掌編小説/居酒屋ミステリー ノート20141109
定食をだしてくれる居酒屋をみつけ、家内とでかけることにした。居酒屋とはいっても家族連れでくるような店で、昼時はランチもやっている食堂のような店だ。
立冬の日の夕暮れは暗い雲で覆われていて、バイパスがむかう国境の連山の頂から、きらりと光るものがわずかにみえた。
「なんだろう、鉄塔でもあるのかしら?」
「鉄塔のライトの色は赤、あれは黄色だから違う」
「じゃあ、飛行機?」
「ほとんど動いていない」
「じゃあ、なんだろう」
「うむ、なんだろうね」
そういいながら、道路沿いで町はずれにある居酒屋に立ち寄った。
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秋の夜長……いや立冬になったから冬至へカウントダウンになった段階といいかえるべきか、ともかく暮が早い。五時台だというのに空は真っ暗だ。駐車場を降りた。平屋の居酒屋で、「黒毛牛」「各種ご宴会賜ります」「ランチ」「ビール」といった旗がパタパタ北風に煽られていた。暖簾をくぐる。円礫を漆喰で固定した通路は奥にむかって右へクランクしている。クランクの内側が厨房、それを囲んで左側から奥が畳敷きの客室となっている。
「お客さん、いないわね」
「まだ時間が早い。時間が早い。けっこういけてる店らしい」」
「楽しみね」
メニューと水を持ってきたのは、恰幅のいい禿げ頭の老人だった。『ゴルゴ13』にでてくる殺し屋・デューク東郷みたいな藪にらみをしている。
日中、店にくると、何人かの女性店員が忙しそうに動き回っていてこの人はでてこない。たぶん、お爺ちゃんが店主でずっと厨房にいるのだろう。
家内は「とりかつ重定食」、私は「生姜焼き定食」を注文した。
それから、壁をみやると、黒毛牛コロッケなるもののパネルがあって、一個百円と書いてあったので、五個注文した。
「お持ち帰りですね。お勘定のときにお渡ししますよ」
禿げ頭の親爺が伝票にメモして厨房に消えてゆく。
日中、同僚たちとこの店にきたとき、混雑している割に、料理をつくるスピードが早いことに驚かされたものだったが、私たちのほかに客がいないせいか、やたらと長く感じられた。
「私、あと五分待ってこなかったら、ジンジャーエールを注文するわ」
「しかし、それをやったら、飯がまずくなるよ」
「お腹がペコペコなの」
「たく、しょうがない」
そんなことをいっていると、先ほどとは違う店員が膳を運んできた。
AKB48のセンターを張っているような感じの、細腕で色白、長い髪を茶色に染めた娘。不似合いな感じで、ピンクのジンベイ服で前掛けをしていた。
テーブルに置かれた家内の「とりかつ重定食」、私の「生姜焼き定食」のいずれもが盛り付けがよく、皿から溢れ落ちそうな感じだった。
「お客様、熱いですから食べるときは注意なさってくださいね」
「はーい」
空腹限界値に達したという家内が早速箸をつける。
豪快な肉料理は、小さくジュージュー油の煮えたぎった音がしている。
「あ、美味しい。カラリとした揚げ具合が香ばしく口の中で広がって、濃くのあるあるタレがきいている。それでいて肉との調和はすばらしく、まったりして嫌味がない。ほこほことした御飯にもぴったり。……私、こんなお料理、食べたことはないわ」
『美味しんぼ』かよ。
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家内が座っている壁際には飾り棚があって、鷹の剥製が置いてあった。さらに奥の壁には色紙がたてかけてあり、有名なプロレスラーのサインが入った「闘魂」の二文字があった。
店内には、テレビもなければ漫画はおろか新聞さえもない。
食べながら、また、どうでもいい妄想をして楽しんだ。
「あの禿げ、きっと茶髪ちゃんのお爺ちゃんよ」
「茶髪ちゃんは昼間みかけない。高校生かな。夜になるとお爺ちゃんの店を手伝っているんだな、きっと」
「茶髪ちゃん、感心ね」
いまでこそそうはいわれないが、少し前まで茶髪にしている高校生は不良だとされていた。
家内が肉片一つまみを噛み終えてから続けた。
「きっとヤンキーあがりよ」
「ヤンキーちゃんにしてはお爺ちゃん孝行だね」
料理が日中よりも少し遅れたのは、夜七時から八時の混み合う時間帯に備えて、仕込みをしているのだろう。
他の客席はまだ変わらずガラガラ、店員二人は厨房に籠ったきりになった。
「厨房から音がしないわね」
「肉を切っているんだろ。野菜を切るみたいに派手な音はしないだろ」
「案外キスしてたりして」
「歳の差カップル? まさか?」
さすがにそれは飛躍しすぎた妄想だった。
家内と違って猫舌である私は料理を冷ます必要がある。携帯のカメラで料理の写真をとったりして暇を潰し、それから箸をつけた。
「写真はブログ用?」
「そんなところだ」
判り切ったことをきいてくる。
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時計が夜六時時を回ったころ、ようやく家族連れがやってきた。老夫婦に若夫婦、男女の子供が二人で計六人。
厨房から顔をだしたのは、青年で、タオルで手を拭きながら客の案内をしていた。
「あれ、若旦那さんかしら、お料理をしていたみたいね。すると板前さんは、お爺ちゃんじゃなくて、きっとあの人だわ?」
「なぜそういい切れる。お爺ちゃんが板前さんで、若造君は修行中かもしれないし大根の皮を剥いていただけかもしれないじゃないか」
「それもそうね」
「現在、居酒屋には都合三人の店員さんがいる。お爺ちゃんと茶髪ちゃんの前掛けは汚れていなかったが、若造君の前掛けは少し汚れていて、さっきは濡れた手をタオルで拭いていた。この状況から、修行中というより、板前さんで、さらにいえば店主である可能性が高い」
私たちは食事を終え、部屋から通路に張りだした縁台のようなところで靴を履き、勘定しにいった。
厨房からでてきたのは、お爺ちゃんだった。
「はい、毎度!」
動きがいい。口調もはきはきしている。
店主さんはなんでもやるんだなあ、と感心する私。
しかし店をでようとしたとき、若い娘の威勢のいい声がした。
「なにやってんだい、このスットコドッコイ。キャベツの千切りが不ぞろいになってるよ!」
厨房の奥がわずかにみえた。
まな板でキャベツの千切りをしていた若造君をどなっていた、茶髪ちゃんは、油の煮えかえった鍋に網のついた調理具を突っ込んで、手早く揚げ物を皿の上に盛りつけていた。
「え、あの娘、板前さんだったんですか?」
レジを打っていた禿げのお爺ちゃんは、
「ええ、お嬢は板前修行から帰ってきたばかりで、亡くなった先代の跡を就いだんですよ。ド突かれてる兄ちゃんは初弟子ってわけです」
といって笑った。
「すると、貴男は?」
「え、アタシ? こないだ停年しましてね。アルバイトなんですよ」
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黒毛牛コロッケを受け取り、勘定を済ませ、私と家内は駐車場に停めた車に乗った。
フロントガラス越しに、先ほどは厚い雲に隠れていた月がみえた。高い山をシルエットにしている。
「わっ、満月!」家内が素っ頓狂な声をあげた。
「そういえば立冬だったなあ」
「立冬が満月ってなんだかやるじゃん」
「立冬で三日月は?」
「興醒めだわ」
私はエンジンキーを回した。
ノート20141109