チャーチル・ノート/018 パリ陥落
ダンケルク撤退戦のあと、フランス政府はマジノ要塞ほか前線にいた将兵を後退させて防衛線を張る。他方、英国は再びアランブルック大将と麾下の二個師団を新たに派遣した。
ドイツ軍の進撃は止まらない。
フランス政府はパニック状態になった。
六月十日、フランス政府は、パリを無防備都市と宣言して放棄。大本営をボルドーに移す。
そのころ、ダンケルク撤退戦に続いて、さらにフランス内部に突入してきたドイツの大軍から身をかわすための、サイクル作戦が開始され、孤立したル・アーヴル港から連合国軍が撤退しだす。
十一日、第一陣が、駆逐艦九隻とその他多数の船に分乗し、ル・アーヴルからイギリス海外派遣軍ほか連合国軍一万一千名が英国本土へ脱出した。その際、ドイツ空軍の爆撃で輸送船ブルージュが撃沈された。また、サン・ヴァルリーからの撤退作戦では、計画の遅れがあり計画された大半の人員を脱出させることに失敗。けっきょくうまくいかないまま十三日に同作戦は完了した。
十三日から二十五日までにドイツ軍がフランスに侵攻し北部を制圧。その間、十四日にパリは無血開城した。
同じく十三日、再びフランスに着任した英国アランブルック大将は、翌十四日、チャーチルに電話して、
「フランス政府は、残余の部隊を、ブルゴーニュ半島に籠らせて、ドイツに一矢報いる策を採ろうとしていますが、それではもはや勝てる見込みがありません。麾下将兵の撤収を願います」
と報告し了承された。
早速、アランブルック大将は、六月十五日から二十五日にかけて、エアリアル作戦を発動。ノルマンディーおよびブルターニュに駐留していた、英国・カナダほか連合国軍兵士十五万脱出の指揮をとった。
十七日、ボルドー港から、ポーランド亡命政府大統領、チェコ軍兵士が連合国側商船に乗って脱出した。
ジェームス海軍大将指揮による、ノルマンディー駐留の、第五十二歩兵師団を乗せた輸送船は、十七日に出航した。入れ違いにドイツ第一軍が各市に突入してきたのだが、すでに港は、もぬけの殻になっていた。
他の駐留軍の撤退はナスミス司令官のもとに行われた。サン=ナゼールにむかった大型輸送船五隻に乗ったのは、英国軍および民間人のほかに、ベルギー、チェコ、ポーランドの兵士も含まれていた。各船とも乗員は満杯状態だった。
同日午後のドイツ軍爆撃機による波状攻撃では、第一波で英国輸送船オロンセイ甲板が一発被弾したが大事には至らなかった。しかし第二波で同国輸送船ランカストリアが、三発被弾して沈没。二千四百名が救助されたが、四千名前後が死亡した。
十八日、現地司令部は、最後の英国軍兵士を帰還させたと思い一息ついたところで、十九日、前線から撤収してきたポーランド軍一万四千名が到着した。この部隊を回収して最後の船便とした。
撤退作戦エリアルが完了するのは二十五日である。総指揮を執ったアランブルック大将が、イングランド島に救出した人々は、国別で、英国十四万四千、フランス一万八千、ポーランド二万四千、チェコ五千に上った。
その間、二十一日に、ボルドーにいたペダン将軍を首班とするフランス政府はドイツに休戦を申し込み、翌日受託されて降伏。南部の地方都市・ヴィシー市に首都を遷して、対ドイツ協力政権ヴィシー・フランスが成立する。
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チャーチルは、同年七月から十月にいたるバトル・オブ・ブリテンもおいて、ダンケルクとエリアル撤退作戦を成功させたアランブルック大将を、ドイツのイングランド上陸に備えて、陸軍総司令官に抜擢していた。
九月。
ドイツの爆撃が激しさを増してきた。
英国南岸にあるとある軍事基地を、アランブルック大将が訪ねた。
そこの指揮官は、有能だが気性の激しいことで知られているモントゴメリだった。ダンケルクの撤退戦では、アランブルック麾下の将官として、最後のほうまで残っていた将軍だ。
モントゴメリは、報道機関が、ダンケルクの戦いを持ち上げて、敗残兵を英雄としている風潮を苦々しく思っているリアリストでもあった。
「ダンケルクが勝利だと? 馬鹿げている? あれは敗戦というのだ!」
バトル・オブ・ブリテンの後にこの人は、チャーチルに抜擢されアフリカ方面の司令官となり、「砂漠の狐」の異名をとるロンメル元帥麾下のドイツ戦車軍団を破ることになる。
アランブルック将軍とモントゴメリ将軍は、上空にドイツ空軍メッサ―シュミット戦闘機に護衛されたユンカース爆撃機の編隊がエンジン音を立て押し寄せてきていることに気付いた。
「ちっ、こないだの敵襲でいくつかのレーダーがやられて、防空網に穴があいたまままだ」
モントゴメリが吐き捨てるようにいっているところに、ロールスロイスがやってきて前に停まるや年配の紳士が降りてきた。
葉巻をくわえたその人は空の敵機にむかってVサインを掲げてみせた。
アランブルックとモントゴメリの二将が素っ頓狂な声を上げる。
「――宰相閣下!」
「「〈ボシュ〉・ドイツの奴らがロンドン空襲に躍起になっている間に、レーダーを修理するよう技師を手配しておいた。それから朗報だ。さらなる経済支援をアメリカがしてくれると約束してくれた。いいほうに風が吹いている」
ふてぶてしい顔のチャーチルが笑った。
バトル・オブ・ブリテンのときの主役は空軍で、陸軍は、オランダが制圧されたときみたいに、ドイツがパラシュート猟兵がきたときに対する備えだ。しかし十月が過ぎるとその心配もなくなった。
逆襲だ。
第一弾はアフリカから。
ほどなくモントゴメリ将軍がそこに派遣されることになる。




