ep11~ep17
~ep11~
「ここで薫ちゃんにいい知らせがあります!何でしょう?」
いつもの女看護師が、普段滅多に見せない満面の笑みを浮かべながら俺に訊ねた。
「えっと、今日の昼飯は本格中華ですよ。とか?」
病院で出される病院食というものはどうも味気が無く、最近俺はひたすら濃い味の物を食べたい衝動に駆られているのだ。
「それは流石に無理ね。ってそうじゃなくて……もっといい事よ。ほら、何かない?」
「それじゃあ、初恋の人が来てくれた。とか?」
俺は先日御門がしてくれた話を思い出していた。
「そうでもなくて。あのね、薫ちゃんの退院が決まったの! これで本当に心臓の病気は完治したのよ」
俺には途中から、彼女の話が耳に入らなかった。そりゃ御門の病気が治るのは嬉しい。だが、退院してしまっては御門との接点がなくなってしまう。このままでは、魂が入れ替わったまま一生を過ごす事になる。
だがそんな事よりも、退院したら二度と御門と会えなくなるのでは。ただそれだけの事が何よりも恐ろしかった。
「じゃあ、明後日には退院出来るから、それまでに荷物をまとめておいてね」
女看護師は、上機嫌に鼻唄を唄いながら去っていった。
「このままあいつと離れるなんて出来ない。こうなったらやる事は一つだ!」
俺はある決意を固め、部屋を飛び出した。
~ep12~
勢いよく扉を開けると、御門はいつも通りの姿勢で本を読んでいた。
「どうしたのですか? そんなに慌てて」
「俺の……いや、御門薫の退院が決まった」
御門の返事はない。だがこの沈黙が、彼女の底知れぬ動揺を物語っていた。
「それで、明後日には退院してしまう。だから……」
相変わらず御門は口を開かない。だが、その瞳からは大粒の涙が溢れ落ちていた。
「おい、御門!?」
御門は俺の袖を掴んで、更に激しく嗚咽を漏らした。一体これは何に対する涙なんだ? 魂が戻らない事か? それともーー
「少し……外に出ないか?」
彼女は袖を掴んだまま、小さく首を縦に振った。
~ep13~
久しぶりに2人で外に出た。空はどんよりと曇っている。湿気で空気が重い。だが、空気が重いのは決して天候のせいだけではない。
こんな状態で自分の想いを伝えるのははばかれるが、そんな事言ってたら一生後悔することになる。俺はこの人生で一番の勇気を振り絞って口を開いた。
「御門、こんな状態で何を言ってるんだって思われそうだが……俺はお前のことが好きだ」
これまで終始顔を俯けていた御門が、驚きの表情で俺を見つめた。微かに頬を染めながら。俺には彼女が喜んでいるようにさえ見えた。
だが、それは思い過ごしだったのかもしれない。明るい顔になったのはほんの一瞬のことで、またすぐに元の鬱蒼とした表情に戻ってしまった。
「でも、見た目は貴方なのよ。そんな私を好きになるなんて」
「俺はお前の内面に、性格に惹かれたんだ! 見た目なんて関係ない!!」
俺たちの間を湿気を含んだねっとりとした風が吹き込んだ。
御門は困ったような泣き笑いを浮かべて、俺から目を反らした。
「でも、苦しいよ。私は貴方ほど強い人間じゃないの」
苦しい。という一言が、俺の心に突き刺さった。そして、俺の想いを押し留めた。
「そうか……ゴメンな」
これ以上御門を見ているのは辛いので……まぁ見た目は俺なのだが。ってそういう事を言っているのではない。
とにかく御門と離れて、俺は自分の病室へと戻った。
「もう、二度と会えないのかな?」
いつの間にか俺の頬を、熱いものが伝っていた。
~ep14~
あれから一度も御門と会うことなく、俺は退院の日を迎えた。
失恋のショックですっかり忘れていたが、相変わらず俺と御門の魂は入れ替わったままだ。
はてさてどうしたものか?そんな事を悩んでいるうちに退院の時間を迎えてしまった。
お世話になった看護師たちにお礼と別れを告げ、荷物もまとめ終わり、もうここにいる意味がなくなってしまった。
やっぱり最後は彼女に会うべきだろうか?だが、それで彼女をまた苦しませるかもしれない。それだけは絶対に嫌だ。
「……じゃあな、御門」
結局会わない事に決め、全ての荷物を背負って病室の扉へ手を掛けた。
だが、ドアノブに手を触れた瞬間、向こう側から扉が開かれた。
俺はあまりの衝撃に目を見張った。
「良かった、間に合って」
そこには、御門が息を切らしながら立っていた。
~ep15~
御門は胸に手を当てながら口火を切った。
