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第4話 誕生日会


 地上45階のレストランに到着すると、咲耶の顔を見た支配人が深々とお辞儀をし、フロアの奥にある個室へと案内してくれた。


「こちらへどうぞ」


 扉が開いた瞬間、談笑する両親と咲希の姿が目に入る。

 咲耶の姿を確認した父親の知花純也ちばなすみやは、その端正な顔に笑みを浮かべながら手を挙げた。


「咲耶、遅かったじゃないか」

「本当に。もう待ちくたびれたわよ」


 本日の主役である母親の美百合みゆりが、口を少し膨らませ怒っているように見せるが、すぐに満面の笑みに変わって咲耶を招き入れる。


「ごめんなさい。ちょっと電話が入ったもので……」


 そう言いながらちらっと咲希に目をやり、美百合と対面するように席に着いた。もうとっくに咲希が永瀬のことを喋っているだろうと、この場に足を踏み入れた瞬間から憂鬱気分に陥っていた。

 しかし両親の様子を見る限り、まだ何も知らされていないようで、ほっと胸を撫で下ろした。知らされるも何も、永瀬とは本当に何の関係もないのだが。


 喉の咲耶は、目の前のミネラルウォーターが入ったグラスに手を伸ばし、口をつける。

 その様子を黙って見つめていた純也が思い出したように言った。


「ところで咲耶、今お前は永瀬くんの下で仕事をしているらしいな」

「ごほっ!」


 それは今最も話題に出されたくない人物の名前だ。咲耶は吹き出しそうになる水をゆっくりと喉の奥に送りながら、ごほごほと咳を繰り返した。隣から感じる好奇な視線には気付かないふりをして。


「なんだ、聞いちゃまずかったのか?」


 純也が不思議そうに尋ねると、よくぞチャンスをくれました! とばかりに、咲希が得意気に話を切り出し始める。


「それが違うのよ。あのね、さっき咲希に電話してきた人って言うのが……」

「あ、あーーっ!」


 咲耶は慌てて咲希の言葉に被せるように叫んだ。今ここで永瀬の名前を出されては困る。これまで恋人と呼べる人はおろか、男友達の名前さえ咲耶の口から出たことはない。

 最も、男友達なんて呼べるほど親しくした人間はいなかったし、咲希の男友達と時々その場に居合わせて会話するだけだった。

 社交的な咲希と違い、今振り返っても咲耶は、本当に男っ気のない学生生活だったと言える。


「ムキになるところがやっぱり怪しいんだけど」


 ニヤリと微笑む咲希は、明らかに咲耶の反応を楽しんでいる。


「む、ムキになんてなってないでしょ! 咲希が変なこと言おうとするから!」

「何でもないなら、無視しておけばいいじゃない?」

「あのね、そういうことじゃ……」ないでしょ、と続けるより先に、純也が二人の会話に割って入った。


「いい加減にしないか、二人とも。場所柄を弁えなさい」


 純也の視線の先にいる支配人がちょうど全てのグラスにワインを注ぎ終わり、口元を僅かに緩ませたのが見えた。

 羞恥心でいっぱいになり、自然と目線が下がる。


「まぁ、私もその手の話には興味がある。詳しくは後でゆっくり聞こうじゃないか」

「えっ」


 勢いよく顔を上げると、咲耶を見つめる純也がふっと口角を上げた。それは完全に悪戯っ子の顔だ。

 似たような表情をして自分を見ている人物が隣にもいる。こういう茶目っ気たっぷりの純也の血を、確実に咲希は受け継いでいる。


「これまで咲耶には浮いた話の一つもなかっただろう? あまり男に興味があるようでもなかったしな。いい歳をして、いつまでも独り身でいるつもりなんじゃないかと美百合と本気で心配していたところなんだ」

