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「で、実際のところ神社はどうやったんや?なんか変化、あったか?」
逢阪は息を整えると、すぐに記者顔になり、手帳片手に京志郎にずいとすり寄る。この切り替えの早さは目を見張るものがある。見習いたいとは思わないが。
「んなもん、そんなすぐに効果が出るもんじゃないだろ。昨日の今日だぞ?特に変わったことはねーよ。ていうか、さっさと俺の席からどけ。」
「そんなことないやろ~。昨日の内に月嶋から連絡があって急にデートに誘われたりとか、登校中に待ち伏せされていきなり告白されたりとか、それくらいのことあったやろ~?」
「あるわけねぇだろ、そんな超展開」
(ていうか、そりゃもうほとんどゴールに近いじゃねーか。出発点と終着点を隣接させるんじゃねぇ。もっと、普段の何気ない会話を通して相手の事を徐々に知っていき、だんだんと距離を近づけていく内に恋心が芽生えて、なんとなくお互いの気持ちは分かっているけれど友達のままのもどかしい関係が続いて、とうとう我慢できなくなった俺が顔を真っ赤にして噛み噛みの言葉で告白して、月嶋が頬を染めながらはにかんで『遅いよ。ずっと待ってたのに』とかいう科白を言って、ついに二人が結ばれる、みたいな恋愛に発展していくまでの過程を楽しませろ)
妄想の世界が脳内で領土を広げていく。
脳裏に限定すれば、想依とのコミュニケーションは、少女漫画のそれのようにつつがなく迸る。
「そりゃそうか。まぁ、あったとしてもヘタレな京志郎ならテンパって逃げ出しそうやけど」
「うるせぇよ。余計なお世話だ」
「せやかて、ご利益みたいなもんくらい感じるやろ?」
「んーご利益っていうか……祟り?」
「は?」
「あっいや、なんでもない」
咄嗟に誤魔化す京志郎の脳裏には、昨日出会った怪奇現象、あの青い光が浮かび上がる。
――あんなもの、一体何と説明すればいいかも分からないし、下手すれば夢を見ていたのじゃないかと、逆に爆笑されかねない。
「ご利益は……まだ感じねぇな」
そう答えると、逢阪は「さよかー」と残念そうにぼやき、手帳に何やらをメモし始めた。
「ていうかさ、マジであの神社にご利益なんかあんのかよ?さっきも言ったけど、あの神社めちゃくちゃオンボロだったぞ?本当に歴とした由緒ある場所なのかよ」
「何言うてんねん。それを京志郎くんが身をもって確かめるんやないか~」
とか言いつつ、逢阪は手帳にカリカリ。京志郎には目もくれない。
「は?お前こそ何言って……おい、お前何書いてんだ。ちょっと見せろ」
逢阪がペンを走らせていた手帳を強引に奪う。
「あはぁ~やめて見ないで~」
嫌がるところが無性に怪しい。逢阪は京志郎の強奪を制止しようとするが、力ずくで奪取して中身を見る。そこには、
『磐蔵神社信憑性被験者1号 久遠京志郎』
『5月7日 初参拝 階段長し 社殿ボロし』
『5月8日 効果現れず。デート無し。告白無し。御利益感じず。ヘタレ治らず。以前にも増して乱暴に。今後に期待』
などと、乱雑な字で聴取内容と悪口が書かれていた。
「やめて~オレの京ちゃん観察日記読まんといて~」
内容を確認している隙に、逢阪は京志郎の手から手帳を取り上げる。
「テメェってやつは……」
「あのー京志郎はん?カッコいいお顔がまたまたすっごく怖くなってますけど……?」
「このクソ関西弁ンンッ!!俺を夏休みのアサガオ扱いして楽しいかああァ!!?」
「うん!楽しい!」
「シネ!」パァン!
