チャーチル・ノート/003 王立士官学校
雇用者家族と使用人との信頼関係を表す例にだされるのが、ウィストン・チャーチルと乳母エベレスト夫人との関係だ。
一八九五年夏、ソールズ・ベリー侯爵を首班とする保守党が選挙に勝ち政権をとった。チャーチル青年は父親の縁故、あるいは母親の色仕掛けか、将来の政界デビューにむけての布石として、大礼服に身を包んだ大臣の就任式に顔をだすことができた。場所はディヴォンシャ公邸。
――この式典で当時外務次官だったジョージ・カーソン(1859-1925年)と出会う。後に男爵となって、上席総督ともいえる官職・インド副王に就任した期間中(1899年 - 1905年)に飢饉に奔走し活躍したが、死者一千万という数の前に、評価を得られなかった。とはいうものの帰国後は本国の議員・大臣にもなり、伯爵に叙せられた。チャーチルは、「夜明けは黄金、真昼は青銅、黄昏は鉛だった。しかしその全てが一応の輝きを放つまで磨かれた」と彼の生涯を総括している。
それはさておき。
同時期、子供の時に実の親以上に世話になった乳母エベレスト夫人が亡くなる。
夫人は、北ロンドンに住む妹の家に厄介になっていた。
まだ年金制度が確立していなかったので、生活に窮乏していた彼女のために、ウィストン・チャーチルは、自分の生活費の一部を裂いて彼女に仕送りしていた。
夫人の家族から危篤の報せを受けたチャーチルが彼女の家を訪れたとき、土砂降りになった。
まもなくベッドに寝かされた夫人は、チャーチルの軍服を触って、
「坊ちゃん、早く服を脱いでストーブで乾かしてくださいまし」
といって、瀕死の自分よりも、青年の服が乾くまで心配していた。
チャーチルは、翌朝、オルダーショットにある駐屯地で閲兵があるので、夜汽車でいったん戻り、それが済むとまた汽車に乗って北ロンドンにゆくといよいよ臨終になっていた。
夫人は、青年がきたことを理解できたが、言葉を交わすことができず、そのまま意識がなくなって永眠した。彼女は、チャーチルの弟・ジャックにも会いたいといっていたのだが、間に合わなかった。
葬儀はチャーチルが費用をだし仕切って、夫人が二十五年通っていたという教会の牧師を呼んで送った。このときは弟ジャックも葬儀に参列できた。また、墓碑を買い、近所の花屋に送金し、命日には花を届けさせた。
――幼少時代から親身に世話をしてくれた夫人との交流は、チャーチルが政治家となった初期において、下層労働者階級に対する年金・保険制度について運動するきっかけになった。
*
夏休み、チャーチル少年は実家に戻って、弟のジャックと遊んだ。――仲がいいというより弟は忠実な家臣として育てられていた。
当時の子供は、体操着がわりに、ポパイみたいな水兵服を着て、芝生の庭でおいかけっこをして遊んだものだが、雨や雪の日は、鉛の兵隊をおもちゃにしてボードゲームを楽しんだ。
子供部屋の床には、陣地を模したボードがあり、軍旗まである砲兵隊、騎兵隊がずらりと並んでいる。その数は兵員千を越え、野砲も二十門近くあった。……これらを駒にして、敵陣地を包囲して、勝負を決めてゆくシュミレーション・ゲームだ。
その数千五百。
お兄ちゃんのチャーチルが、英国軍で歩兵一個師団・騎兵一個旅団。
気の毒な次男坊ジャックは、砲兵隊なしの土民兵部隊を指揮した。
父親の友人ウルフ卿が、チャーチル家邸宅を訪れた際に、布陣をみて感心し、「すばらしい陣形じゃないか!」と褒めていたのだが、
少年は、「輸送部隊が欠けています。これじゃ前線兵士は弾切れか飢えで全滅します」とぼやいた。
ほどなくウルフ卿の〝寄付〟により補給部隊が追加される。
父親は息子と話すことがほとんどなかったのだが、成績の悪さを知っている。大学進学は無理だ。しかしボードゲームで遊ぶ息子をみると、案外、軍人としてのセンスは悪くない気がしてきた。――というわけで、夏休みが終わって早々、チャーチルは、ハロー校にある、陸軍士官学校入学に備えた進学コース・兵学部予科班受験を勧められた。
ここでの受験生たちを悩ませていたのは地理の意地悪問題だ。
「日が没することのない世界帝国」だったイギリスの植民地というのは、グローバルなもので、試験官がこしらえた問題には、そのうちの植民地国をランダムに選んで、詳細を答えさせるというような方式だった。
シルクハットに、目次の頁を書いた紙切れを突っ込んで掻き混ぜ、一枚つまみ出してそこだけ熱心に勉強した。つまりヤマを張ったクジ引きというわけだ。
設問一 ニュージーランド島を描け。
か~んたんだあ。
これでまたしても合格。――チャーチルのハロー校在学四年半のうち三年はこの予科班に在籍した。
*
チャーチルは、ハロー校卒業後、サンドバース士官学校を受験。しかし二度目の受験に失敗。その夏、ハロー校を卒業した少年は、事故に遭って大怪我をした。
親戚が所有する別荘がバーマンズ地方にあり、そこを夏の間、チャーチル一家は先方の厚意で借りてよく過ごしたもので、弟ジャックやいとこと一緒に、近辺の渓谷で戦争ごっこをやっていたところ、敵兵役のいとこの待ち伏せをくらった。負けん気が強く、捕虜になるのを嫌った少年は、橋から飛び降り、腎臓破裂の重傷を負ったのだ。
主治医は、
「ふつう、死にますよ。ただただラッキーだとしかいいようがない」
と家族にコメントした。
療養生活のなかでチャーチルは猛勉強をして、例の士官学校に、三度目の受験をした。この機会を逃すと受験資格がなくなってしまうのだから、チェスでいうところのチェックになったわけだ。
だが、試験会場でだされたテストには、たまたま、何日か前に勉強していた数学の問題があり、見事合格した。――とはいえまたしてもビリでの合格。
成績優秀な生徒は陸軍の主力である歩兵科にゆく。あまり成績がかんばしくない生徒は当時、時代遅れになっていた騎兵科に回されるのだ。
しかし(幸いなことに)チャーチルは、中世のナイトを思わせるロマンチックな騎兵に憧れていた。念願かなった彼は、晴れて、騎兵士官候補生になった。




