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「ダメダメやな~京志郎。こ~んなステキイベントがわざわざ棚から転がってきてくれたっちゅうのに」
いつの間にか逢阪が後ろで腕を組み、やれやれといった表情で立っていた。
「あ、オーサカくん!おはよー!」
「おはようさん、月嶋。って、オレの名前はアイサカやって言うてるやろ」
「えぇーいいじゃん?関西弁なんだし」
想依は「えへへ」とはにかみながら笑顔を見せる。
(あぁ~いつもの朗らか女神スマイルもいいけど、こういういたずらっ子みたいな笑顔もめっちゃかわいい)
この顔を見ただけで京志郎の魂は強振動をし始める。
「それ理由になってへんで。それよりそろそろ退いたってくれへんか?」
「へ?」
逢阪は、失敗続きで副店長に叱咤されまくっている新人アルバイトを見る店長の様な目で、
「ウチの相方、そろそろ限界みたいやわ」
白目を剥きながら微笑を浮かべ、何かを訴えようとしているが声にならず、死にかけの金魚のように口をパクパクさせている京志郎を一瞥する。
「ああぁ!ごっめん久遠くん!」
逢阪が意図するところに気付き、想依はぱっと飛び退く。胴を覆っていた温もりが霧散し、押し寄せる名残惜しさの寒波に京志郎は叩き起こされた。
「あたし、そんなに重かった……?」
「い、いやいやいや!重いだなんて、全然っ!」
「そっかぁ、良かったー。あたし、軽い女目指してますから!!」
大声でなにを宣言してるんだこの娘は。(全く、かわいいなぁ)
「いやーただでさえこんな名前だからねぇ、体重には敏感なんですよー」
「そ、そうか?『想依』って、俺はかゎっ……良い名前だと思うぞ?」
「えへへ。そんな嬉しいこと言ってくれちゃってぇ。でも、お世辞でもうれしいな」
想依は照れ笑いをして(かわいい)、京志郎の胸をツンツンする。
「いや、俺は本心で……」
「もぉーなにぃ?おだてても何もでないぞー?」
想依は困ったように眉をハの字にして、身体をくねらせる。そして、ポケットから何かを取り出して、
「はい、あげる!」
手渡されたのはチョコレートだった。(……何も出ないこと、ねぇじゃん!)
「ありがと。じゃあまたねー!久遠くん!」
最後にもう一度天使のような微笑みを見せて、桜の元へ掛けて行った。
「はは……、やった、やったぞ……」
(月嶋が嬉しいって言った!月嶋がありがとうって言った!月嶋がチョコレートくれた!なんて日だ……ッ!俺史上最高の一日だ!こんなに嬉しいことはない……ッ!)
「……おーい、京志郎はーん」
「うぉっい!……ってなんだ、逢阪かよ」
「なんやねん、そのイヤそうな顔は……。ていうか、そんなに握り込んだら、せっかくもらったチョコとけてまうで?」
(うるさい。人がせっかく月嶋との無上のひと時の余韻に浸っている時に、余計なこと言ってむざむざと記憶を上書きするんじゃねぇ)
「しっかし、相変わらずの魔性っぷりやな~月嶋は。あれを天然でやってるんやから、大したもんやで」
「黙れ殴るぞ。あんないい子を捕まえて魔性呼ばわりするたぁ、どういう了見だ」
「あーあ、アカンわ。完全に魔の手に落ちてる。しっかし、京志郎ももうちょっと上手く会話できんもんかいな?」
「はァ?何言ってんだ、今回は結構ちゃんと喋れてただろ?」
「途中、気ぃ失ってたくせに?」
痛い所を突いてくる。
いや、あれは月嶋がすっげぇいい匂いさせるから、それで頭がボーっとしちまったんだよ。と思ったが、如何にも変態っぽい発言だったので言葉にはしなかった。
――月嶋想依。京志郎や逢阪と同じ中学校の出身で、隣の1年8組に所属している。
