軍はまともな抵抗を受けずに東進したのだが、旧式装備で十分に機械化されていない歩兵部隊が中心で、英国における北アフリカ・中東方面の大本営であるエジプト・カイロに到達する前に立ち往生してしまった。

 同年末になると、本土決戦を片付けた英国が、反攻作戦でエジプトから出撃し、イタリア軍を押し戻してしまう。

 一転して劣勢を強いられたイタリアは、同盟国のドイツに援軍を請うた。――とはいっても東西の戦線に大兵力をだしているドイツが大兵力を裂いて、彼の地で戦うことは困難だ。そこで、申し訳程度の、あまり多くもない軍団を送ることになった。

 一九四一年二月、北アフリカ方面・枢軸国軍総司令官として送り込まれた人物が、「砂漠の狐」の異名をとるエルフィン・ロンメル上級大将だった。 

 英国軍が、リビア側に越境してすぐにある港湾都市トブルクを占領すると、同年四月からドイツ・アフリカ軍団がトブルクを包囲した。

 六月、ロンメル麾下のドイツ軍は、英国軍と一進一退の攻防戦を繰り広げた後に、ガザラで英国軍を敗走させ、ついにドイツ軍がトブルクを占領した。ロンメルの巧みな戦車機動戦術により、英国軍は翻弄されてしまったのだ。戦闘で、ロンメルは、四万五千の連合軍捕虜と一千量以上の戦車を撃破し、元帥に昇進した。

 破竹の勢いとなったドイツ軍はエジプトにむかって進撃を開始した。

.

 大西洋・地中海に盤石な補給ラインを確保し、順調に態勢を取りなしつつあった英国にとっては寝耳に水の出来事だった。そのため同国の下院は激しく動揺し。チャーチル内閣は下院から突き上げを喰らって、不信任案が提出された。

「エルアラメインを占領されますと北アフリカにおけます主要港は全てドイツの手に渡ることとなり、輸送船補給が不可能となります。さらにその先にあるエジプト首都カイロ及び外港アレクサンドリアが陥落いたしますと、中東の産油地帯はドイツの手に渡ってしまうでしょう。――かかる危機に関しまして、宰相閣下はいかなる策がおありですかな?」

 いままで、下院で、明確な返答をしてきたチャーチルが初めて口籠った。

 英国軍は、自国植民地領エジプト首都・カイロの西方百五十キロ地点に、広範囲な地雷原を敷設した最終防衛線を構築した。そこがエルアラメインだった。

 七月一日、ロンメル麾下ドイツ軍団は、彼の地に達した。

ドイツ二十一装甲師団は、英国陣地の南側・地中海側を迂回して、裏側に回りこもうとしたのだが、表面が乾いていて荒地にみえたところは、戦車が通れば深く沈む湿地帯だった。これでは、得意の機動的な迂回戦術ができず、正面突破を図るのだが、すると広範囲な地雷原に阻まれてしまう。

 戦線は膠着状態となり、英国側に時間を与えることになった。制空権・制海権を奪われたドイツ側に補給物資はこない。

 八月になった。

 チャーチル首相は、ダンケルク撤退戦で活躍した将軍の一人であるモントゴメリーを、エルアラメインを守備していた英国第八軍指揮官に任命した。

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