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もう一度妻をおとすレシピ 第5冊  作者: 奄美剣星(旧・狼皮のスイーツマン)
チャーチル・ノート
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チャーチル・ノート/008 ボーア戦争3/3

 南アフリカ・ケープ植民地を拠点に大英帝国が、オランダ系住民・ボーア人が建国したナバール共和国を滅ぼしケープ植民地に編入した。そこを同名植民地と呼ぶこともある。オランダ系住民はさらに北方に、鉱山資源豊かなオレンジ自由国とトランスバール共和国を建国した。

 一八九九年十月十二日の開戦から日が立たない二十九日に、レディスミス市に駐留していた将軍ジョージ・ホワイト卿麾下の英国軍は、同市郊外でボーア軍と交戦し大敗し、市街地に逃げ込んだ。しかし、ボーア軍側は市街戦による兵力の消耗を考慮したのかすぐには占領しなかった。

 その間に英国軍ホワイト将軍は立て直しをはかった。

 ボーア軍による同市の包囲は、同年十一月二日から翌一九〇〇年二月二十八日の百十八日間で英国兵三千人の死者をだした。

 軍事衛生がない時代、前線で索敵するのは当然、斥候に頼るしかない。

 チャーチルたちを乗せた装甲列車は、包囲網を突破して、孤立した最前線の町に入城する形になったわけだから、大胆というよりも無謀なミッションだったといえる。

 捕虜になった野心的な新聞社特派員は、包囲された同市をかすめて背後・北側に回り、そこからほどなくある国境を超え、さらに内陸奥深くにあるトランスバール共和国の首都プレトリア市に護送された。

 南半球・亜熱帯気候の土地でクリスマスごろには夏場になり蒸してくる。

 チャーチルが押し込められた捕虜収容所は、老朽化した学校施設を転用したもので、有刺鉄線を頂に配した高塀に囲まれていた。

 訊問室で取調べをしていた収容所の所長が苦笑した。

「チャーチル君、君は新聞記者だといっているが、これはなんだね」

 机の上に所長がポンと置いたレディスミス市の新聞紙だ。それはたぶん、ボーア軍工作員が市内で手に入れたものだろう。

 第一面の見出しはこうだ。

 ――英雄チャーチルの献身、奇跡的な生還を遂げたホールデン大尉が戦友を語る……。

大尉め、余計な事を……、というより戦意高揚のための軍部と新聞社がやったことか。

「いくら肩書が新聞記者でも、やっていることは軍人と変わりない。工作員といってもいいくらいだ」

 所長に屁理屈は通じない。さすがに頭を抱えた。

.

 収容所内での行動は、制限があったものの、散歩をしたり運動したりする自由があった。チャーチルは、三週間かけて、散歩がてら敷地内の様子を観察した。

 塀には、五十メートル間隔で歩哨が立っている。

 これをみた英国人捕虜たちは脱走を断念するのだが、どんなところにも完璧というものはない。ついに塀に寄ったところにある屋外トイレの裏がライトの死角になっていること、見張り交替の時刻になると、歩哨の視界からもそれてしまうことに気がついた。

クリスマスが近くなった十二月十日深夜。

 野心的な冒険家は、学校校舎教室を転用した捕虜が雑魚寝する部屋を抜けだし、運動場を横切って、屋外トイレに駆け込んだ。

 歩哨が交替する時間をじっと待つ。

 連中は煙草をふかし雑談している様子だ。

 その隙にチャーチルは塀のてっぺんによじ上り、飛び降りた。

 収容所からプレトリア市街地を抜けて郊外にむかうと、随所に検問の兵士が立っていたが、盛り場で一杯ひっかけた一般市民を装って口笛を吹き、少しふらつきぎみに歩いて、そのまま郊外に脱走することに成功した。

 オリオン星が示す南にむかえば、英国領ケープ植民地だ。するとやがて鉄道路線にいき着き、さらにレールに沿って歩いてゆくと停車場にたどり着いた。うまい具合に貨車がいて、牽引する蒸気機関車が出発を報せる汽笛を鳴らしていた。

 これに飛び乗り、連結機から貨車に潜りこむと空袋が山になっていて、中に潜りこんだ。

 しばし仮眠をとってから、夜が明ける前に、装甲している貨車から飛び降りた。

 日中は雑木林の中に隠れ、ポケットのチョコレートを少しかじってまた夜がくるのを待った。それでまた鉄道線路沿いに南にある国境を目指した。警戒がだんだん厳重になっている。だが、集落の灯火をみつけた。

 後に英国領ケープ植民地が、ボーア人の二国を併合した際、懐柔策として、先住民である黒人を差別する人種隔離政策アパルトヘイトをやるわけだが、それ以前、英国は奴隷制を禁じていた。近代奴隷制農園「プランテーション」をやっているボーア人は黒人に憎まれていて、英国に厚意を寄せている。うまくいったら食事がもらえるかもしれない。

 チャーチルは、意を決し集落にむかって、ドアをノックした。

 しかし玄関にでてきたのは白人だった。

 ――ボーア人の家だったか!