身長はやや低いものの運動神経は抜群で、女子バレーボール部期待の1年生。
誰に対しても裏表なく接し、その快活な性格から交友関係も広い。
時たま常人では理解し得ない言動をし、他を混乱に陥れることがある。
が、それもまた皆から気に入られる要因になっているようだ。
京志郎がどうして想依のことを好きになったのかは、京志郎自身、よく覚えていなかった。だが、意識し始めたのは中学2年の頃だったと記憶している。あの明るくて、朗らかで、屈託無く、快活で、元気いっぱいな想依を見ていると自然と心が安らいで、無意識に目線で彼女を追っているうちに、気が付いたら好きになっていた、とかそんなことだろうと思っていた。
理由なんてのはどうだって良かった。京志郎は想依が好きなのだ。想依の笑顔を見ることが、何よりも幸せなことなのだ。
付き合いたいとは……思わなくはないが、正直そのあたりはよく分からなかった。一緒に居られたら嬉しいけれど、それ以上のナニかがしたいとは、今のところは思わなかった。
「でも、良かったやん?食べ物をシェアするんは、相手に好意がある証拠らしいし」と、逢阪は言う。
「そうなのか?」
しかし、京志郎自身には全く実感が無い。というのも、想依は男女に関わらず友達には大体あんな感じの接し方なので、自分だけが特別好意を持たれているとも思えなかった。
京志郎がそう言うと、逢阪は手帳にペンを走らせながら、ニヤリと不適に笑み、
「なら、間違いない。やっぱりこれは、昨日行った神社のご利益なんや!」
……なるほど、そう来たか。
そう言われると、京志郎もなんとなく、あの長い階段を上った甲斐があったような気になれた。
◆
昼食後、逢阪は残りの昼休み時間を使って取材をすると言って、どこぞへ行ってしまった。
さてどうやって時間を潰そうか。と考えるまでもなく、京志郎の足先は玄関の方へと向いていた。
教室に戻って級友と親睦を深めると言うもの魅力的だが、それよりも今は、静かな場所でさっきの想依とのやり取りを存分に思い出しつつ、彼女がくれたチョコを10分くらいかけてじっくり味わいたい気分だ。
中庭に出れば喧騒からも解き放たれるだろうと考え、京志郎は下駄箱を目指す。
「あれ……?」
つもりだったが、京志郎は昇降口でひたと足を止めた。
――そこには一人の女生徒が立っていた。
腰まである長い黒髪のストレートヘアーは黒い絹のように麗しく、差し込む日の光に淡く煌めいている。
水平に切り揃えられた前髪、やたらと端整な目鼻立ちの横顔と、初雪よりも透き通った真っ白な肌。
化粧もしていないのに睫毛は実に細く長く、その下の綺麗な二重瞼に縁取られた大きな瞳は、まるで大粒の真珠のようだ。
細くすべすべとした腕は銀器のように美しく、ロングスカートに隠れた脚は日本人離れした長さだった。
彼女はその容貌のみならず、周囲に形容しがたいオーラを纏っていた。凛とした、というのだろうか。静かで、心地よい涼しさを持っており、見るものの視線を集約する引力がある。
その引力に京志郎は思わず目を奪われた。
絶世の美人が、そこにいた。
絵にも描けない、とはまさにこのことか。どんなに優れた画家であっても、彼女の美しさを筆で表すことは不可能だ。写真に収めれば、それだけで一枚の絵画になりそうだが、彼女の麗しさの前では如何な写真家でもカメラを手放し、己の水晶体を震わせることに専念するだろう。
彼女は俗世と一線を画すように、青白い光を纏って周囲の空間から浮き出ていた。
見とれる、という現象を体感したのは初めてだと思う。
――ただ離れて見とれているだけなら、まだ良かった。問題だったのは、京志郎の存在がその女生徒に気が付かれたこと、そして彼女の取っていた行動にあった。