随筆/チャーチルが飼っていた百四歳のオウム ノート20141113
一九二二年、チャーチルはまたも危機に陥った。
ロイド・ジョージ首相が、閣僚ポストを巡って、自由党の身内ばかりをひいきにするものだから、連立していたもう一つの与党・民主党が腹を立て政権から離脱した。所属する自由党が落ち目になった。
このころロイド・ジョージがいくつかスキャンダルを起こしていたこと、チャーチルと不仲になったこと。さらにはまた、第一次世界大戦のときのトルコ・ダーダネル作戦での失敗に対する責任、ロシア革命に対する介入失敗の責任、ついでに南アイルランド独立阻止しなかったことに関する責任を対立陣営に糾弾した。
第一次世界大戦勃発時。アスキス首相時代に海軍大臣の任にあってダーダネル作戦を発動した際は、チャーチルに全権が与えておらず小出しの兵力で失敗した作戦だ。
ロイド・ジョージ首相時代に陸軍大臣兼空軍大臣を経て植民地大臣になった時期である、ロシア革命に対する介入も同じ。介入失敗によって当時のロシアの人口の十分の一以上にはなるだろう二千万人がロシア皇室ともども共産勢力によって虐殺されることになる。
また、戦後のアイルランド問題では、使節団の一人として独立を目指す南アイルランド側との折衝を粘り強くやって、妥協案をだし合意に取り付けた。
しかし、当時のチャーチルの評価は、とんでもないタカ派政治家というものだった。 当時存在していた三つの党、ロイド・ジョージの自由党、こないだまで連立を組んでいた民主党、野党の労働党。三つの党ともチャーチルを嫌っていた。
体調を崩し、病院に担ぎ込まれ手術し、落選の報をきいたチャーチルは雌伏を決め込んだ。逆風はなかなか収まらない。ほどなく行われた異なる選挙区でも二回落選している。
「大戦直後に連立与党で干されたときよりはましだ」
この時期、フィナンシャル・タイムズの社主となるブレンダン・ブラッケンというカナダ人が、側近についた。
さて、近代の貴族たちが所領の他にロンドン郊外に建てる屋敷をカントリーハウスというのだが、所領を持たない貴族の息子チャーチルは代わりに著作からなる莫大な収入をもとに豪奢な生活を楽しんだ。
祖母がくれた遺産を整理して、ロンドンの議場から四十キロのところに土地を買って、当時流行りのアール・デコ様式の豪邸を建てると、多くの動物を飼い、執筆活動に絵画制作。友人を招いての晩餐会を催している。
閑話余談。
たくさん飼い始めたさまざまな種類の動物たちのなかにオウムすなわちコンゴウインコがいた。
二〇〇四年の英紙『ミラー』記事によると、チャーチルは一九三七年に雌のオウムを飼いだした。なぜだか男名である「チャーリー」と付けた。
Fuck Hitler ! Fuck the Nazi !
チャーチルが国葬にされる一九六五年以降、ペットショップ経営者ピーター・オラム氏が購入したが、故人が教え込んだ、「ヒトラーの糞! ナチスの糞!」を連発するものだから、店先にはおけずに自宅で飼ったそうだ。
報道をきいたチャーチルの親族が、「そんなオウムを家じゃ飼っていませんよ」と否定したのだが、その鳥の年齢はほんとうで、なんと二〇〇四年当時で百四歳だったのだとか。
誤報ではあったものの、話としては面白い。