「この前……私に告白してくれた時、たとえ身体が違っても好きだって言ってくれた時、本当はとても嬉しかった」
「えっ!?」
俺は彼女の意外な一言に、思わず耳を疑った。
「でもね、苦しいっていうのも本当。貴方は慣れたかもしれないけど、私は未だに自分でない身体で生きるっていうことにぎこちなさを感じているの。ましてそんな状態で恋に落ちてしまうなんて」
気が付いたら俺は、彼女を自分の胸に抱き寄せていた。
「俺だって、お前が思っている程強くない。人の身体に乗り移った状態になんて慣れっこない。だけど、好きになっちまったもんは仕方ねぇだろ」
御門は俺の背に腕を回して、胸の中で声を上げて泣いた。
俺は何も言わずに彼女の頭を撫でた。
「私たち、もう二度と元の身体に戻れないのかな?」
彼女が胸の中で小さく呟いた。
「やっぱり、そうなのかな?」
最近俺は、もうこの不可解な状態から抜け出せないのではと思うようになっていた。どうやら彼女も同じだったようだ。
「ねぇ」
「何だ?」
いつの間にか俺の胸から顔を上げ、真摯な眼差しで真っ直ぐに俺の瞳を覗き込んでいた。
「……死のう?」
普通の精神状態だったなら、とても彼女の提案を鵜呑みにしようとは思わなかっただろう。
だが、今の俺は普通ではなかった。とても弱っていた。そんな精神状態が一瞬、だが一生に関わる判断を誤った。
「……わかった。死ぬか、一緒に」
~ep16~
俺達は一度死にかけた。それでも何とか、生死の狭間から脱け出してきた。
だが、俺達は戻るべき場所を間違えた。違う肉体へと入り込んでしまったのだ。そんな俺達が戻るべき場所は、死しか残されていなかった。手術後目覚めたあの日から、俺達の魂はずっと彷徨ったままだったのだ。
だから、これから俺達は16年の短い生涯に幕を下ろす。
「はい、私が普段服用していた睡眠薬よ。これだけ飲めば死ねると思う」
「そうか……」
「うん……」
正直言って、俺には未だに死ぬという実感がなかった。ただ事故の時消えるはずだったこの魂に自らの手で決着をつける、その程度にしか思わなかった。
二人でベッドに腰掛け、俺達は一気に睡眠薬を飲み干した。
御門が俺の手を強く握った。
「手、最期まで握ってていい?」
俺は答える代わりに、御門の手を強く握り返した。
~ep17~
俺達は手を握り合ったまま、一言も口をきかなかった。おそらく御門は、この16年の短い生涯を振り返っているのだろう。虚空を見つめたまま、一生分全て出し切るかのように大量の涙を流していた。
俺も、今までの人生を振り返っていた。父さん、母さん。同じサッカーチームの仲間や監督、幼稚園から高校までの数え切れない友達。思えば俺は、何て多くの人と関わってきただろう?彼らとの無数の思い出の数々を思い起こすと、俺の目からも自然と涙が溢れ出してきた。
だが、その皆とももうお別れだ。もう薬から来る眠気は、抗しがたいほどのものになっていた。
「私、もう駄目みたい」
御門が眠たそうに目を細めながら、静かに微笑んだ。
「俺もだ」
2人ともほぼ同時くらいに、ベッドへと倒れ込んだ。右手に感じる暖かな感触が消えると同時に、俺の意識も闇に引き込まれた。
不意に暗闇に光が射し込んだ。だが俺には、何一つ感ずるものがなかった。これが、魂というものなのだろうか?
光は徐々に広がってゆき、ある景色をかたどってゆく。
気がついた時にはどこにでもある、だがどこか懐かしい公園が映し出されていた。公園の中では、数人の小さな子供たちがボールを蹴って遊んでいた。
しばらく見つめていたが、やがて俺は、飛び抜けて足の速い1人の少年へと釘付けになった。
「あれって、俺!? 何でこんな小さな頃の俺が?」
やがてボールが公園の外へと転がってゆき、小さい頃の俺がそれを追って行った。
「あれは……まさか!?」
公園の外で本を脇に抱えてボールを拾った少女。一目でわかった。彼女は幼い頃の御門だ。
俺達は昔、一度出会っていたのだ!
「もしかしてあいつの初恋って……」
確かに彼女は言っていた。初恋の人はサッカーをしていたと。ボールを手渡して、幼き御門が去ってゆく。俺はとにかく必死に彼女へと手を伸ばそうとした。
だが、俺が御門に近付こうとすればするほど見えない力に後ろから引っ張られ、俺の視界には再び闇が広がり始めた。
「御門! 俺は、もう一度お前に会いたい! ……生きたいっ!!」
だが俺の想いも虚しく、俺の全ては闇に引き込まれたーー