5-1
ほどなく、二人は中庭を後にし、鞄を待たせている教室へと戻った。
京志郎も、初めは乗り気ではなかったが、終わってみれば案外と悪い気分ではなく、むしろすがすがしいような気分にすらなった。
作戦が成功したからだろうか。
もしこれが失敗に終わっていれば、また違う感情を覚えたのかもしれない。
ともかく、ミッションはコンプリートした。
これで、恋火も満足するだろう。
⇔
時は少し遡り、六限目終了直後の1年8組の教室。
月嶋想依は、鞄に教科書や弁当箱やチョコ菓子の箱などを詰め込んで、自分が今日一日を生きた痕跡を片づけていた。
そんな彼女に、一人の長身の女生徒が声を掛ける。
「おい月嶋、アンタ今日掃除当番?」
ベリーショートと言うよりは短髪のその女子は、腰に手をあてて、180㎝を超える視点から想依を見下ろして言う。
想依は顔を上げ、声の正体を確認すると、満面の笑みを浮かべて、
「あはっ、あこちゃん!」
『あこちゃん』と呼ばれた女生徒は微妙な表情で肩をすくめ、
「だから、アタシの名前は『あこ』じゃなくて『憧』だっつってんだろ?」
想依の頭頂をポンポンと軽く小突いた。
「で、どうなん?」
想依の頭をポンポンしながら、『あこちゃん』は再び問う。
「ううん、違うよ~。あこちゃんは?」
「アタシも当番じゃない。聖も違うみたいだからよ、ホームルーム終わったらソッコーで部活行くぞ、いいな?」
「あははっ。あこちゃんはホントにバレー大好きだねぇ」
すると『あこちゃん』は一笑し、待ってましたと言わんばかりに、
「はんっ、違ぇな。バレーボールがアタシに惚れてんのさ!」
慎ましい胸を張って、勇ましく尊大に言ってのけた。
彼女の名は『仁王憧』。
想依のクラスメイトであり、想依と同じ女子バレーボール部の新入部員でもある。
彼女は、その群を抜いて高い身長と、並はずれたき跳躍力から、入部して1ヶ月と経たないこの時期に、既に次の大会でベンチ入りすることが決まってしまうほど、高い実力を持っていた。
その高身長もさることながら、憧の尊大極まりないな態度と負けん気は人並み以上で、長い腕をしならせて繰り出される殺人スパイクは、同一年生部員を怯えさせ、二年生には焦燥感を与え、三年生の舌を巻かせるほどだった。
そんな、女子バレーボール部切っての期待どころ一番星のスーパールーキー。それが仁王憧で、想依の好敵手兼尊敬すべきチームメイトだった。
想依と憧は教室を出て、1年2組の教室へと向かう。
「おーい、聖ぃ。迎えに来たぞー」
「せいちゃーん!部活いこー!」
二人は他クラスにも関わらず、堂々と乗り込んで大声で目的の人物を呼びつける。これも毎度おなじみの光景だった。
三守高校にも特別進学クラスというものがあり、1年2組はその特進クラスに当たる。
4月の頃は、こうして二人が騒ぎながら押しかけると、特進クラス生たちはギョッとした反応を見せていたが、今となってはすっかり慣れっこだ。
――というよりは、二人を一度注意しようとしたクラス委員長的な生徒を、憧が睨みを利かせて一喝して追い払った事があり、そこからは特に誰も二人を気に掛けなくなった。
秀才たちは、早くもシカトを決め込むことを覚えたようだった。
「あ、憧ちゃんに想依ちゃぁん。待てってぇ、今行くからぁ」
教室内で談笑していた女生徒が一人、二人に向かって手を振り、しばらくして、
「お待たせぇ。行こっかぁ」
栗毛色のパーマがかったセミロングのくるくる巻髪をさげた、胸の大きな中肉中背の女生徒が駆け寄ってくる。
「おっせぇぞ、聖!」「やっほー!せいちゃん!」
憧に『聖』、想依に『せいちゃん』と呼ばれた彼女は、ニコリと柔らかい頬笑みを浮かべて、甘ったるい喋り方で謝罪した。
「ごめんねぇ。お友達のお話がとても面白くて、ついお喋りしちゃってたわぁ」
おっとりと間延びした口調のこの女生徒の名は『友引聖』。
彼女もバレー部の所属の新入生である。
彼女のポジションは『セッター』。アタッカーにトスを上げる役割を担う。
その正確無比なトスは、上級生に勝るとも劣らないほどで、聖もまた将来、部の攻撃の要と成り得るだろうと予期されている実力者だった。
同じ中学出身の憧と聖は、中学時代からチームメイトで、ひいてはベストパートナーという関係にあったそうだ。
と言うのも、アタッカーである憧の繰り出す殺人スパイクは、聖の精度の高いアシストがあってこそ、その本領を発揮する。
想依はいつも、そんな超新星の二人と揃って部活へと向かう。
「おい聖、月嶋には謝っておいて、アタシには詫びを寄こさねぇたぁどういう了見だ、あぁん?」
「あら、ちょっと黙っててねぇ、憧ちゃん。私、今想依ちゃんと話してるからぁ」
頭上から威圧をかます憧に対し、聖は下から一瞥をくれ、笑みを浮かべて軽くいなす。
「ううん、あたしはだいじょーぶ!それよりも……」
両親指立て(ダブル・サムズアップ)で、想依は快活に返答し、聖に全力でガンを飛ばす憧に目配せをし、
「あこちゃんがねぇ、早くボール触りたくてウズウズしてるみたいだよー?」
「はんっ、違ぇな。球どもがアタシに使ってもらいたがってるのさ」
いつも通り、不敵に笑い、尊大な態度を取って憧が切り捨てる。
「相変わらず傲慢な物言いねぇ、憧ちゃん。それ、心底ムカツクわぁ」
そして、聖母の様な柔和な笑みを満面に浮かべた聖から、柔らかい形をした言葉の毒が飛び出した。
「虫酸が走るって言うのかしらぁ。イライラするから止めてくれなぁい?」
先に吹っ掛けたのは聖だった。