6-2
「……他に手掛かりはないんですか?」
「さぁのう。大方の事は既に楓歌に話した通りであり、抑々何が手掛かりに成り得るかは我には判断出来ん」
「顔の特徴とか、体型とか、背が高いとか低いとか、髪が長いとか短いとか、いろいろあるでしょ!何か、何でもいいから他にヒントをください!」
「済まぬが、我は外見の違いでは人間を判別出来ぬのだ。それに、例え判別出来たとしても、もう覚えて等居ない。寧ろ、彼の女子が主等の学び舎の生徒で在ると知れた事の方が、完全なる偶然なのだ」
「ははぁ……」
無慈悲に、まるで他人事の様にあっけらかんと言ってのける恋火に、京志郎から乾いた笑いが零れ落ちる。
実際問題、これ以上の情報が無いならば、全校の女生徒を虱潰しに当たって行かなければ成らない。
しかも、誰もその女子の顔を知らないとなれば、残された手段は全ての女子に対し『磐蔵神社に行きませんでしたか?』と聞いて回ることのみだ。
勿論、そんなことをすれば、久遠・黒咲ペアに怪しい噂が立ち、悪い方向で全校の有名人になるという未来は必至だろう。
「だから然う憂うで無い。参拝者の事は分からぬが、其の懸想相手の事成らば、我の中の祈りを辿って行けば知れる」
何とも的外れな励ましだ。それが分かった所で、参拝者を知る決定打の情報にはなり得ない。
「何なら、その女子の願いを呼び起こして遣ろうか?」
「願いを呼び起こす?」
「うむ。祈りの言葉を其の儘、再現すると云う事だ」
「再現って、恋火さん、その人の言ったことを丸まま記憶してるってことですか?」
人間を外見的特徴で判別できない、つまり人間の個々の違いを一切記憶出来ない恋火が、その人間が発した言葉を完全に憶え切っているというのか。にわかには信じ難い。
しかし恋火は、呆れ半分で、
「当たり前で在ろう。我の様な存在は、願いや祈りと成った言霊を蓄積して成り立って居るのだから、我を積み上げる全ての祈願は、言わば我の半身、もう一人の自分なのだ。何んな小さな祈願で在ろうと、其れは確固たる1つの要素として、我の中に刻まれて居る。願いを省みると云うのは、人間で言えば……然うだな、鏡を見る様なものだろうか」
「はぁ」
そう言われても京志郎には今一つピンと来ない。
「勿論、御主等の願いも我に内在して居る故、何時でも、一字一句違わずに呼び起こして遣れるぞ?」
「「えっ」」人間二人の当惑が共鳴し合った。
恋火は得意気に言っているが、京志郎はむしろギョっとした。
何せ、自分ですら何と発したのか朧気なほど勢い任せで言った、欲に塗れた願望が、まさか他者の中に完全な形で残っているというのは、これは冷や汗を掻かずにはいられない。
弱みをガッチリと十字固めされているようなものだ。
恋火が人の願いを妄りに言い触らすとは思えないが、それでも京志郎の背を薄ら寒くさせるには十分だった。
「御主等の願いは中々に強大だったので、直ぐにでも呼び起こせるぞ?」
「ああああっ!!良いです!結構です!間に合ってますっ!!」
隣で楓歌もブンブンと首を縦に振る。
「然うか?願いと言うのは繰り返し唱える事で其の強さを増し、より強い信仰と成って我に、」
「あ、そうだ!恋火さん、その女の人の願いってやつを呼び起こして見よう!何か手掛かりが得られるしれねぇ!うん、これは妙案!」
「……む。其れも然うだな」
半分ヤケクソな話題逸らしにどうやら神は乗ってくれたようだ。
恋火は目を閉じ、自分のこめかみをとんとんと数度指で叩く仕草を見せる。人間で言うところの、何かを思い出そうとする時の仕草だ。
京志郎が一息つく間も無く、恋火が目を開け、「行くぞ」と合図をする。
その表情からはいつもの凜乎としたキレが少し抜け落ちている様に見えた。
そして恋火はがほぅと息を吐き、口を開くと、
「センパイヲブカツニコレルヨウニゲンキヅケテクダサイ……デス!」
平素とは似ても似つかぬ言葉遣いの科白が、とんでもない棒読み加減で飛び出して来た。
◆
(んん、んんん……)
京志郎は心の中で唸る。
手にしたシャープペンシルの先でノートをトントンと叩くだけの動作は、5限の授業が始まって以来やむ事無く続けられているが、肝心の板書は全く追い付いていない。
ペン先が叩くノートに記された文字を見ては、首を捻って唸る。
――500×2/3×80%
ノートにはそんな数式が書かれていた。
こんな小学校高学年くらいなら簡単に解けそうな数式で、京志郎は悩んでいた。
無論、幾ら数学が苦手だからと言って、これが解けない訳では決してない。
数式の後ろに「=266.666…」と書き込む。
(うんん……、多い、多すぎる……)
答えが出てもなお、憂いは晴れないどころか増すばかり。
しかし、今は算数の授業時間ではない。
中年の女教師が、ちょうどヴァロア王朝と百年戦争について語り始めた今は世界史の授業中。
彼女は余程思い入れがあるのか、フライング気味にジャンヌ・ダルクの名を口にするが、その知識が現在の京志郎にとっての救世主になることはない。
救いがあるとすれば、授業がフランス史に入ってからは先生の熱弁が量を増し、板書そっちのけで語らうことが多くなったので、ノートを取る量がやや少なくなったということぐらいか。
それでも、キチンと書き写そうとするには到底容量が足りないほど、頭の中は懸案事項でいっぱいだった。
(全部で267人くらい……、部の数も30以上……)
手掛かりは得たものの、それでもこの人探しミッションの困難さは揺ぎ無く京志郎の前へと立ちふさがる。
(『センパイオブカツニコレルヨウニゲンキズケテクダサイ、デス』)
数式の上に書かれたカタカナの文を黙読する。
願いの言葉を一字一句違わず暗記している、とは聞いていたが、まさか本当に参拝者が言った言葉をそっくりそのまま再生するとは思わなかった。
てっきり恋火が願いの内容を要約して伝えてくるものだと思い込んでおり、普段の彼女の口調とのギャップに面食らってしまった。
このカタカナを日本語に直すと、おそらく、
『先輩を部活に来れるように。元気づけてください、です』
となる。
周到なことに、紙とペンを持参していた楓歌が恋火の科白をメモしたものを、二人でじっと見つめて辿り着いた結論だ。
「これ、最後の『です』って英語じゃないよね……」と、大真面目に心配をする楓歌には、心苦しいがデコピンを一発食らわせてやった。
楓歌は納得がいっていない様子だったが、残念ながら重要なのはそこではない。
最悪、『です』が英語だとしても大した影響も無い。
(『先輩を』ってことは、この人は後輩な訳だ。つまり3年じゃない。そして『部活に』は、この人とその『先輩』がどこかの部に属してるってことになる)
三守高校の全校生徒が1000人、女子がその半分の500人、1、2年生はその3分の2の333人、その内8割がクラブに所属しているので、最終的な候補人数は267人になる。
これが数式の意味だった。
初めから比べれば候補は半分にまで減った。
話題逸らしのためにとっさに口を突いた、何の考えも無いアイディアだったが、思わぬ収穫があったものだ。
あの棒読み加減から察するに、恋火には『先輩』『部活』などの言葉の意味は理解出来ないのだろうから、当然、願いの言葉がヒントになるとも気が付かなかっただろう。
とは言え、虱潰して回るには、やはりかなり数が多い。