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三守高校の写真部は、それなりの部員を擁する割には、長らく弱小文化部だった。
長年、人気の文化部の1つだった写真部も、時代の流れと共にその勢いを失い、十数年前に同好会に格落ちして以来、4年前までその地位を保ったままの状態だった。
4年前にようやく、手芸部が同好会に降格になった代わりに、繰り上げで写真部が同好会から部へと返り咲いたが、最初の3年間はコンクールに応募する部員も少なく、全く実績を残せずにいた。
去年になってやっと、その年の1年生が中規模の大会で佳作を受賞し、今年に入り、2年になったその部員が再び、4月に行われた小さな大会で入賞を果たした。
部員たちは彼の入賞を大いに祝ったが、部になって以来、残すことが出来た主な実績はその2つのみに止まり、写真部の肩身は年々狭まる一方で、部の存続すら危ぶまれているのが今の実状だった。
今年始めの部長会議で実績の少なさを指摘され、ようやく部員たちも危機感を抱き始めたのだが、それでもコンクールに率先して応募しようとする者はごく少数だった。
これは、写真部が所詮『カメラをかじっただけの烏合の衆』に過ぎないということが、最大の原因なのだろう。
写真撮影は基本、個人技。
撮った写真を見せ合って、褒め合ったり、議論し合うことはあれど、撮影そのものはやはりスタンドプレーで、皆自分の好きな景色を己の感性に身を任せて切り取るだけだ。わざわざ決められたテーマに沿って撮影をする気など、そもそも持ち合わせていない。
桜宮子も、そんな写真部部員の一人だった。
父の影響で始めたカメラの趣味は、高校生になり部に所属しても、やはり趣味の範疇を抜け出しはしなかった。
それでも、ミーティングには真面目に参加し、同じ部の同級生や先輩との親睦は深めていた。
特に、帰宅方向が同じということがあって、同性の3年生である天満とは、入部当初から仲良くしてもらっていた。
ミーティングを終え、桜は今日も天満と二人で帰路に着く。
「日曜、楽しみね?宮子ちゃん」
天満が桜に問う。
「あ、はい……」
桜はトーンを落として、俯き加減に言う。
次の日曜日は、写真部初の試みとなる、市外に出ての撮影会だ。
部長の発案で、全員参加で執り行われることが半強制的に決まったのだ。
山間の自然公園まで出向き、そこで月末に行われるコンクールのテーマである風景写真を撮影しようというものだった。
中には貴重な休みの日を潰されることに不満を露わにする部員もいたが、大勢で一緒に写真を撮ったことが無かった桜にとっては、今回の撮影会兼ピクニックをかなり楽しみにしていた。
――ただ、あくまで『していた』。過去形なのだが。
「宮子ちゃん?どうしたの?」
急に黙り込む桜の顔を天満が覗き込むと、
「……九条先輩、今日も来ませんでしたね」
「あぁ、九条くんか~。確かにしばらく見てないわね~。まだ落ち込んでるのかしら」
「もう二週間ですよ!?学校にはちゃんと来てるみたいなんですけど……ひょっとしたら、撮影会も来ないんじゃ……」
「十分あり得るわね。特に、撮るのは風景だし、いよいよ来たがらないんじゃないかな~」
表情を一層暗くする桜とは対照的に、天満の口調は軽かった。
「心配なの?宮子ちゃん」
桜は黙って肯き、
「天満先輩は、心配じゃないんですか?」
「そうねぇ。心配じゃないわけじゃないんだけど……案外、そのうちひょっこり戻って来るんじゃなーい?」
意図せず、睨むような視線を向けて仕舞ったが、天満はそのことには何も言わなかった。
「って言うのもね、前にも同じような事があったのよ」
「!?……そう、なんですか!?」
「ええ。去年の秋、九条くんが賞を取った直後だったんだけど、しばらく顔出さなくなってね~」
この話は初耳だ。
桜が入学する以前の出来事なので、当然と言えば当然なのかもしれないが……部では誰もこのことに言及しなかったのは何故だろうか。
「去年の秋って言うと…」
「そ、あの部室に飾ってある風景写真よ。すっごく良い画だと思うんだけど、その時は佳作止まりでね~」
「十分、すごいじゃないですか……!」
「そう、そうなのよ。十分すぎるくらい凄いのよ。だって、今まで賞取った人なんかいなかったんだから。……でも、九条くんはもっと自信があったみたい。それで落ち込んじゃって。一週間くらいかな?部に来なかったのは」
「じゃあ、今回も……」
「おそらく、4月のコンテストで入賞止まりだったのが原因でしょうね~。小さなコンテストだったし、その分、結果に納得出来ないんじゃないかしら?」
桜は二の句が継げなかった。
天満はそっと目を閉じ、肩を竦める。
「確かに心配だけど、だからと言って、私たちに何が出来るわけでもないのよね~……」
握り込んだ拳、爪が手の平に刺さり、痛みが走る。
何か反論をしたかった。
自分でも何か九条の力になれることがあると言いたかった。
…強く、唇を噛む。
しかし、桜は賞を取った経験も、コンクールに応募したことさえない。
それどころか、他人からの評価を得るためにシャッターを押したことさえ無かった。
好き勝手に、我が儘に、自由気儘に画を切り取ってきただけの自分。
そんな自分に、何が言える?何を言う権利がある?
「…」
「…ふふっ」
押し黙る桜を眺めて、天満が笑みを零す。
「全く、九条くんも罪作りな男ね~。宮子ちゃんにこ~んな顔させるんだから」
「え…?私、そんな怖い顔、してました…?」
「いいえ~。とっても優しい顔よ。九条くんに見せてやりたいわ。『アンタ、相当な果報者よ』ってね」
天満の言葉の意味はよく理解できないが、柔和な彼女の微笑みは、桜の心に言い知れぬ平穏を与えてくれる。
「そんなに思いつめなくても、そのうちに戻ってくるわ。今はそっとしておいて上げましょう?男の子には一人で考える時間も必要って言うしね~。きっと今の九条くんは暗闇を彷徨っている途中なのよ。そこから抜け出しさえすれば、いつもの九条くんになって帰ってくるわよ」
「ね?」と天満は問いかけ、桜も小さく肯いた。
「あ、でも……案外、さっきの宮子ちゃんの顔見たら、目が覚めるかもしれないわね~」
別れ際に、天満は思い出したように言った。
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電信柱の影から去り行く旧友の姿を見届け、その背中が十分に小さくなったのを確認し、安堵の溜息と共にコンクリートの柱から体を離す。
なんとか尾行及び盗み聞きは成功に終わった。
電柱の影を飛び移りながら女子高生の後を付ける、と言う不審者のお手本のような行為を10分ほど続けていたのだが、警察や高校の教師陣に取り押さえられずに済んだということは、幸い、通行人からの勇気の一報、もとい通報をされた心配は無さそうだ。
「……桜がそんな悩みを抱えてるなんてなぁ」
桜宮子は京志郎と同じ1年7組の生徒だった。
想依とは親しい様子だったが、会話をしたことはほとんどなかった。
そんな人間の隠れた悩みを知るというには、何とも言えない罪悪感というか、背徳感があって、あまりいい気分ではなかった。