「いっだぁぁー!」
思いきり張り手をすると、逢阪は吹っ飛んで椅子から転がり落ちた。
――京志郎と逢阪は同じ1年7組の生徒であり、中学時代からの悪友でもある。
中一の頃からずっと同じクラスのいわゆる腐れ縁というやつで、京志郎はひょんなことから逢阪に気に入られるようになり、今でも良く行動を共にしている。
最初から仲の良い友達がクラスにいたことはありがたいのだが、逢阪は何かにつけて京志郎を色んなことの実験台にしようとするから、その点はかなり厄介で、注意する必要があった。
と言うのも、逢阪は中学時代から新聞部に所属していて、新聞のネタになりそうな噂やお呪いやパワースポットを見つけてきては、さり気なく京志郎に試させてその真価を測ろうとしてくるのだ。
高校でも同じく新聞部に入ったようなので、今回のこともネタ集めの一環なのかもしれない。
「いやいや、オレはマジで親友の幸せを願ってやなー」
とかなんとか抜かしていたが、その親友を軽々しく罠に嵌める人間の言葉など信用できるはずもない。
どうせまた逢阪のお遊びに付き合わされたのだ、と京志郎は初めから決めつけていたので、神社のご利益など全く信じておらず、昼休みには神社に行ったことすらも忘れかけていた。
◆
「逢阪ぁ。飯、行こうぜー」
悪友の席まで出向いて、食堂へと誘う。この高校の学食は安くて味も良いため、京志郎たちは入学以来、昼食はほぼ毎日学食で済ませていた。
いつものように連れ立って、教室後方の扉から出ようとすると、
ガラッ。「え?」
手を掛けてもいないのにドアが自動で開いた。かと思うと、一人の生徒が教室に入ってき、
「やっほー!ミヤミヤ~ご飯食べよーうおゎっと!」
7組の女子・桜宮子、通称『ミヤミヤ』を満面の笑みと朗々とした良く通る声で呼びながら扉のレール部につま先を引っ掛けて、
「ぅわああああ!」
「だあぁぁぁ!」
盛大にコケた。目の前にいた京志郎を押し倒す形で。
「いたたた、ごめんなさあい」
「あぁだいじょ……ぶふっ」
思わず、吹いた。
胴の上に乗っかったままの転倒者から漂ってくるのは、鼻の奥の方をやさしく刺激する仄かなシャンプーの香りと女の子の特有の匂い。
京志郎の胸元には、動きやすさと可愛らしさを兼ね備えた見覚えのあるショートボブヘアー。
少し捲れあがったスカートの下からは紺色のスパッツが顔を覗かせている。
――間違いない。この子は……、
「つ、つ、月嶋!?」
き、の部分で声が裏返ってしまった。
「あ、久遠くん。ゴメンねぇ、だいじょうぶ?」
倒れて来たのは隣の8組の女子、『月嶋想依』だった。
想依はその少し舌足らずな声で心底心配そうに安否を尋ねてくる。
「お、おう、大丈夫だ」京志郎は首を縦にブンブン。
いや、実際は大丈夫じゃない。身体はなんとも無いが、それ以外のところがもういろいろとヤバい。
京志郎の上で寝転がる想依の身体は、日々の鍛錬により適度に絞りあげられていて、見た目にも実に締りがよく、しかし決して華奢ではなく出るところはそれなりに出ていて、スポ根女子高生の肉体そのものだった。
そのしなやかな肢体が馬乗り状態で超至近距離にあるという事実現実を認識しただけで、京志郎の脳みそは弾け飛んでしまいそうになり、卒倒しないように意識を保つだけで精一杯だった。
「そっか、よかったー」想依は京志郎を押し倒したまま、にっこりと微笑む。
(ていうか近い近い近い!)
京志郎の心音は急激に速く大きくなり、頭に血が集まっていくのが感じられた。
「つ、月嶋こそ、大丈夫か?」
「んん?あたしはへーきだよ?久遠くんがマットしてくれたからー」そう言って想依はまたニコッ。
心音倍速、脂汗投入、顔面発火。
眼前にある想依の顔を直視できず無意識的に俯くと、自然と自分の身体と密着している想依の胸元が目に入って来て、慌てて目を逸らすと今度はうっかり想依の顔の方を向いてしまい、溢れ出す照れと純情からどこを見ていいのか分からなくなり、京志郎の眼球は熱エネルギーを得た気体分子のように高速でそこら中を飛び回る。
「なんか全然痛くなかったよー?久遠くんの胸板のおかげかなー?」ペタペタとなんの躊躇いも無く京志郎の胸を触る想依。
(やめろぉ!やめてくれぇ!死ぬ!頭が沸騰して脳細胞が全滅してしまう!てか、そんなとこ触られたら心臓の音聞かれちまう!やべぇ!恥ずかしい!恥ずかしさで二度死ぬ!)
「お、これ結構寝心地いいかも!枕に丁度いいね!」
想依は京志郎の胸に顔をうずめ、京志郎は口をパクパクさせたまま、息絶えた。