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もう一度妻をおとすレシピ 第5冊  作者: 奄美剣星(旧・狼皮のスイーツマン)
チャーチル・ノート
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チャーチル・ノート/012 第一次世界大戦開戦

 大戦が開始したばかりの九月・十月の時点でのドイツ艦隊の猛攻は凄まじく、Uボートにより、戦艦一隻・巡洋艦五隻が沈没した。チャーチルは南大西洋に英国艦隊を派遣し、ドイツ艦隊を撃破したが、それまでの短期戦と考えていた世論は当然のこととした。そして過去、スペイン無敵艦隊や、ナポレオン艦隊を打ち破ったような英雄がなぜ現れず、一気に始末してくれないのかを苛立ってみていた。……首相以下、大戦というものをまったく理解していなかったのだから無理もないことではあるのだが。

 さて。

 英国本土防衛策の発想に、第一の防衛ラインを北海対岸であるオランダに、第二防衛ラインを海、第三の防衛ラインを本土に置くというものだ。

 そのオランダが、ドイツの猛攻に耐えられずに、アントワープなど重要都市を放棄しようとしていた。

 対岸がドイツ海軍港になったら、英国本土は危険にさらされる。

 チャーチルは、現地のホテルを作戦本部として乗り込み、武器をつくった。一週間防衛の指揮を執った。しかし海相を辞任して前線の指揮を執ると本国に打診したのだが、閣議で却下され、直後、二千名の戦死者をだして陥落する。そのため陸軍将官から突き上げを喰らう羽目になる。

 さらに。 

 海軍委員会第一委員に、フィッシャー提督がいて、この人がチャーチルの脚を引っ張った。

 大戦勃発時、前任者バッテンベルグ提督がドイツの血が入っているという世論により更迭させられると、やむを得ず、退役したフィッシャー提督が呼び戻され後任に迎えられた。退役する前は有能だったが、年齢七十歳を超え、痴呆化が進行していたらしく、重要な責務には耐えられない状態だった。

 アスキス首相は、ドイツ側に同盟し参戦したトルコ帝国に一撃を与えるため、帝都イスタンブールに、フィシャー提督麾下の英国艦隊を派遣し、チャーチルが創設した海兵隊を上陸させて一気に制圧してしまおうという作戦を決行したのだが、ものの見事に失敗した。 それまでのトルコ帝国軍といえば連戦連敗の旧式軍隊だったのだが、このころはドイツから大量のドイツ帝国軍人顧問を招いていて、英国軍と互角以上に渡りあえる精強な軍隊に変貌していたのだ。

 なにもかもが裏目に……。

 アスキス首相は、挙国一致の連立内閣を組織。

 本来はなんら失策も犯していないが、ともかく目立ったので、チャーチルに責任があるという世論から、ランカスター公領相という閑職に左遷した。明確なビジョンをもたない内閣、戦術ミスを重ねる軍部――大英帝国は迷走した。

 完全に干され、鬱ぎみとなったチャーチルは、ロンドン南西、サリー州にあるホー農場を借りて引っ込んだとき、そこには弟夫妻もつきあってくれた。

 義理の妹にあたる伯爵令嬢のレディー・グェントリー、愛称グーニーが絵の手ほどきをしてくれたことでチャーチルの画才が開化する。

 絵を描くことで鬱状態を克服したチャーチルは、一九一五年十一月十八日から翌十六年五月まで、陸軍中佐として前線に赴き塹壕戦を体験する。英国軍のものではなくフランス軍の将校の帽子がカッコイイという理由でそれを被り、部下の兵士たちと泥まみれになりながら自信を取り戻していったのだという。

 閑話余談。

 英国本国は、第一次世界大戦における最大の会戦一九一六年七月一日から十一月十九日まで行われるフランス北部ピカルディ地方ソンム河畔での「ソンムの戦い」で、英仏連合軍が、ドイツ軍に大攻勢をかけた。

 連合軍は負けこそはしなかったものの七十万人の戦死者をだし、十一キロ前線戦を後退させたドイツ軍は四十万の戦死者をだした。

 「ソンムの戦い」にチャーチルが赴けば、戦死確率は高かった。

 あの時点で英国がチャーチルを本国に呼び戻したのは幸運だった。


 一九一六年五月、チャーチルは第一次世界大戦西部戦線の塹壕での戦いを終え、本国へ帰国。前線にいたときの経済的損失は、サンデー・ピクトリアル紙、タイムズ紙に寄稿した高額の原稿料で埋めた。この人の資金源の大半はペンで、取材するときは剣をもつ。

 同年六月、チャーチルを追い出したアスキス首相の挙国一致内閣は崩壊。政友ロイド・ジョージが新首相になった。ロイド・ジョージ新首相はチャーチルを閣僚に引き立てたかったが、政権基盤が弱く、連立していた保守党の突き上げがあって迎えることができず、さしあたりオブザーバーとして迎えた。

 しかし一九一七年、ロイド・ジョージの政権基盤が強化されると、チャーチルを軍需相に任命した。

 このときチャーチルが前線にいたときの経験が役立った。

 英国陸軍総司令官ダグラス・ヘイグ元帥は心優しいで前線の将兵に情が移ることにより作戦に狂いが生じることを嫌って自ら塹壕に入ることを避けた。しかし中佐・大隊長として前線指揮をとっていたチャーチルは、そこで将兵の心情と、戦場で彼らが何を求めているのかということを学んだ。

 軍需省は当時指示系統がパニック状態になっており、チャーチルが混乱を鎮めた。この人は前線でなにが求められているかを知っている。

 効率よく武器弾薬を生産し、前線の英国軍に供給するとともに、新しく参戦した米国軍にも物資補給を滞りなく行った。

 第一次世界大戦では概ねドイツ帝国が優勢で、各戦線ともにドイツが勝利を重ねていたのだが、こう着状態にあったフランス国境地帯・西部戦線に穴を空ける形となり、ドイツは休戦を打診してきた。

 大戦で甚大な戦争未亡人と負傷兵をだした連合国は、テーブルに着いたドイツを徹底的にいびりまくった。

 チャーチルはボーア戦争の教訓から、この手の復讐は将来、必ず禍根を残すことになるだろうと危惧し反対した。

     *

 田舎道というよりはかつて都市だった瓦礫を片付けてどうにか車が通れるようにした隙間を、埃を巻き上げて、装甲車に改装したロールスロイスがゆく。

「いまなんといった、運転手君? 道に迷っただと? ……くそったれ、人生最悪じゃないか!」

 英国の軍服だがなぜだかフランス軍のベレー帽を被ったチャーチル。その人が一時間時間を無駄にすれば悪くすれば前線にいる数万人の将兵が命の危険にさらされる。運転手に罵声を浴びせかけた。

 第一次世界大戦の後半にあたる一九一七年に軍需大臣に就任したチャーチルの随員は数十人いた。たまたま前線視察に同行した秘書のエリザベス・レイトンは、

 ――閣下は短気だ。ふだんは暴言というものを理性で制しておられるのだけれど、限界に達しているということか。

 と思った。

 女性秘書をつければ、盟友ロイド・ジョージ首相なぞ、すぐ〈お手付〉きにしたことだろう。しかしチャーチルは女性関係については綺麗だった。

 チャーチルといえば女性関係については綺麗なもので、そういう意味で、エリザベスは安全だったわけだが、うまくゆかないとき、とばっちりを受けることがある。……完璧な人などいやしない。こういうときに欠点が噴きでる。しかし一週間続けての酷い罵声は堪ったものじゃない。 

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