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不思議なことはそれだけじゃない。
確かに楓歌の風采は、全く見紛うこと無く昼休みに会った女生徒そのものだった。
依然とこの上なく美しいのだが、しかし、今の彼女には、その麗しさを主張する雰囲気やオーラというものが完全に欠落していた。
昼休みには強い存在感があったと言うか、神妙な霊気に満ちた密度の濃い空気を周囲に纏っていたのだが、今はこの狭い教室の中でさえ喧騒に隠れてしまうほど、楓歌の存在は希薄に見えた。
楓歌がさっきの美少女と同一人物であるということを簡単には納得できないが、外見が完全に一致している以上、認めざるを得ない。
授業が全て終了し、担任の適当極まりないホームルームがお開きになると、ラブレターを返すべく、京志郎は黒咲楓歌への接触を試みた。
楓歌は京志郎が話しかける前に足早に教室を出て行ってしまったが、鞄を置いたままだったので、教室に戻って来るのを待っていると、
「お、やっと戻って来た」
「……っ!」
カラスが合唱を始める頃、京志郎一人だけになった教室に楓歌が戻って来た。
京志郎の存在を確認するなり面食らったように後ずさりをし、目を合わせないようにして恐る恐る教室へと入る。どこか京志郎を怯えている様にも取れる。
手紙のことがあったので気恥ずかしいが、放っておいたらそのまま帰ってしまいそうだったのでこちらから声を掛ける。
「あのさ、黒咲」
ビクゥッ、と楓歌の身体が跳ね、黙ったまま怖々と振り返る。
(待て待て、俺そんなに大声出してないぞ?)
楓歌の顔は無表情に近かったが、警戒心を抱いているのは態度からなんとなく察しがついた。
「いや、あのー、なんて言うか……そんな大した用じゃなんだけど、」
ここに来て急に照れ出し、要件を中々言い出せない京志郎。まだ自分宛とも決まったわけではないが、なにしろラブレターなど、貰うどころか、見るのも初めてだったのだ。
「ええと……これ。返すわ」
ぎこちなく京志郎が机の中から例の封筒を取り出して見せると、楓歌の大きな目が驚いたように更に大きく見開かれる。反応したということは、やはり同一人物で間違いないらしい。
しかし楓歌は、礼を言うでもなく、封筒を奪い返すでもなく、ただその場で黙って京志郎を凝視するだけだった。
「あー、えー……キレイな封筒だったし、廊下の肥やしにするのはあんまりだと思って拾っちまった。誰かの足跡なんか付いたら目も当てられないしな。迷惑だったらスマン。あ、でも中身は見てない。絶対に。宛名も書いてなかったし、持ち主に返した方がいいと思ったんだけど」
上滑りする舌が早口に捲し立ててしまう。
楓歌は驚きながらも、やや怪訝そうな顔をする。まるで「なに言ってるんだコイツ」とでも言いたげな視線だった。どうして自分がそんな顔をされねばならないのだろうか。
「……これ、お前んだよな?」
楓歌の態度に違和感を覚えて尋ねるが、楓歌は問いには答えなかった。代わりに、京志郎にこう問いかける。
「中身、見てないの……?」
初めて聞いたその声は、少し高い、透き通った綺麗な音色だった。
小さく細い声だったが、シャープさの中に若干のあどけなさを有する声色はまるで風鈴のようで、不思議と耳触りが良かった。
「え、あ、あぁ。見てねぇよ。誓って」
「どうして……?」
「どうしてって、落とし物の中身を勝手に覗くほど、俺が無法者に見えるか?」
「落とし物……?落としたの?私が?」
「? あぁ。昼休みに会った時にな。それで俺が拾った」
落としたこと気が付いてなかったのだろうか。
「まぁ、取りあえず返すよ」
「あ……うん……」
京志郎が歩み寄って封筒を差し出すと、楓歌は何故か一瞬困ったような顔をしてから、おずおずと受け取った。
楓歌の反応は意味深だったが、封筒を受け取るということは、やはり京志郎への手紙ではなかったわけだ。残念じゃないと言えばウソになるが、
(俺は月嶋が好きだし、俺宛じゃなくて良かったぜ)
などと自惚れたことを考えながら、鞄を担ぐ。
楓歌は手紙を見つめ、真剣に考えごとをしている様子だったので、
「じゃあな」と軽く別れを告げて、口にはしなかったが、次はちゃんと渡すべき相手に届くといいな、と封筒の行く末を案じつつ、教室を後にする。
グイッ 「うわっ」
鞄が何かに引っかかり、後ろに少しバランスを崩す。見ると、楓歌が京志郎の鞄を掴んでいた。
「……なにすんだよ」
「待って……」
楓歌は京志郎の鞄を握り締め、物凄い無表情でぼそぼそと続ける。
「私、お昼休みに久遠くんと会ったんだよね……?」
(お、名前覚えててくれたのか。……じゃなくて、なに言ってんだ?会ったに決まってんだろ。バッチリ目が合ってなんか気まずかっただろ)
さっきからどうにも会話に食い違いみたいなものを感じる。
戸惑いながらも京志郎が肯くと、
「わ、私、変なこと言ってなかった……?」
変なことは言ってなかったが、めちゃくちゃ怪しかったのは事実だ。勿論、そんなことは口走らないが。
というより、今のその発言が十分に変だとは思わないのだろうか。
「別に?」
「そ、そう……」
適当な返答にも、楓歌は安堵の溜息を吐いて胸を撫で下ろす。
そして、今度は少し真剣な表情を浮かべ、
「久遠くん……お願いがあるの……」
(今度は何だ?)
「一緒に来て……」
と楓歌は、友人にローンの連帯保証人を依頼するが如き形相で言う。
今から家に帰っても用事があるわけでもなし、暇といえば暇なので付いていくことに否やはないが……(俺を伴って一体どこへ?)
逡巡による沈黙を、楓歌は都合よく肯定と受け取ったのか、返事を待たずに教室を出て行く。
京志郎は、その長く麗しい黒髪に誘われるように楓歌の後を追った。
◆
学校のどこかに連れて行かれるのかと思いきや、楓歌は普通に学校を出て、帰宅する生徒のような振る舞いを見せていた。
南の繁華街に行くでもなく、学校の西側へ住宅街を進んでいく。
京志郎の家はどんどん遠くなっていった。
「おいおい、一体どこへ行くんだよ」
楓歌は何の説明もせずにすたすたと歩を進める。
幾ら待っても居場所を教えてくれそうもなかったので、堪らずそう問うと、楓歌は前を向いたまま短く小さく答えた。