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もう一度妻をおとすレシピ 第5冊  作者: 奄美剣星(旧・狼皮のスイーツマン)
チャーチル・ノート
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チャーチル・ノート/011 海軍大臣就任

 内相時代に彼が唯一不機嫌にさせたのは、死刑囚の死刑執行の書類にサインするときで、リストに挙げられた四十人中二十人にサインしたのだが、残り半数は減刑した。絞首台に登る囚人たちの人生に思いをめぐらせ、一日中憂鬱となった。……それ以外は暗いものといったら、台頭するドイツの存在以外大きなものではなかった。次第に増す社会不安さえもさしてさえも、適切に対処こそすれ、驚き戸惑う様子はなかった。

 チャーチルが代議士を始めてから十数年間が大英帝国絶頂期だ。第一次世界大戦が勃発する一九一四年までの間、公私ともに生活を楽しんだといわれている。

 労働争議と婦人参政権の問題が過激化していった。両方とも暴力沙汰にまで発展していたので、運動家が逮捕されることがけっこうあった。内相であるチャーチルは治安維持に関する責任者であったので、両団体の標的にあり、下院から物が投げられ、顔面にぶつかったということもあったが、怒りをあらわにせずに、「暴力は畏れないが憎まれるのは残念なことだ」という趣旨の言葉を述べて冷静に対処したこと、機会があれば敵地に乗り込んで話し合いをしようとしたことは、勇気ある政治家だという評価につながることになる。

 自由党に在籍していたチャーチルは、ロイド・ジョージと、中道新党結成を模索していた。政治理念の近い政友を求めて、自邸に自分用と客用のシャンパンを常に二本置いた。

 インテリだが毒舌家で名が知られている保守党のF・E・スミスと友情を深め、各法案の提出のときはよく助けてもらうことになる。スミスはクレメンタイン夫人に嫌われていたが、息子ランドルフの名付け親になってもらった。

 またチャーチルは文学サークル「ジ・アザー・クラブ」をつくった。一種の超党派サロンで、スミスと一緒に議論をしたりして楽しんだ。

 一九一一年。

 第一次世界大戦の足音が近づいてきたとき、アスキス首相はチャーチルを海軍相に任命した。そのためチャーチルの従者が七人から十二人に増えるとともに、海軍省のクルーザー「魔女号」を自由に使えるようになった。また、クレメンタイン夫人は晩餐会やパーティーを主催することができるようになった。

 海軍省時代の三年間のうち十八か月は「魔女号」で過ごし、この船をつかって、当時世界中にあった数百もあった英国海軍基地をすべて視察した。一日十八時間勤務をすることはざらで、最先端海軍技術を修得。石油燃料型戦艦・軽空母の建造を計画。それから、周囲の反対を押し切って海軍参謀本部をつくった。

 軍艦の燃料に必要な石油確保のため、イラン油田アングロ・ペルシャ石油会社(現BP)を設立、投資し、英国政府の石油産業進出の道を開いた。

 また世界中に無線施設網を築いた結果、ドイツ陸軍の野心を感じ取った。陸軍力で英国はドイツにはかなわない。唯一対抗できるのは海軍力だと考え、増強を図った。

 なお、このころチャーチルの趣味に飛行機操縦があり、かなりはまっていたのだが、夫人の反対で諦めたとのことだ。

 一九一二年。

 そのドイツが海軍法を制定してそれまでの建造ペースを一・五倍にまで引き上げ、海軍力まで増強する。英国国民は、「フン族」と呼び、チャーチルはドイツ人の悪党を意味するフランス語のボシュと呼んだ。

 ドイツが量産したのはUボートで、これに危惧したチャーチルは、対潜水艦用の駆逐艦を量産して対抗することになった。

 ロイド・ジョージとともに歩んでいた社会改革から、対ドイツ戦へ、チャーチルの頭はシフトしてゆく。

     *

 米国大統領セオドア・ルーズベルトが、金融危機に陥ったとき、

「大損をした連中は、よく考えもせずに、目立つ人間を標的にして引きずりおろす」

 といったのだそうだ。

 英国国民は自業自得の選択で自らの首を絞めることになる。

 当時、第一次世界大戦というものが、どういうものになるか、ということを把握していたのは、記者として近代戦・ボーア戦争を経験した海相チャーチルくらいのものだった。

 アスキス首相は平和な時代には向いていたが、戦時の対応はまったくむいておらず、ただいたずらに迷走して、甚大な兵員の消耗をさせてしまった。

     *

 一九一四年は第一次世界大戦が起きる年だ。

 その直前、いろいろな矛盾が噴き出して爆発しかかっていた。社会問題もさることながら、旧教が多いアイルランド南部では、武器密輸が盛んに行われ、政情不安となっていた。

 チャーチルは、政友ロイド・ジョージが、不正株取引や女性問題で叩かれていると、弁護したりする一方で、いつ暴動がおきるか判らない土地に、チャーチルは武装蜂起を思いとどまるように、何度か演説にいっている。

 南アイルランドの鎮圧にアスキス首相は武力解決も辞さない閣議決定を下すと、チャーチルは、特に武闘派というわけではないが、艦隊を沿岸に寄せた。例の如く、冒険的な政治家であるチャーチルは軍艦に乗り込んで最前線に立った。

 ところがだ。

 チャーチルがいざ赴いてみると、世論の批判に耐えられなくなったのか、首相は態度を一変して閣議決定を取りやめてしまった。このことは、いけいけの武闘派とみられたチャーチルは、宙ぶらりんになって、叩かれる羽目になる。

 ただ、チャーチルが艦隊を増強し、直後に勃発する大戦に対し、臨戦状態にしたことは、英国にとって不幸中の幸いになった。


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