 絶体絶命のピンチかと思ったのだが、そこで幸運の女神がまた、チャーチルに微笑んだ。

 なんということだろう、男は英国人だったのだ。

 第一次・第二次ボーア戦争の間、一八九〇年代に英国領ケープ植民地の首相であったセシル・ローズも、ボーア人国家・トランスバール共和国内に鉱山を所有していたくらいで、同国には英国人技師が数多く鉱山技師として雇われていた。開戦後、彼らは同国に忠誠を尽くすという条件で、彼の地にとどまっていた。

 英国人技師はジョン・ハーワットと名乗った。トランバース炭鉱の主任だという。

 数万戸ある住宅のうち、偶然にも彼の家にたどり着いたのは、いったいどれほどの確率であるのか。

 ハーワット氏は、冷製羊肉でチャーチルをもてなし、仲間である英国人炭鉱夫に引き合わせて、鉱山の奥深くにあるいまは使われていない作業員休憩室に匿ってくれた。その際、ウィスキーやビスケットといった食糧のほか、毛布なんかも提供してくれた。

 チャーチルの追っ手である憲兵は、数日間、町を探索しやがて、ここに彼がいないと判断して立ち去った。

 それでハーワッドが、信頼のできるオランダ人の友人・ブルグネルという羊毛交易商に頼んで、買い付けた羊毛箱の一つにチャーチルを隠し、貨車を使って、ポルトガル領の中立国の都市デラゴア湾に臨んだロレンソ・マルケス市への逃亡を手助けしてくれた。

 十九日午前二時。

 ハーワッドの手引きで、オランダ交易商がチャーターした貨車の一つに乗りこんだ。

 リュックに焼き鳥、フランスパン一本。メロン一個と冷えた紅茶で満たしたビンが三本を詰めて、箱の隙間に潜りこんだ。

 彼からは拳銃ももらった。歩哨が点検にくるときに備えての護身用だ。

 しかし拳銃をつかうことはなく、平時なら十六時間かかるところを三日かけて、終着駅レサナ・ガルシア駅に着いた。

 駅改札口をでたところでハーワッドがあらかじめ手配していたブルグネルという黒人の男が、英国領事館まで案内してくれた。

 そのニュースは英国人たちを狂気させ、握手をもとめて、新聞記者が連日押し寄せた。

 しかしチャーチル青年は懲りない。

 ほどなく開始される英国軍側の反攻・レディスミス市救出作戦が始まると、これに従軍し、同市が開放されるまで、一緒に戦った。

 第二次ボーア戦争の終結は一九〇二年五月である。

 当初なめてかかっていた英国軍は、ボーア人国家を併合したものの、甚大な損害を受けた。また正義のない侵略戦争のなかでの焦土作戦、ボーア人収容所で餓死者をだすなど非人道的なふるまいは、国際的な非難を浴びるに至った。

 チャーチルはこの戦争について、

「どんな戦争といえども、容易なものはない一度戦争に身を委ねた政治家は、制御し難い戦いの奴隷になる」

 とコメントした。

.

 レディスミス市救出作戦後、ボーア戦争は消耗戦、ゲリラ戦の段階に移った。

 ――佳境は過ぎた。もう目立たない。

 チャーチルは戦いの最中に帰国する。

 暗い戦争のなかにあって、チャーチルの冒険をつづった記事は、ケープ植民地ばかりではなく英国本国でも話題となり、連日新聞や雑誌に取り上げられ、掲載された顔写真は百枚以上になった。

 また、それまでに彼が得た勲章は、従軍章付インド章、スーダン章、従軍章付エジプト副王スーダン章、従軍章六個付き女王南アフリカ章、加えてスペイン軍の援軍という形での初陣でカリブ海にオブザーバーとして参加したとき、同国政府から贈られたキューバ作戦章だ。

 若き英雄に熱狂は収まらず、講演依頼が相次ぎ、英国、米国、カナダを回って一万ポンドを獲得、父親の投資顧問アーネスト・カッセル卿に依頼して投資した。

 軍人と民間人記者の職権を乱用した目立ち足りやめ、という非難もあるにはあったが、チャーチルは、名声と知名度をバックに、一九〇〇年十月、二十六歳で下院議員選挙に立候補し、ついに当選した。

 ピンチはチャンスとよくいうが、行動手してものにする人は限られる。

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