7-4
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「謎だらけだぜ……」
味気のない低い天井を見上げ、京志郎は独り言つ。
無論、反芻しているのは桜と九条のことである。
失意の様相を呈した桜とそれを案ずる九条は、1度目に観覧車から降りて来た時には、九条は興奮へ、桜は困惑へとその表情を変化させており、かと思うとまたすぐにゴンドラに引き換えし、2度目に降りて来た時には、二人とも救われたような笑顔で和気あいあいとしていた。
この鉄の箱は、人の心を繋げるマジックボックスだとでも言うのか。
あるいは、恋火の手紙のように、両者の想いを無理矢理にリンクさせてしまう超自然的な力でも働いているのだろうか。
そんなことを大真面目に考えてしまうほどに、目の前で起きた出来事は不可思議極まりないものだった。
結果から言えば、当然ながらゴンドラ内には変わった仕掛けも細工もなく、幼い頃に乗った時の記憶にあるものと何ら変わりはなかった。
(ま、そりゃそうか)
内部は主だった装飾もなく、かと言って鉄パイプがむき出しというわけでもないが、景色を楽しむという本義を阻害しない程度にはシンプルな塗装が施されているのみだった。
誰の目にも止まることを想定してないのだから当たり前と言える。
現に、同乗者は空中からの視点を存分に満喫しているようで、淡い紫の空の下に灯る街の明かりに目を奪われていた。
「きれい……」
楓歌は目を輝かせ、感嘆する。楓歌にしては分かり易い喜悦だった。
「楽しそうだな」
何の気無しに言うと、楓歌は座を正し、やや恥じらうように頬を赤らめた。
「そう……見える……?」
「おう、見えるよ。犬が尻尾を振ってるみたいだ」
なんと失礼かつ的を射ない例えだろう。
それに犬が尻尾を振るのは『楽しいとき』というより『嬉しいとき』だと楓歌は思ったが、しかし逆に、その認識に当てはめるなら、京志郎の直感はある意味正しいのかもしれない。
「私、観覧車乗るの、初めてだから……」
少し迷ったが、楓歌はそう打ち明ける。
「へぇ、珍しいな。あ、だからあんなにまじまじと見つめてたのか」
楓歌は肩をすぼめ、また一つ赤くなった。
幸せそうな九条たちを見てこれ以上の関与は必要ないと判断し、二人を陰から見送った後、同じく帰途につこうかという時に、楓歌がやけに興味あり気に鉄の大円を見上げていたことに気が付いたのだ。
「ずっと乗ってみたかったんだけど、機会が無くて……」
「ふーむ。でも、友達とかで遊びに行った時とかにでも乗ろうって言えば良かったんじゃないか?別に観覧車なんて、こういうテーマパークだけにあるもんでもなくなったし」
友達同士でわざわざ観覧車に乗ろうとするグループも稀有だろうが、そんな常識的感覚の議論が問題にならない程、今の発言がいかに軽率だったかを、直後に京志郎は思い知らされた。
「私……友達、いないから……」
その言葉は自嘲でも自虐でも自慢でも自戒でもなく、ただ一つの純然たる事実を述べるかのように。
それでも、秘めきれない悲哀が微笑みの裏に見え隠れしているように思えて、京志郎は返答に詰まる。
言葉を返せないのは、思い当たる節があるからだ。
楓歌が、自分や恋火以外の存在と話しているのを、京志郎は見たことが無かった。
クラスでの楓歌の存在感が薄いのは、単に楓歌が大人しいということだけが原因ではない。
人と繋がることによるコミュニティ内の自分の座標定義が、楓歌にはなされていないのだ。
「……ごめん。……変なこと言って」
「いや、別に……」
何でも良いから、否定の言葉を言うべきだったと後悔した。
「でも、良かった、かも……」
「何が?」
京志郎がほぼ条件反射的に聞き返すと、楓歌はビクッと肩を震わせた。
楓歌にすれば今のは独り言、いや本当は口にはせずに胸の内で噛み締めたかった思いだったのだが、うっかり溢れ出てしまった。
答えるべきか否か迷ってしばらくあわあわとしていたが、他意の無い、いやそれどころか、特別な感情が何一つ無いまっさらな視線が憎らしくて、つい楓歌は答えてしまった。
「お陰で、こうやって久遠くんと、一緒に観覧車、出来たから……良かった、かも……」
――これには、流石の京志郎も心をざわつかされた。
言葉だけならまだしも、どうしてそんな態度を取る。
両手は胸の前でそわそわと落ち着きが無く。
俯き加減の顔は耳まで赤く。
長い睫毛は、期待と不安を織り交ぜて上目遣いにこちらの答えを待っている。