「別に、興味がないわけじゃ……」


 わざと恋愛を避けて生きてきたわけではない。ただ縁がなかっただけなのだ。高校までは女子校で、大学こそ共学だったものの、まともに男の人の目を見て話せるようになったのは4年の夏頃だった。しかし、結局男の人との距離をどう保てばよいのか分からないまま、卒業してしまった。

 大学在学中には何度か告白されたこともある。その度に「試しに付き合ってみなよ」と友達に言われたりもした。けれど、一旦受け入れてしまえば、自分が自分でなくなるような気がして怖くなった。

 男の人と付き合うことがどういうものかは、友人の話を聞かされていたので、恋愛経験のない咲耶でもある程度は知っていた。


「咲耶は生真面目すぎるんだってば。せっかく親からもらった美貌も、宝の持ち腐れ!」


 そう言う咲希は大学の新歓でちゃっかり2歳年上の彼氏を作り、4年経った今でも交際は順調らしい。彼は有名な外資系企業に就職し、残業や休日出勤も多く多忙を極めているが、なかなか会えない分デートの日は思いっきり咲希を甘やかしてくれるらしく、今のところ二人の間に大きな喧嘩もない。

 もちろん、両親も既に彼には対面済みだ。

 最近ではデートをする度に彼の方から結婚を仄めかす発言をするようで、周囲の人間はそう遠くない未来に二人は結婚するものだと思っている。


「あ、なんなら私が誰か紹介しようか?」


 咲希の顔がぱぁっと明るくなり、またあの居心地の悪い視線が自分に向けられる。


「やめなさい、咲希。咲耶にだって、もう相手がいるかもしれないじゃないか。なぁ? 咲耶?」


 そこへ父親も加わると、咲耶は今すぐこの場所から消えてしまいたいと思った。

 これまでこの手の話を追求されたことがないからこそ、どうかわせばよいのか分からない。


「やっぱりさっきの永瀬さんって人、彼氏なんじゃないの~?」

「そうなのか? だったら一度家に連れてきなさい。彼の手腕は私の耳にも届いている。一度ゆっくり話をしてみたいと思っていたんだ」


 二人からの質問攻めに、眩暈さえ覚える。今どんなに否定したところで、永瀬とは何もないのだと、この二人に信じてもらえそうもない。

 救いを求めるように見た正面の母もまた、このやり取りを楽しんでいる一人だと知った。


「早く会ってみたいものね、その永瀬さんって方に。咲耶に恋人を紹介される日がくるなんて、夢のようだわ。最高のお誕生日プレゼントをもらった気分!」


 美百合は咲耶と目が合った瞬間、ウィンクしながらそう言ったのだ。


「……もう、好きにして」


 今ここに私の味方は誰もいない。そうさとり、咲耶はガクッと頭を垂れた。


「さぁ、もう一度乾杯しよう。美百合の誕生日と、咲耶の幸せを願って」


 グラスを持つようにと目で促す父に、最後の一言は余計だ、という突っ込みをする気力はもはやない。咲耶は恨めしそうに父を見つめると、力なくグラスを持ち上げた。


「乾杯!」


 コチンというグラスの軽やかな音と三人の笑い声が辺りに響き渡る中、咲耶の周りだけどんよりとした重苦しい空気が漂っていた。

 きっと今日は、宴が終わるまで永瀬とのことをつつかれるだろう。真実はどうあれ、これまで男っ気のなかった自分に突如浮かび上がった社内恋愛説。それも相手は、企業のトップである父の耳にも噂が届くほどのエリート上司だ。

 娘の幸せを心から願い、将来を心配してくれているのは有難いが……。

 そう思った時、咲耶の脳裏に数時間前の永瀬の言葉が蘇った。


『俺に気に入られなければ、お前の未来はないと思え』


 今思えば、これは一種のパワハラではないのか……?

 こんな台詞せりふを平気で口にするような男なんて、冗談じゃない。いくら仕事ができても、顔が良くても、絶対にお断りっ!


 咲耶はぶるっと身震いすると、一気にグラスのワインを飲み干した。



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