散文/立冬の翌朝 ノート20141108
霜月の満月があった日の翌日は土曜日。
午後から曇りだしたものの午前中はよく晴れていた。
朝の八時ごろ、妻を助手席に乗せてとある地方を車で走った。――というのは、仕事場の先輩が、
「例の長い橋を越えてすぐのところ左に曲がるとホームセンターがあるだろ、そこの前を通ってどこまでもゆくとすぐ市場にでる。食堂街があってお勧めだよ」
といったからだ。
いわれた通りにどこまでもゆく。
一キロも走らないうちに「市場」の標識が目についた。
「あなた、そろそろみたいね」
「うん、近そうだなあ」
しかし「市場」はなかった。
道沿いに走る。
二キロ先にまた「市場」の標識。
「今度こそありそうね」
「うん、近そうだなあ」
しかし「市場」はなかった。
五キロ先、十キロ先にも「市場」の標識はあったのだが、そこにもなかった。
二十キロ先になると、もう「市場」の標識はない。
春の終わりは畔を堰き止め水を張った田圃は湖のようになり、散在する集落を小島のように浮き立たせ、水平線すれすれに沈みゆく巨大な太陽のために、シルエットをつくる。水面は、空の青を基調に、紅に染まった細く伸びた雲や、青・紅の二色が混ざってできた紫色が映って極彩色の幻想的風景を織りなしている。
ところが、立冬翌日、週末である本日の朝を走ってみると、連山の奥にある頂き・谷筋に先月末に降った雪が望めるのを風情とするだけで、稲を刈り取って干からびた水田には、二番穂がうっすら生えているほかは、ブタクサとススキばかりが目について、ただ間延びした平原の風景になっているだけだった。
救いといえば、山脈を突き抜けてゆく、単線軌道上をゆく一両編成列車、そして二十両だか三十両だかよくみていないがともかくやたら長い列車が、道路をゆくわが車と併走してゆくのがみえたことだ。
荒涼とした郊外の風景がだんだん賑やかになってきて、高速道路や新幹線の高架橋を抜ける。車はいつの間にか市街地・繁華街に入っていた。
それから運河を抜ける地下トンネルをくぐって、ついにでたのはフェリー港。そこには立ち寄らずに海岸線を南に下った。
左手に白砂青松。
右手に海。
「夏にきたことがあったわね。砂丘にある大学キャンパス、憶えているわ」
「そういえばあったなあ」
砂丘で風車が回っていた
テトラポットで囲まれた小さな海水浴場がある沖に、十隻からなる白いヨットが群れて浮かんでいた。猫の額ほどの砂浜を見下ろす土盛りされた駐車場には二十台ばかりの自家用車があり、ワイシャツにネクタイをつけた男たちが、次々と降りてきて黒スーツを羽織りだしていた。
砂丘の大学のフェンスには、学際を示す横断幕が掲げられていた。スーツの連は関係者なのだろうか。
それにしても暖かな朝だ。
けっきょく「市場」をみつけることができなかった、私と妻は、車を駅ビル前の駐車場に停めて、横にあったファミレスに入り遅い朝食をとった。
ノート20141108