チャーチル・ノート/007 ボーア戦争2/3
南アフリカ・英領ケープ植民地に集結した英国軍は、オランダ系住民ボーア人が建国したオレンジ自由国、トランスバール共和国に宣戦を布告。
報道特派員となったチャーチルは、英国側後方拠点となるダーバン港から最前線の町・レディスミス市にむかうべく足止めを喰らっていると、インド時代の戦友・ホールデン大尉の厚意で、麾下の中隊が乗った装甲列車に便乗できた。
南半球の四季は北半球とは真逆で夏期は十月から三月となる。総じて温暖だが乾燥している。サバンナの高原を北にむかう列車が走り抜ける。
チーベレイ市をでた列車が、渓谷にある狭長な谷間を抜けようとしたときのことだ。鉄道路線の片側高台をチャーチルが指さした。
「大尉、ボーア人だ。けっこうな数だな」
「畜生、装甲機関車、逃げ切れよ」
待ち伏せしていた敵軍が、擲弾砲をぶっ放した。中には弾丸が入っていて、頭上で炸裂すると、地上の兵士を無差別に殺傷する。機関銃のような効果がある。装甲列車でなければ天井に孔があくところだ。
速度を上げた列車だが、ほどなく、ガツンという衝撃が床からきて、なにかが横転した音がした。
銃撃戦の合間にチャーチルが窓から外をみた。
「やつら、レールに石かなんかを乗せたんだ。機関車はうまく乗り越えたが、次の貨車でひっくり返ったってわけか」
機関車のあとに続く装甲貨車六両のうち、機関車に直接連結されたものと、そのうしろの二両が脱線していた。しかし、機関車と他の貨車四両は無事だった。チャーチルたちは、後ろの方にいたので無事だった。
チャーチルがホールデン大尉に策を述べた。
「脱線した貨車二両に、機関車をぶっつけてレールからどかし、それから機関車と残り四両を連結。戦闘地帯から脱出する」
「判った。機関士にその旨を伝えてきてくれ。俺は部下たちと応戦しつつ、接続部分を切り離し作業にかかる」
銃弾が飛び交うなか、大尉が外に飛びだして作業を開始した。
頭をさげた格好で、チャーチルも貨車の外に飛びだしたのだが、彼は機関車のほうに走っていった。
機関士は後続の貨車二両が横転したときの衝撃で、頭をどこかにぶつけたらしく、血を流していたが軽傷程度だった。
後方で大尉の声がした。
「チャーチル、連結部分を外したぞ」
二十五歳の予備役将校は、機関士に命じて、機関車を装甲貨車にぶっつけた。しかしそれはレールからどかず、逆に危うく機関車そのものが横転しそうになった。
砲弾と銃撃はさらに強くなってきた。
敵は包囲してこちらを殲滅しようとしているのが判る。
チャーチルは装甲貨車のほうに戻って、貨車のほうに戻った。
「ホールデン大尉。駄目だった。……残る策は、生き残った兵士たちを機関車にできるだけ乗っけて死地を抜ける」
「それしかあるまい」
二人は貨車の陰に隠れながら、後部の貨車で身動きがとれなくなくなった負傷兵を回収して、機関車に乗せていった。
よくいわれる話で、英国における貴族というのは、貴族院議場で居眠りをしている名誉職の老人というイメージがあり、そんな養老院など潰してしまえとも叫ばれるものだが、貴族出身者が多い将校たちは、こういう死地にあるとき、平民出の部下たちに身を呈して庇ったものだった。ゆえに貴族制度が現在も存在し得るのだという。
貴族出で大臣経験者の息子だったチャーチルは、予備役将校で、しかも記者だったのだが、いつの間にか現場を実質指揮して、兵士たちと一緒に負傷者を運び込んだ。
流れ弾や野砲の爆風にやられて、回収している兵士たちの何人かも、怪我をした者がいた。
機関車操縦室、石炭車、屋根。乗れる限りのスペースに兵士たちがひしめいていた。
車体がレールを走りだしたのだが、鉄橋を渡ろうとしたとき、再び停止させる。
しかし後方の貨車に、取り残されていた負傷兵と担架で運ぶ兵士たちがいたのだ。チャーチルが線路わきに飛びだした。
部下の兵士のなかでもみくちゃになってされた格好の大尉が人の群れからなんとか顔をだし、声をかけた。
「俺もゆく」
「駄目だ。指揮官がいないと部隊が壊滅する。敵が橋を爆破する前に、機関車をまず向こう岸に進めておいてくれ」
「すまん、チャーチル」
陽気に振る舞って手をあげて駆け出した。それで負傷兵の担架かつぎを手伝いつつ、橋に戻りかけたとき、横合いからでてきた敵兵に銃口をつきつけられた。
彼はこのとき、自分が将校ではなく一介の従軍記者であることを痛感した。
上着のポケットにはチョコレートが数枚のみ。
小銃はおろか拳銃もナイフもない丸腰だったのだ。
こうして二十五歳の青年は生まれて初めて捕虜というものを経験することになる。




