チャーチル・ノート/013 世界恐慌
「隊長殿! ……あ、いまは軍需大臣閣下でしたね」
「いや、隊長でいい」
アスキス首相のとき海軍大臣を降ろされたチャーチルは、前線に飛び出して、陸軍中佐となり、大隊を率いて塹壕戦をやっていた。声をかけてきたのは、そのときの部下たちだった。
一昨年前から前年にかけてのことだ。
「あのクソ作戦でよく生き残ってくれた。嬉しいぞ。不足しているものはないかね?」
「弾薬も食糧もバッチリです。隊長殿が大臣になられてから、なんか、いままでだらだらやっていた作戦が上手く決まりまくってますよ」
チャーチルのいうところのクソ作戦とは、前年にあった緻密さを欠いた作戦で英仏連合軍七十万人という途方もない損害をだした史上最悪の「ソンムの戦い」だ。チャーチルはそれの勃発する前の月・五月に、盟友ロイド・ジョージが引っ張り上げた形で帰国。そのロイド・ジョージが、辞職したアスキスに代わって首相になると軍需大臣のポストに抜擢されたのだ。
なにかと目立つものだから作戦が失敗すると、チャーチルのせいにされる。新国王以下有力政治家、国民の大部分が、「チャーチルの奴」と鼻白む。確かに、平時にはアスキスのような政治家が適任だ。しかし国家存亡の危機にあって辣腕を発揮できるのは、最前線を知っている者でなくては務まらない。
チャーチルと秘書を乗せたロールスロイスを改造した装甲車が、各塹壕と前線司令部の間を往復する。チャーチルは前年まで陸軍中佐として、こういう塹壕の中で部下と一緒に埃にまみれて戦っていたのだ。
「塹壕にくると閣下はなぜだか楽しそう」
ふてぶてしい顔をした中年の政治家が秘書にむかってヤニのついた歯をみせると葉巻をふかした。
「悔しいが〈ボシュ〉どもの戦術は一流でわれらは二流どころか三流だ。西・東・南と鉄壁の戦陣を張っている。だが一か所でも穴をあけてしまえば、風船みたいに爆発する。……幸い中東のアレンビー将軍が、恩知らずなトルコを釘付けにして北上できないようにしている。要は、アメリカと弾薬を効率よく前線に回してゆくことこそが勝利の鍵だ……」
英国人は〈フン族〉と呼んだが、チャーチルは洒落っ気をだしてフランス人のいうところのドイツ人への蔑称〈ボシュ〉と呼んだ。
恩知らずなトルコというのは、〈欧州の病人〉と呼ばれていた老帝国を英国は丁寧に扱っていた。それだというのに、ドイツが開戦するや否や、寝返ってそっちについた。映画にもなる若い考古学者T・E・ロレンスは、アレンビー将軍に抜擢されて、アラブ諸族に影響力をもったメッカ太守フセインを説得してトルコに対して叛乱を起こさせた。叛乱軍これがヒジャーズ王国で、そこから枝分かれした国の一つが現在のヨルダン王国である。
以降、ロレンスはやがてイラク国王となる第三王子ファイサルの軍事顧問として活躍した。
一九一七年から、アメリカがドイツに参戦する。
――これでドイツは終りだ!
チャーチルは友軍への弾薬供給も疎かにしない。
前線で采配をふるう有能な将軍というのは数が限られるのだが、実のところ、後方で効率よく必要物資を運ばせる大臣というのはさらに数が限られたものだった。
*
一九一八年十一月、ドイツは休戦を申し込んできた。実質的な降伏である。
気をよくしたロイド・ジョージ英国首相は解散総選挙をおこなうと連立与党は大勝。ダンディー選挙区から立候補したチャーチルも連立与党・自由党から立候補して議席を守った。首相は、陸軍大臣兼空軍大臣というポストをチャーチルに与えた。
首相公邸をでてきた、ふてぶてしい顔の大臣は秘書のエリザベスにいった。
「さて、もう一汗かかねばならん」
「――といいますと、閣下?」
「前線にいる兵士たちを本国に帰国させる。いっぺんにやるとパニックになる。秩序ある撤収をどうするか。これが腕のいい政治家の見せ場というものだ。いまからいうことをメモしてくれ」
「はい」
「復員兵士に優先順位をつける。兵役期間、戦傷、年齢……こういったもので全体の四分の三を前線から引き揚げさせる」
「残った四分の一の将兵は?」
「二倍の給料を支払う」
チャーチルがライターで葉巻に火をつけ煙を一吹きするとヤニばんだ歯をみせた。
一九二一年、陸軍大臣兼空軍大臣から、植民地大臣のポストを任された。首相に最も近い大臣の椅子だ。あのアラビアのロレンスと親友になり、このころ顧問に迎えている。
*
一九二四年十月。
チャーチルは、エセックス州エッピング選挙区で保守党・下院議員に当選し、ポールドウィン首相によって財務大臣に任命され、政権の要職に返り咲いたチャーチルは自分の欠点を克服するように努めていた。
同僚である大臣職掌に首を突っ込む癖があり、多くの敵をつくっていた。また財務大臣だった父親の失敗に性急な行動で破滅したという経緯があって、反面教師として襟を正した。
恩義のある首相をたて、朝必ず首相公邸を訪ねて会談して意見があうように調整。若手下院議員からも好かれるようになった。
また、第一次世界大戦終結後、金本位制に復帰したことは、のちに経済学者として一世を風靡する元財務大臣・ミットランド銀行頭取のケインズを筆頭に、金融政策に疎い政治家なのに性急だという批判があったものの、国民からはおおむね好意的に受け止められた。
基幹産業である炭鉱業が衰退すると、賃下げを労働組合側に要求し折衝。妥協案をだすことに成功したが、労働党側が選挙で勝利すると、けっきょく、そちら側の要求を呑む格好となってチャーチルを失望させることになる。
財務大臣として軍備に関して、むこう十年間は大規模な戦争は起きないという見地から、海軍・陸軍大臣時代とは逆になり、次世代型兵器の導入には消極的になった。
海軍軍縮条約では、日本嫌いだったアメリカの要求をいれて米英日5:5:3の海軍比率としたため、日露戦争以来の同盟関係にあった日本を敵に回すことになる。
一九二九年の総選挙で保守党が、労働党に大敗。労働党のマクドナルド党首が新首相となりポールドウィン政権は崩壊。チャーチルは選挙得票数を伸ばしたものの下野する羽目になった。
チャーチルは、閣僚在任中、財テクを遠慮しているのだが、下野すると派手に行なう。――各雑誌・新聞紙に高額で記事をかき著書を刊行し、得られた巨額の収入を投資に費やして、つぎの波を待つのだ。アメリカで講演を行い、数万ポンドもの収入を得ていた。
その最中、ウォール街で株の大暴落「世界恐慌」が起り、チャーチルは借金まみれになって、一時は自宅・チャートウェル邸を売りに出すことも検討していたくらいだった。
けっきょくのところ、執筆量を二倍にして、自家の経済危機を脱した。




