6-8
「とりあえず、必要っぽい話は全部聞けたし、そろそろ解散でいいですよね?恋火さん」
先に目の前のミッションを片付けようと、恋火の方へと振り返ると、
「れー……」
恋火は未だ電柱にしがみ付き、口をだらしなく開いたままで、ぼーっと上の空を眺めていた。
「れー……」
「ちょっと、恋火さん?」
元々白い肌はより蒼白になり、声にならない声を発し続けている。よく見ると身体がわずかに震えている。
「もしもし?大丈夫ですか?」
「……うっ。あ、あぁ。大事ない……」
「いやいや、そんな真っ青な顔で言われても説得力無いですよ。ヤバイんじゃないんですか?今すぐ戻ったほうが……」
「れー……」
「あぁん……」
どうやら京志郎の言葉は恋火の鼓膜にまで届いていないらしい。本格的に危険モードに入ったご様子だ。
これでは、楓歌の身体から恋火の支配が抜け出すもの時間の問題だろう。
「とにかく、今すぐ黒咲の身体から抜け出してください!コイツの意識が保てるうちに!」
「れー…………。…………れ」
ピタリと震えが止まる。
イヤな予感がした。そして、それは間も無く的中した。
恋火が一瞬、白目を剥いたかと思うと、その手が電子柱から離れ、支えを失った上体がゆっくりとエビ反りになり、その体勢のまま後頭部からアスファルトに向けて倒れ、
「――っと」
行く身体を、何とか支えることが出来た。
「あぶねぇ……。予備モーションがあったから受け止められたけど、これ、下手したらタンコブ程度じゃ済まなかったぞ」
意識は全くない。この状態で受身を取るなど、もちろん不可能だ。実に危なっかしい。
「おーい黒咲ぃ。しっかりしろー」
駄目元で呼びかけながら肩をゆさゆさと揺らすが、やはり駄目だった。
(返事がない、ただの抜け殻のようだ)
脳内にドット文字のテロップが流れた。同時に溜息が漏れる。
「やっぱ尾行なんかするんじゃなかった……」
ぶつくさ言いながらも、楓歌を背に負う。
まずは、自分に身体を預けるこの眠り姫をお城に運び届けてやらなければならない。
後悔するのはその後でも遅くないだろう。
人間は眠っていたり意識が無い状態の時、意識がある状態に時に比べ、背負ったときに感じる重量が各段に重い。
これは、意識がある人間が背負れる時しがみ付いて、腕に掛かる力を分散させるからだという。
「……軽いな」
そんな豆知識を真っ向否定するがごとく、意識の無いはずの楓歌の身体は軽かった。
「どんだけ軽量化してんだよ、まったく」
背負う身としてはありがたいのだが、同じ年齢の女子の身体だとは思えない。
不思議な感覚のまま、急ぎ足で神社へと向かった。
5月の日没間際の気温はそう高くないものの、じきに京志郎の額からは汗が滲み始める。
楓歌の身体が幾ら軽かろうが、人一人を背負って十数分も歩き続けると言うのはなかなかの重労働だ。
磐蔵神社の足元に到着するころには、息も上がり、手足に溜まった乳酸を如実に感じられる程だった。
「このラスボスの存在を忘れてたぜ……」
天まで続く石階段を見上げると、表情筋は勝手に引き攣ってしまう。
ふぅ、と息と吐いて深呼吸をし、気合を入れ直す。よし、と決心し一歩、足を階段に掛けた。すると、
「……おりる」
「ん?」
消え入りそうな声が耳元から聞こえ、弱い力が京志郎の両肩を掴んだ。
「……おりる。久遠くん」
「あぁ黒咲、目が覚めたのか」
京志郎の肩を掴んだまま、背中に顔を埋め、楓歌はコクリコクリと何度も首を振った。
「……おろして」
楓歌はもぞもぞと動いて自ら降りようとする。
「いいって、まだ寝てろよ。どうせ、すぐに本調子ってわけには行かないんだろ?」
「……いい。おりる。おりたい」
「まあまあ、遠慮すんなって。家はすぐそこなんだし、こう見えても俺、足腰には多少なりとも自信があるんだぜ?」
一人でドヤ顔をし、独断で輸送を続行しようとするが、背中の乗客は首をふるふると振って、諦めずにイヤイヤとアピール。
「珍しく強情だなぁ。もしかして、そんなに乗り心地悪いか?」
仕方が無いのでしゃがんで楓歌を降ろしてやると、彼女は直ぐさま後ずさって京志郎から距離を取ろうとする。
若干頬に朱を指し、手で髪を梳きながらふらふらと視線を泳がせていた。
一方の京志郎には、そんな同級生の様子を気にする余裕はなく、石段の一段目に腰を下ろし一息を付く。
強がってはいたが、やはり疲れていることに間違いはなかった。無意識的に手首をプラプラと振る。
「あの……ありがとう。運んでくれて……」
「え?あぁ。どういたしまして」
「えっと、その……どう、だった?」
「どうって……運んだ感想を言えと?」
「えっ、いや、」
「あっ……あーあー!そういうことね!大丈夫だ!心配すんな!ぜーんぜん重くなかったから。むしろ軽すぎって思ったくらい」
「そ、そっか……。よかった……って、そうじゃなくて……っ」
「んーあとは、そうだなぁ。やっぱ、周りの目がすごく気になった。別に悪いことしてるわけじゃないけど、構図が構図なだけになぁ」
「たしかに……。いや、そ、そんなこと聞いてないってば……っ!」
「あ。あと、脚とか細くて持ちやすかったぜ」
「……っ!」
ほとんど適当に答えたのだが、予想以上に楓歌は真に受けたようで、口をあわあわ、腕をぱたぱたさせ、さらにその挙動不審さを増していた。
「なに赤くなってんの?」
「なっ、なってないよ……っ」
「?」
京志郎が首を傾げると、楓歌は幾度か深呼吸をしてから、
「……えっと。結局、その女の人は見つかったの?」
「あぁ、そっか。確か、恋火さんが入ってる間は記憶って無いんだっけ?」
楓歌は静かに首肯する。
「ああ、問題なく見つかったよ。――同じクラスの桜宮子だった」
「そうだったんだ……!じゃあ、これで二人共に手紙を出せるね……」
楓歌は嬉しそうな、安心したような表情で言った。
後日、京志郎たちは桜と『先輩』――九条に対し、前回同様、手紙を出した。
デートの日時と集合場所と共に、桜には『九条とデート出来るように取り計らった。そこであなた自身が彼を元気付けなさい』と、九条には『あなたの悩みを打ち払う答えを与えます』という内容の文を添えて。
(アヤシイにも程があるぜ……)
と、京志郎は本当に二人が集合場所に来るか心配していたが、恋火は、
「何を憂う必要が在る?此奴等が来る事等もう決まったも同然ではないか。何せ、此の我が直々に力を込めて遣ったのだからのう!」
豊満な胸をずいと張って、尊大に言ってのけた。
恋火の中では『桜と九条の成就』は、最早定まった未来なのだろう。