それでいて根底にある喜色は失われず、あくまでベースは笑顔だった。
何の意思表示なのだ。
どんな感情表現なのだ。
駆け巡る憶測が、勘違いと思い込みの領域に踏み出したがるのを必死に抑えて平常心を保つ。
その気が有ろうと無かろうと、楓歌はやはり美人なのだ。
彼女に思わせぶりな態度を取られ、素通りするというのは無理な話だった。
「そ、そりゃあ良かったな!今日は今まで見れなかった分、存分にこの景色を楽しもうぜ!」
「そう、だね……。うん。ありがとう、久遠くん」
そう言って、今度は普通に微笑む。
どこか残念そうな風に見えなくもないが、深く考えることは放棄した。
「ま、黒咲が乗りたいって言うならさ、俺だったらいつでも付き合うぜ?」
「ほ、ホント?」
「ただし、暇だったな」
「じゃあ……明日……」
「スパン短っ!そんなに気に入ったのかよ」
「5つ星、進呈……」
「それは結構だけどよ、明日は学校だろ」
「じゃあ、明後日」
「5月はゴールデンウィーク以外の休みは無いの。明後日も普通に平日だ」
「じゃあ、明々後日」
「なに?お前は俺が毎日暇を持て余してるって言いたいのか?」
「え、えっと、それはその……」
「だから図星の時に困るのやめろって!余計傷つくから!」
「私は、久遠くんの暇に感謝してるよ……?」
「やめろぉ!俺が暇なのを断定するな!ありがたがるな!」
そんな会話は、ゴンドラが円を描き終えるまで続いた。
物憂げな楓歌よりも、意味深な楓歌よりも、楽しそうな楓歌を見ている方がずっと良いと心底感じた。
◆
「ところで、ずっと気にはなってたんだけどさ、」
帰り道すがら、緩やかな坂道を自転車を転がしつつ、京志郎は後ろの楓歌に問う。
「桜の願いって九条さんを元気にしてほしいってもんだったろ?それって恋愛の願いとは違うもんだと思うんだけど、それでも叶えることで恋火さんの力として還ってくるものなのか?」
作戦の意義を問うているような状況ではなかったため、後回しにしていたものの、やはり気になるところではある。
京志郎が初めに逢阪から聞いた話では磐蔵神社は恋愛成就の神社で、恋火は恋愛に特化した神だったはず。
荷台に乗った楓歌はしばらく思案して、京志郎の肩を掴み、耳元で小さく答えた。
「えっと、恋火さまは恋愛の神さまっていうよりは、人間関係の『良し』を司る神さまなんだ。もっと簡単に言えば、『情』っていうものかな。人が人を想う気持ちが、恋火さまの力の源でもあり、力を執行できる対象でもあるの」
「じゃあ、桜と九条の間にもその『情』があった、と」
「うん。恋とか愛とか、そういう分かりやすいものじゃないかも知れないけど、彼女たちが互いを想いあってることは間違いないと思うよ。まあ、桜さんの想いは、恋に近いんだと思うけど」
「ふーん。なら、友情とか親愛でも恋火さんの力に成り得るってことか」
「一応ね。ただ、やっぱり想いの力って言うのは恋愛から生まれるのが一番強いんだって。だから自然と恋火さまに集まる想いも恋愛絡みの信仰が多くなって、結果的に恋愛成就の神さまになったの」
意外な話だったが、やけにすっと腑に落ちた。
人の想いに定型など無く、まだ恋や愛と言った明確な輪郭を持ち合わせていない未発達の状態や、友情と愛情の間で揺らぐ不確定な状態であっても、それが人を想う気持ちであることには相違ない。
それは京志郎自身、良く知ることだった。
「じゃあさ、『こいつら明らかに両想いだろ!』ってカップルを、恋火さんの力で恋人同士にしちまうってのもありなのか」
「そうかも。本人たちが恋火さまの力を感じさえすればね」
「なるほど。自発的な参拝を待つ必要はないってことか」
「特に本人たちも気が付いてないような想いは、持ってる潜在的な力が大きい場合が多くて、恋心に昇華した時は大きな力になり易いんだって」
「てことは、純粋そうで煮え切らないカップルとかを捕まえれば、手っ取り早く信仰心が集まるってことだな!」
「まぁ……理論上は……」
「こりゃあ一気にゴールが近くなったくがするぜ!黒咲、なんか心当たりないか?」
「心当たりって……?」
「『いつも一緒にいて』『でも付き合ってなくて』『でもお互いを必要としている』ようなやつらだよ!」
「ええと……。あるような……ないような……あるような……」
「あ、でも片思いはダメだぜ?」
「じゃあ……ない、です……」
言わなければ良かったと思いつつ、京志郎に顔を見られない今の状況に心から安堵した。
家に着くよりも早く、夜風が頬の熱を奪い去ってくれることを、楓歌は切に願った。