チャーチル・ノート/001 ハロー校
子供のころの彼の写真をみると、ぼうっとして、どこか夢見るような容貌だ。
第二次世界大戦で宰相となり、英国を勝利に導くことになる、ウィストン・チャーチルと名付けられた赤ん坊が生まれたのは、オックスフォードに近いところにある、スヌーピーの相棒のような名前の土地・ウッドストックに佇んでいる、ブレンハイム宮殿だ。――この偉人を身籠った母親が、夫にエスコートされて、彼の実家に遊びに来た際、急に産気づいてそこで生み落したのだ。
祖父はアイルランド総督、父親は公爵家の跡取り息子ではないが勲爵士で財務大臣。どういうわけだか母親は貴族の出ではないところのアメリカ人だった。もちろんものすごい美人である。――もっとも、このころから英国貴族は、斜陽化していて、新興国・米国資産家の娘を嫁にもらうことが流行していた。
七歳になると、チャーチル少年は、貴族・上流階級の子弟しか入れない名門の寄宿学校セント・ジェームスに放り込まれるのだが、彼は二年後に退学も同然に、ロンドンの実家に引き戻された。――チャーチルは数学が苦手だった。ラテン語は憎悪しすらした。
「数学はともかく、ラテン語を学校の外で話す奴なんているものか!」といってはばからない。
英国貴族は、よくスポーツをし、学門をした。
騎士の末裔である彼らは、将校となって、戦地に赴けば真っ先に前線を駆け抜ける。部下が敵に包囲されればそこを突破し身を挺して救いにゆく。そういうリーダーになるための教育を受けるのだ。そして海賊バイキングの末裔でもある。鞭でひっぱたかれながら、強靭な精神も養ってゆくのだ。――できが悪かった貴公子は、教師たちに目の仇にされ、実家に逃げ帰ったときはボコボコになっていたため、しばらくは家庭教師から勉強を習った。
さて。
セント・ジェームスで初等教育を受けた貴族子弟は、ハロー校かイートン校かのどちらかで中等教育を受けなければならない。そこからオクスフォードやケンブリッジといった大学に進んでゆくのがエリートだ。――両親が、どちらかを選べというので、少年はハロー校を選んだ。
さて、ハロー校受験の後だ。
ウェルドン校長が校長室に少年を呼んだ。
「チャーチル君、国語と歴史の答案は優れた成績だが、ラテン語と数学の答案は白紙を提出した。なんでそうしたのかね?」
「数学は向き不向きの問題だと思うのですが、ラテン語はこの国じゃつかえませんから」
と、例の持論をもちだした。
「なるほど……合格!」
ラッキーボーイなチャーチルを示すエピソードだ。
まあ、しかし、将来の大英帝国大臣・将軍となるべく要請される、貴族子弟のみが通う名門ハロー校合格のエピソードなのだが、ふつうに考えれば、大貴族出の大臣の息子だから、政治力学の関係で入学できたわけだ。
さて、この寄宿学校は成績順で教室の席次が決まる。
四級第三組。
チャーチル少年は成績最下級のクラスに入った。さらにそこのビリから三番目。学校が始まるとほどなく、ビリの子とビリから二番目の子が、病気理由でほどなく退学。――そしてめでたくチャーチルはビリになったわけだ。
教室での点呼について。
英国でハロー校と双璧をなす貴族子弟のイートン校では、教師が呼ぶと、生徒たちが帽子を挙げて答える。だが、ハロー校では、教師の前を生徒たちが、成績順に行進してゆくという方式をとる。――ビリッカスのチャーチル少年は、父兄の授業参観日になると、いいさらし者になった。他の父兄たちが後で、「ビリッカスはあの子か」とささやいたものだ。
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ハロー校に入学したチャーチルには、何人かから手紙がよくきた。両親、弟、いとこ……。彼がもっとも楽しみにしていたのはさる女性からの手紙だった。
「前略。旦那様や奥様はいろいろおっしゃいますが、それは坊ちゃまを愛しているからですわ。成績がちょっとくらいよくないからって、なんです。貴方様はなんてったって、天才なんですからね。くよくよしないで、私がついてます。エリザベス」
芝生のある校庭。
中庭の木陰にあるベンチに座って飽くことなく、エリザベスと書名された手紙を読み返したものだった。
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十七世紀、臣下に対して慧眼があると定評の国王チャールズ二世をして、初代マーバラ公爵は、良妻サラ・ジェンクスがいなければ、いまごろは田舎暮らしを楽しんでいるだけの貴族にすぎない、と評していたという。――さらに、子孫となると、初代公爵の枠をでなかった。愚かというほどではないのだが凡庸。しかも同家には七代中五人までも鬱病を患っていた。
大臣職を経験した、父親ランドルフ・チャーチル卿は第七代マールバラ公爵の三男坊で、政治家であった彼は家を空けていることが多かった。アメリカの資産家の娘であった母親ジェニーも社交界で忙しく人脈をつくるのに忙しかった。
ウィストン・チャーチルにいる唯一の弟・ジャックはどうか? この人は兄の臣下のように躾けられていた。チャーチルは、ハロー校の劣等生クラスに三年間いて、それから、校内にあった、陸軍士官学校・進学コースに在籍。卒業後、三回受験してようやく受かった士官学校に進学した。
国語教師ロバート・サマベルはチャーチルの作文を添削し、後に彼をノーベル文学賞受賞者になるほどに、鍛え上げた。
彼を合格させた理解者であるウェルドン校長は、後にインド・カルカッタ主教になり、生涯を通じてよき友となった。――しかし、大臣になったチャーチルが、演説に箔をつけようとラテン語を引用しようとすると、乱れた文法と発音を耳にするや、顔をしかめる一人となった。
チャーチルがハロー校に在籍していた時期、父親から手紙をもらうときまって、成績が悪い、という叱責ばかり書いてあった。父親からほど酷くはないが、母親からの手紙も、それに追随した内容だった。
兄弟は父母を思慕したが、子供にとっては、よくない環境だ。しかし、そんな両親に代わって、たっぷりと愛情を注いでくれたのが、エリザベス・アン・エベレスト夫人という下層階級の乳母だった。――もともとクロヴァナ街五十番地に屋敷を構えていたチャーチルの祖母の家政を任され、二十年間勤めて引退してから、ランドルフ卿の家にきて、チャーチルと弟ジャックの乳母になった。この人が、幼少時にあった彼を、チャーチル家特有の病魔から救ってくれたのだ。




